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2014年1月28日火曜日

ヴィジェ・ルブラン ロココ風新古典主義というか

ヴィジェ・ルブラン(1755~1842)フランス

女流画家・彫刻家には容貌の美しい人が少なくないです。
ここで一々名前を挙げる気はないですが。

ヴィジェ・ルブランはその幾つもの自画像からその美しさはよく知られていますね。
名前は知らなくても、美術館の絵葉書などで見たとか言う人は多いはずです。
とりあえず、同時代のマリー=ガブリエル・カペも挙げておきます。このヒトも自画像を見る限り大変美しい女流画家です。

この時代、つまりマリーアントワネット、ルイ16世、ロベスピエール、ナポレオンという人々が短いスパンで栄枯盛衰を時代をもみくちゃにしながら激しくやってのけ、その中で、画家も自分の地位を築いていく必要がありました。
肖像画(貴族や英雄のもの)やそれと絡めた歴史画を描いていたロココから新古典主義の時代です。

私はこんなに上手に描けるという貴族へのアピールのために画家はサンプルとして自画像を描く事が多かったのです。
最も有名で成功した画家といえばダヴィットと言えるでしょうか。地位は上り詰めたと言えますが、そこは今ひとつ見方にもよるので、何とも言えないところです(ナポレオン没落とともに地位も制作意欲も萎えてしまい晩年はとてもキツイので)。

その才能においてはダヴィットに勝るとも劣らない画家として、マリーアントワネットの肖像お抱え画家としてヴィジェ・ルブランがいます。マリーとは同い年で、マリーはヴィジェの前では全てを曝け出し、素顔の自分を描かせていたと言います。質素な装いの肖像画も有りその親密さが分かります。そう言えばこの二人を中心に描いた映画がありましたよね。見ていないのですが、ぜひ見たいです。どんなふうに描かれているのか。(よかったら教えてください。ブルーレイ買います。)

ヴィジェ・ルブランの十代半ばの自画像など見ると、比較できるのはピカソかダリくらいと言えるほどの早熟の天才でした。これほど描けるのでは、当時女流画家の身分が今ひとつであっても両親も画家にせざるを得なかったと言えましょう(とは言え母親も画家だったと思います)。幸いマリーアントワネットの庇護の下、一番のお気に入り画家として制作できたのは良いのですが、いざ革命となったときは亡命するしかなくなります。勿論後にフランスに是非戻ってと呼び戻されますが、そのままいたらギロチンは免れなかったことでしょう。

彼女はまた、何と可愛らしく自らを描くのか!ドヤ顔でもおすまししているのではもなく、口をわずかに開けて見る者へ何かをそっと囁きかけてくるような愛らしく爽やかで知的な、それでいて凛としていて親しみのある何とも言えない焦慮の念を抱かせる表情の自画像なのです。

この少し口を開けているところがポイントなのです。あなたとコミュニケートしたいのです的な表情。こりゃ、ひとつ私を描いてくださいという流れにみんな行ってしまいそうですわ。頭の良い人と言われていますが、マーケティングスキルも並ではないですね。もし意図せず無意識に描いているのなら、こりゃ手に負えないと言うか天才という以外になんと言えばよいのですか?

ちなみにマリー=ガブリエル・カペは自らの美貌を思いっきり誇るようなドヤ顔です。これはこれで良いと思います。スカッとしていて。技量も大したものです。

この時期の絵画のパラダイムを決定したのは他ならぬダヴィットだと思います。
他の同時代のぼんやりロココ調でのどかに描いていた画家たちもみな新古典主義的な作風に移行してゆきます。ヴィジェ・ルブランも例外ではありません。
忘れていましたが、ダヴィットはかのブーシュを親戚にもち、彼の後押しで画家の修行を積んだそうです。

ヴィジェ・ルブランは、前半はロココ的な筆跡で恐ろしく完成度が高いうえに、やたら魅惑的な肖像画を描きました。中でも最も素敵な絵は自画像だったように思われます。彼女はかなり自分が好きな女性だったのかも。
後半は、ダヴィットの完成した新古典主義の手法で他の女流画家をこれまたダヴィット的なモニュメンタルな歴史画のような演出で描き、喝采を浴びています。
しかしその頃は、ダヴィットは完全にヘタっております。
彼の英雄好きと激しやすさ(情熱的)、地位名誉への執着は時代に翻弄される運命でもあったと言えます。

才能は同等であっても、ただひたすら自分の世界を大切にする女性の方が強かったのかも。
彼女の晩年の自画像も魅惑的にこちらに囁きかけてくるさらに磨きのかかった大変美しいものです。


おまけですが、他に美しい女流画家に、ユトリロのお母さんのシュザンヌ・バラドン(しっかり写真が残っているので間違いないでしょう)、印象派の画家であり、コローに絵を学びマネのモデルでもあったベルト・モリゾ。マラルメとの親交も深かった女性で、絵の主題は母子の微笑ましい穏やかな姿が特徴。男性中心主義の時代にはっきりと自分の視点を示しています。アールデコの画家と言えましょうか、ポーランドのタマラド・レンピッカ(近未来SF的な出で立ちで最初見たときはスーパー・ジェッターかと思いました)、日本画家でNHKの教育番組に先生として小学生を教えたりしていた松井冬子(女優ではなく芸大教授です)、ケルト神話や神秘主義に題材をもつシュルレアリズムの画家レオノーラ・キャリントン(幻想小説家としても優れた才能を発揮)、シュルレアリズムで思い出した、ドロテア・タニングご存知エルンストの奥さんです。もろシュルレアリストで、なかなか良い絵を描きます。この人たちを挙げたなら、レメディオス=バロも出しておきます。スペインのシュルレアリスト。ものすごいアクがあります。ソフィアローレンタイプですか?
彫刻家では、カミーユ・クローデルでしょう。類希な美貌と才能にあふれた女性でしたが、ロダンとの関係で発狂してしまい人生の後半を台無しにしてしまいます。イザベル・アジャーニは、カミーユの底知れぬどうにもならない狂気を、丁度トマス・エドワード・ロレンスを演じたピーター・オトールのように、見事に演じきっています。

この辺にしておきます。あくまでもおまけです。気にしないでください。


*なお、Web上に見つかるヴィジェ・ルブランの画像はみな目が潰れ全体が黄色がかっており、実物のイメージから程遠いものばかりです。それを見てがっかりしないでください。是非、美術館或いは解像度の高い画集でご覧になってください。


Camille Claudel




2014年1月26日日曜日

蒼山日菜というアーティスト

彼女はレース切り絵の世界的アーティストであることは有名ですが、本を沢山出版されていることは知りませんでした。
モノクロの切り絵で、見る人の感性でそこに色を見出してもらいたいなど述べていました。
京都の重要文化財とのコラボ催しております。
ですから。
もちろん、作品の写真集は当然何冊もあることは当然でしょう。

しかし、ハウツー本なのです。

作家蒼山日菜ののようなレース芸術を作るためのハウツーなのです。
あの極めて精緻な切り絵です!
まず、そんな物が素人にも作れるのか?
ハウツーでは、まあほどほどのレベルの解説と作り方が記されているのかな。
でもそれだったのなら、、、
蒼山日菜の作品に感動して、ハウツーがあることに驚いて、購入して見てみたら、一般的なものだったでは、済まない、、、。

そもそも。
これまでに一流作家が、自分と同じような絵を描くためのハウツー本を刊行したことがあったでしょうか?まず無理なことです。ありえない。
絵に対する精神論とか一般的な技術鍛錬についてなどは書くでしょうけど。
例え技術だけそれらしく模倣して描いたとしても、最も良くて、単なる贋作です。まあ、作った本人が満足でありそれを悪用しなければ、上手な模写で終わりますが。
まず意味がないので、本人ではなく絵画教室の先生みたいな人が、その手の技巧を本や教室・塾で披露・手ほどきする、という形をとるのが大方のパタンでしょう。

どうやらレース切り絵というものは、その芸術性がどれだけ高く、技巧がどれだけ優れていても彼女のように国際的コンクールで優勝したとしても、あくまでもその技術におけるものであって、作品は技術を示す例のような位置なんでしょうね。
わたしはこんなにも凄い物がつくれます。

そしてみなさんもこんな風に作ってみませんか?で、成り立つ。
手指の巧緻性の高い人は確かにいますので、作者が図案を用意してくれればそれこそ同等のものを作ってしまうはずです。

作れたら、それを壁に飾りたいことでしょう。
まさに装飾としてこの上ないものですから。
あの、ふたつ折りしてハサミによって精緻に切り込まれるシンメトリーのオブジェ。
落ち着くでしょうし、とても恍惚とした時間を過ごせるはずです。

読者の声が本に記載されていました。
引用します。
「レース切り絵と出会って本当の趣味が見つかった」
「最高のストレス発散です。切り始めると心が落ち着いていくのかわかります」
「子供と一緒にどちらが上手にできるか競ってます。ホントに楽しい」
「本の通りにアレンジして友人にプレセントしたら、とても喜んでくれました」
「不器用な私に本当にできるのか不安でしたが、わかりやすい解説でちゃんとできました」
「久しぶりに時間を忘れて没頭しました。寝不足要注意です」

という具合です。所謂、「手芸」の喜びですね。
わたしの最初のアプローチが間違っていました。
芸術という感覚は皆さんもってはおらず、あら綺麗なレース切り絵ね。
というところから、自然に入っていけばよい。

*書籍紹介

あなたにもできる 蒼山日菜のレース切り絵 蒼山 日菜 (2010/12/15)

レース切り絵でつくる絵本の世界 ---そのまま切れる図案付き 蒼山 日菜 (2013/6/14)

レース切り絵 蒼山 日菜 (2010/2/23)

あなたにもできる蒼山日菜のレース切り絵II (角川フォレスタ) 蒼山 日菜 (2012/9/25)

ヌーヴォー切り絵 蒼山 日菜 (2012/9/22)


わたしはほとんどビアズレーあたりのアートと一目見るなり重なってしまったため、余計なことを思ってしまいました。



2014年1月17日金曜日

PJ HARVEY ~ RID OF ME 無作為チョイス

PJハーヴェイは、昨日書いたレディオ・ヘッドともLive共演しています。
更にヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲第3番」がお気に入りということ。
デビュー時からその意志の強そうな強烈な印象を残すルックスと共にそのサウンドが大変注目されていた。圧倒的な存在だと各評論家が揃って驚嘆していたのを今でも覚えています。
これらのことから、わたしも彼女のデビューアルバムから聴きだしました。

PJハーヴェイは彼女というアーティストを指すのだと思っていましたら、何とPJハーヴェイというトリオグループだそうで、その中心人物がPJハーヴェイだということです。
曲はすべて彼女のコンポーズによりますが、あくまでも彼女はヴォーカル・ギター担当なのです。
普通そのような場合、PJハーヴェイバンドとか名乗るものですが。
このファーストは1993年です。

とかく歌詞が取り沙汰されていましたが、わたしはほとんど歌詞を訳してまで確かめようとは思わないのと、輸入盤では歌詞がないことが多く、何歌ってるのか分からないことが多いのです。
サウンドの善し悪しですね。
わたしの場合、音楽は。

ギターのリフはジャズやブルースとロックを分ける大きな要素で、リフのカッコよさといえばストーンズやクリームなどがまず元祖ですが、彼女のリフはその頃のカッコよさ本質力を強く感じます。
率直さの強さ、曖昧のなさ、わたし等身大の音にこだわり続ける。絶対にわたしから離れない誠実さ。これだけはよく分かります。

「フェミニズム」などを歌わないヒトであることは間違いない。
信用できる表現者です。
もともと彫刻家を目指していたそうです。
母親が彫刻家で。楽器もサキソフォンをやっていたらしく、ギターはバンドを組むにあたってはじめたのだそうです。

音楽がダメになったらまた彫刻に戻ると言っていたそうですが。
音楽の方が直接的でしょう。
音楽の破壊力に気づいてしまったからには、もう戻れないでしょう。

このサウンドは紛れもなく闘いそのものです。
自分のための闘い。
解放のための闘い。




2014年1月16日木曜日

OK Computer / Radiohead ラディオヘッド 無作為チョイス

PARANOID・ANDROID聴くと、いまだにゾクゾクしますね。
ゾクゾクします!
KARMA・POLICE
1997年ですからそんなに古いわけではない。
だいたい、、、
CLIMBING UP THE WALLS
のどこが古い?!

わたしが音楽CDとか買わなくなってから、もう10年以上経ちますから。
もちろん、iTunes Music Storeから時折、昔の曲をゴソッとまとめて買ったりもしていますが。
最近のmusic事情には、とんと疎い。
調べる気もしない。

子供の頃から、ヨーロッパの曲しか聞かず、高校・大学時代はそれが徹底していました。
アメリカとなると、ルー・リード(ベルヴェットアンダーグランド)とかトム・ヴァーラインとかその匂いのするもの以外は唾棄していました。
日本のロック?ありえない(大笑
日本のあの特有の音階がそもそも体質的に本質的に受け入れられない。
何よりも日本文化が反吐の出るほど大嫌いでしたから!
侘び寂びって何ですか!!
最近まで日本の音がどうにも聴けませんでした。

(宇多田ヒカルを聴きだすまでは。この天才が出てこなければ、いまだに聴いてなかったでしょう。それからです。遡行して聴き始めたのは。最近では、吉岡聖恵さんも聴いています。TVなどで。あの「サクラ」の音階はまさに日本!)


ですから、ヨーッロッパを体現するこのオルタナがほとんど子守唄のように聴こえます。
距離がない。わたしの心臓の鼓動にぴたっと共鳴する。
外から来ているのか遥か以前から内に唸り続けてきたものなのか。
ロックはサボテンを枯らすというが、わたしはその音でないと生きれない。
毒がわたしの主食だ、確かに。
致死量の100億倍も毒を食らってもまだ足りない!
全然足りない!
日本というといまだに構えてしまうが、こういった音楽はあまりに近過ぎます。
あまりにフィットしすぎる!

ともかく体質に合う音なので、あれこれ対象化して言う気にもならないのですが。
何というか、活性化する音です。
生命にとって劇薬であっても、存在にとっては至高の薬です。
エントロピーの矢に向けて激走する音楽です。
滅び、腐敗、崩壊、消滅に向けひたすら走るわれわれの讃歌!!!








2014年1月10日金曜日

Disintegration / The Cure キュアです。

崩壊

Cureの中では3,4番目に好きなアルバムです。
アルバムとしてのまとまりはいつもながら素晴らしい。
わたしの体質に馴染みすぎるサウンドで、血は騒ぐが気持ちは冴えてしまう。
いつもながら外に出たくなくなる。
今更出てなんになる?

よく聴いたアルバムです。
わたしの精神的基調を形作った音であることに相違ありません。
「清濁併せ呑む」ではなく「毒食らわば皿まで」的な名曲ぞろいで堪らない。
耽美的とか叙情的とよく言われているが
それより遥かに腐敗臭に蒸れる退廃サウンドがこの上なく心地よい。

漆黒の毒の海の中にあえて居続ける。
事態を良くしよう、環境を変えようなど端から思いもしない。
そこに浸りきり、何もかもを吸い込み、喰らい散らし、
そこに居続けるこの俺を見ろ!それが答えだ!!

という世界。

もともとわたし、いや私の世代は、と一般化してはいけないか?
場面を主体的に変えるなどという発想はもとより持ち合わせていない。
自分でチャンネルを変えることなどしようともしない。
そんな思考パタンなどない。
すべての画像を自明として生きてきた。
多分これからも。

誰が北朝鮮の国民を笑える?

「お祭り騒ぎはもうおしまい」
「写真は置いていく」
「いつも結末は同じ 結末はいつも、、、」
Disintegration

最早、全的崩壊以外に道は無い!!!
全的崩壊以外に道は無い!!
崩壊以外に道は無い!







2014年1月8日水曜日

Where You Been / Dinosaur Jr. ダイナソーJr.無作為チョイス3

"Where You Been"だなんてJoy Divisionみたい。
”Not The Same”をよく聴いていました。
いろいろなアーティストから集めたベスト盤を作るのが趣味でしたもので。

しかし、今日聴きかえしてみると、これほどよくできた曲ばかりが詰め込まれていたのか、
ほとんど当時何にも聴いていなかったことに気づきます。

どの曲も憎たらしいほどよくできていいる。
この時期の他のオルタナとは次元の異なる表現力。
つまり、ドラムからギターに乗り換え、ハードコアもつまらなくなって止めたJが数年後にこれだけの音を出してしまう。演奏力とは、なにか?単にハードロックのギタリストの早弾きが凄いとかいうレベルではないことがよくよく認識できる音。どんな早弾きが出来ようが、このJのギターの表現力・演奏力の前では、軽い。軽すぎる。こちらに突き刺さる音の質量が段違いだ!

よくダイナソーの音は大音響で聴きましょうと言われてましたが、それもよく分かります。
耳で聴くというより体全体で音の洪水をまたは渦を受け止める。
そんなニュアンスなんでしょうね。まさに。
しかもこんなにゾクゾクするかっこ良い音に圧倒されることは大変心地良い。
快楽。
しかも何か元気になる。
元気になるような歌詞ではまったくないのですが。

しかし考えてみれば、すべての表現はそんなものです。
かつてカフカが絶望の極みの作品を書き上げた後、友人のマックスブロートと笑い転げたそうですが、無気力や怠慢や絶望などを対象化する場所にJがいるからこそ、その表現が可能となるんでしょう。
だいたいその只中にあって作品なんぞつくれますか?
これだけしっかりした表現ー商品を。
スタイリッシュなロックを。

Jは相当な勤勉な野心家ではないかと睨んでおります。
ところでこのアルバム、、、1992年ですね。
いまだにゾクゾクさせる




2014年1月7日火曜日

IONA Journey into the Morrn  イオナ

化粧品ではありません。
ロックバンドのイオナです。
しかし美を追求することを至上の使命と置くことでは
あながち無関係ではないでしょう。

どのようなバンドかといえば、一口に言えばグラナドをさらにプログレにブラッシュアップした感のバンドです。
エンヤの好きな方なら基本的に入り込めましょうか。
そう、ケルティックサウンドです。大変荘厳で重厚なうえ突き抜けるような清涼な広がりを感じさせるサウンドです。

アイルランドのロックバンド。
不動メンバーはコンポーザーでギタリストのデイブ・ベインブリッジとボーカルのジョアンヌ・ホッグです。後はアルバムごとに変わるメンバーなので、セッションミュージシャン的な位置と考えて良いようです。時折、プログレの代名詞とも言うべき大御所ロバート・フリップも参加していますので、気を付けなければなりません。6人編成です。今回もフィリップ翁がゲスト参加しております。

デイブは音楽一家に生まれて、音楽学校で正規の音楽教育を受けた人ですが、後にジェネシスの影響たっぷりのロックバンド、エクソダスを結成した人でもあります。
ジョアンヌは厳格な長老会牧師の父の元で声楽の英才教育を受け、自らの希望で医学博士となるためベルファスト医学大学に在籍していました。
もともと学業の傍らクリスチャンの芸術祭で歌っていた彼女をデイブが構想しているバンドのボーカリストを探していたプロジューサーが、目をつけたという経緯です。

デイブは、スティーブ・ハケットにも比較されるギター・テクニックをもち、その技巧をここでも余すところなく披露しています。リリカルで力強いため必然的にドラマティックな畳み掛けになりますが、とても覚めたクールなサウンドを保っています。
ボーカルは他に探そうとしても似た人は思いつきません。強いて言えば理知的なアニーハズラムという感じです。アニーの清純で天才的だが、どこか素人っぽいという部分が全くない声楽となっております。
完璧なボーカルです。

なお、このグループがケルトの物語をロック・フォーマットで音楽化すると言われるほどケルティックな雰囲気を強く湛えているのは、プロジューサーのケルト趣味の影響のようです。ですからこのプロジューサ^、エイドリアン・スネルは第三のメンバー的存在でありましょう。不動のプロデューサーです。

11:38のEngirglingはこのグループの真骨頂でしょう。
どんなグループかしらと興味をもたれる方はまずこれをお確かめください。
他にも良い曲、美しい曲はDivinePresenceなど、、、どれを聴いても良いですけど。






2014年1月6日月曜日

Man of Colours / ICEHOUSE アイスハウス 無作為No.2

オーストラリアのとても澄んだ透明水彩のような調べ
このアルバムはわたしのfavorite albumの一つであることに間違いありません。

The Dolphin Brothersから大英帝国の暗く重い靄を吹き消しメリハリを強調するとこんなサウンドになるかな、という感じです。
ロックを健康的と評するのは矛盾ですが、「表現」としての強度をもった強靭なポップさに満ちています。気持ち良いリリカルで美しい音楽です。
そして何故かというか当然と言ってしまってもよいか、このグループもYMOの高橋さんのごひいきというに留まらず、一緒にコンサートをやっております。やはりDolphinと共通項ありますね。
そういえばこの前作にはスティーブ・ジャンセンがゲスト参加していた。かのブライアン・イーノとともに。何だそんなに近かったのか。今まで気付かなかった(笑

同じオーストラリアでもクラウディット・ハウス(こっちもハウス)よりも音が構造的にしっかりしていて、一世代古いですがスプリット・エンズにむしろ近い高度な音楽性に支えられています。スプリット・エンズはわたしの敬愛する遊佐未森さんもお気に入りのアーティストです。
弾けるように鮮明なアクリル絵具で描いた、朝の煌びやかな海辺のような音楽です。
さすがはゴールド・コーストといった音楽。
(オーストラリアは他にもミッドナイト・オイルなどすばらしいミュージシャンがいますが、こちらは政治色が大変強い、、、おっとイン・エクセスも忘れてはいけない)

技術的な面で言えば、アイヴァ・デイヴィスが純粋なクラシック畑出身であることから、コンポーズがしっかりしていてアレンジにも無駄な音がない。アルバムは出すたびにポップになりボーカルスタイルはロック色をどんどん増しています。アイヴァ・デイヴィスのボーカルは囁いてもシャウトしても透明感溢れる美しい声楽です。しかし完全なロックグループとなり、実験色はまったく無くなりました。迷いのない自信に満ちた作品です。

シングルヒットしたCrazyやElectric Blueはもちろん、アルバムタイトル曲Man of Coloursの美しさ。
この曲はアメリカの画家アンドリュー・ワイエスのことを歌っています。屋根裏部屋で密かに絵を描く画家の話。アイヴァ・デイヴィスがここではギターの他に、専門のイングリッシュ・ホーンを吹いています。
透明にリリカルに静かに畳み込んできます。
色・絵をテーマにおいているためか、極めて空間性に満ちる作品です。

アルバム全編統一感がありますが、スローテンポのものからハイテンポンポのものまで、とても澄んだ透明水彩のような調べです。


やはりこのアルバムはわたしのfavorite albumの一つであることに間違いないことを確信しました。

2014年1月4日土曜日

Chairs Missung / WIRE 今日はワイヤーで

ワイヤーのアルバムを棚から無作為に取り出しました。
これからは、これで行きます!
無作為抽出!

このアルバムは何枚目でしょうか?

確か2枚目のような。
ファーストは輸入盤でしか手に入らなかったし。
まあ、これも輸入盤ですが。

パンクはデーボとかストラングラーズとか自らの乗る潮流に対し意識的・批判的なグループはその発言も含めて音-詩の説得力から商業的にも成功していましたが、実際ほとんどのグループは売れてなかったと思います。KING CRIMSONのロバート・フリップは政治的な意味で彼らを評価していましたし、ピーター・ハミルはいち早く自身パンクアルバムを作ってしまいましたが、一部先鋭的な意識の持ち主はパンクの果たす役割をすぐに見てとっていました。そう、デウィット・ボウイもですね。

「ロックでさえなければ何でも良い」が有名でした。
これでWireの立ち位置が明確に示され、他の勢いだけで突っ走っている有象無象とは、差別化されて評価されていました。
斯く言うわたしも、それで注目しました。
小泉調キャッチフレーズはやはり大切です。

曲も28曲構成。
鉄人の音楽集でも20曲まででした。
1曲が短い。
1番長いのでも5分47秒。

ということは、無駄な尾ひれがない。
ソリッド&シンプル!
言うべきことだけ伝え、どうでもよいこと無駄・曖昧・余計なことを根こそぎ、そぎ落とす。
そう、端からマイナスのメッセージ。研ぎ澄ましたナイフのようなシャープな音。

どうでもよさ・ブヨブヨしたぜい肉がロック界に蔓延して、リスナーがロックに求めてきた徹底した破壊力が完全に萎えてきてしまった。それを皮肉ったピンク・フロイドの「ウェルカムザマシーン」(あなたがここにいてほしい)などの反歌もビッグ・アーティストから出てきました。自覚的なミュージシャンはパンク・ムーブメントを予知し引き寄せようとしていました。ロックの自己浄化作用の促進剤として、警鐘としても。

そこで有効な作用を及ぼしたグループの一つがこのWireだと言えるでしょう。

今、聞き返してみて思い出しましたが、彼らは私の好きなシド・バレットに似ていると言われていましたっけ。
確かに、メンバーにシドがいてもおかしくない。ボーカルのスタイルも近いものです。
よかった。今回無作為チョイス企画をしたおかげで、わたしのなかでのWire再評価の機会がもてました。

Wireはデーボやストラングラーズ、ジス・ヒートのように純粋に音楽としての質をもっている。
これが、違いだと実感しました。
音楽である以上、音楽としての魅力がなければ商品価値はありません。
「自分たちをニューウェイヴだなんて思ったことはない。」
こうも言っていました。
かなりのコピーライターです。やはり「才能」があります。
言葉がないミュージシャンが少なくない中、彼らには確固たる言葉が核にあります。
そこが厳然と違います。

わたしは特にWireファンではなかったので、この2nd以降のことは確認していませんが、彼らがRockに対して果たした役割はそれこそ無駄ではなかったと思います。
これ以降に排出した{ニューウェイヴ」を見ても。



2014年1月1日水曜日

初夢見損なってもまだ2日あります。

『一富士、二鷹、三茄子』がキーワードです。
頑張りましょう。
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。


Lowについては、絵画、写真、音楽で今後も継続するつもりですが、
もっと範囲を絞って、絵画のある流派だけ特集するとかにしたら、と言われたことがあります。
確かにそうしたらコアな方が根強く来ていただけるかな、と思いましたが種がすぐ尽きてしまうのですね。それからあまりにもマニアックになりすぎますとドツボにハマってしまいそれこそ常連以外はお断り状況となったら、厳しいです。

開かれた絵画、写真、音楽について思いっきり素人の立場から鑑賞してその感動をお伝えするスタンスで行きたいと思っています。

今後とも宜しくお願いします。

またそろそろコメントも欲しいです。65記事に当たりますので。
是非、そちらの方もお願いします。