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2014年2月22日土曜日

フルートソナタ全集 ヘンデル~ペーター・ルーカス・グラーフ



ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル フルートソナタ全集 ペーター・ルーカス・グラーフ 
claves records Swizerland 1988 このアルバムです。

以前、NHKの日曜美術館で、このCDにあるソナタ ホ短調(ハレソナタ第2番) 最初のアダージョのフルートパートをバイオリンに編曲したものが絵画の紹介時に流れていてびっくりしたことを覚えています。誰の絵だったかもう全く印象も残っていないのですが、その時の楽曲だけ残っています。
この曲自体の素晴らしさなのでしょう。特にわたしの好きな楽曲で、ヘンデルの最も感動的なテーマの一つだと思います。
フルートでなくてもこれだけ聴かせるのか、と思いつつ浸りました。絵を見るためにその番組を見ていたのに、絵が飛んでしまって、流れた曲のことだけ覚えているのですから。
もともとわたしは、絵より音楽の方が好きなんでしょうね。どうだろう?
(とりあえず絵が専門なのですが(笑)

このソナタ全集は、わたしがフルートを習っていた遥か昔に、厳しいのですが必ず最後に褒めてくれる先生が練習曲ばかりではつまらないかも知れませんね、とこの全集の何故か8割くらいを網羅した楽譜をくれたのです。(と言っても購入したのですが。つまりご紹介頂いた訳です。)
練習曲ははっきり言って音楽として興味がどうにも湧かず、いつもほとんど見てこないので、先生も渋い顔をなさっていました。でもこの副楽譜は自分で吹いている下手くそな音でも聴きながら感動してしまい(笑
何度も吹いていったものです。
「よく練習してきましたね。自分なりの曲想を持ってよく吹けていましたよ。」などと言われ満更でもない気がしていました。
自分としては練習したつもりはなく、単に吹きたいから吹いていったのです。
勿論、次から小節ごとに赤を入れられ相当直されました。(言うまでもありませんが(笑)

わたしは基礎をやるのが好きではなく、最初の音出し訓練からへったっていた方ですので、吹き込んでゆくとボロが音に出てきていました。ブレス位置も含め、しっかりバレます。それだけで曲想が変わってしまいます。当たり前ですが。そこを先生がトレースすると、何と神々しい旋律か!?フルート自体が24Kで金のゴシック彫刻の眩い光を見ているようなのに(コンサート用の総プラチナも凄かったですが)、音がこれまた凄く心の強く靭やか、かつ煌びやかな響きなのでウットリしてしまうのです。(実はわたしはその時、技術だけでなくそのフルートにも嫉妬を覚えました。)

その音を、更に信じられない高みで鳴り響かせると、このグラーフ氏の音色となります!
良かった。そのときある程度のステレオコンポにしておいて。
まさに戦慄です!
それまで、ジャン・ピエール・ランパルをはじめ、かなりフルート奏者の演奏は聴いてきましたが、次元が異なっておりました。

わたしは、そこで自分の腕を上げなければならないとは感じず、フルートもそれなりのものにしなければ、と思い先生にも相談し「ムラマツ」の総銀ハンドメイドを購入しました。やっぱり楽器が良くないと良い音は出ないよ。ところが音出しからやってみると、そう簡単に音自体が出ないではないか?!焦りましたが、そのフルート結構肉厚で音がこれまでよりも出し難いことが分かり、少し真面目に取り組む必要性を自覚しました。(要するに少しは真面目にやれということです。)次第に出てくればこれまでとはかなり違う、重みのある美しさが、はっきり確認、出来ます。
やはり楽器自体が大事だな、と密かに思い次は「金」だと内心思いました。先生は悟っていないだろうなと顔を窺いながら。(誤魔化しなどすぐ見破ってしまう大変勘の良い先生なので、道具のせいにしているなと分かったところで宿題を二倍出されます。)
でも、この楽器に関しては(他はほとんど知りませんので)、物の良さが直接響きますね。やはり良い品質のものでないと良い曲は吹けません。フルートは何より、どれだけ美しい音を出すかがまず勝負ですから。勿論、運指の正確さは当然ですが。


今日は、まだ本題に入っていません(笑

アレグロは確かに運指の上でも難易度は高くなりますが、練習次第で吹けた気がしてきます。指が慣れてきますから。(勿論プロが聴いたら穴だらけです。)しかし、アダージョにおいては、相当な音出しをして、肺活量も十二分に持っていないと、とても小節を跨ぐこのテンポのスラーには耐えられません。ブレス位置は絶対です。それが曲を確定しますから。何を素人臭いことを言っているかといいますと、スローテンポの曲こそ偉大な演奏家の腕が素人耳にも克明に分かるのです。
グラーフ氏の領域に入るともう技術すら感じられません。
ランパル氏の場合ですと、上手い、よくこんなところに、こんなこじゃれた装飾を入れてきた。といちいち感心しながら聴いてしまうのですが。

この時期の楽譜は、バッハもそうですが、必要最低限のものしか作曲家は譜面に書き入れておらず、要所要所に装飾を誰もが入れて演奏しています。それが楽譜の解釈でもあります。わたしも随分解釈して装飾だらけにしてみました(爆
遊びですから気楽なもんです。

グラーフ氏の演奏はセンスが良いとかいうレベルではないです。明らかにランパル氏は極上のセンスの持ち主です。
上手いとかいうレベルをとっくに超越しているものです。
これは技術の積み重ねで到達するものなのか、それ以外の何かなのか?
彼の演奏がどれほどのものなのかは、プロの感想をご紹介して、それに代えさせて頂きます。
チェリスト奥田なな子氏の共演後のお話から引用します

終演後、グラーフさんと記念に。
華やかで綺麗ではあるのですが正直なところ、フルートという楽器にどうしても興味がわかず、
今回も、すごいお方がいらっしゃるとは聞いていたのですが、管楽器と弦の音色って全く別枠でどうしてもうまくまざらないような気がしていたので、今回のクァルテット、どうなんだろうと思っていたのですが、もうグラーフさんの言葉に表せない演奏、音色に鳥肌がたち、その音色に吸い寄せられるように自分のチェロの音までぐんぐん美しくなっていくような感じで、彼と演奏した時間は本当に感動的で幸せなひとときでした。こんな貴重な演奏の経験、この先あるのだろうかと疑問に思うくらい、素晴らしい経験でした。二日目の本番の時も演奏しながら、この幸せなひとときがもうすぐ終わってしまうという事が悲しく思えるほどでした。
彼の音をしっかり耳に焼き付けたので一生忘れないように自分の頭の中で鳴らしています。

グラーフさん、もうスイスに戻られたかな。。。

演奏もさることながら、83歳というご高齢でありながら、指揮も演奏も全く年を感じさせないその若々しさ、背中もまっすぐで颯爽と歩かれるそのお姿に皆が驚いていました。


しばらくグラーフさんのあの演奏の余韻に浸っていたいです。


チェリスト奥田なな子氏との共演後。管・弦の共演もまた素晴らしく良かったようです。
わたしの話は自分のことばかりでした。最後の引用だけでよかったかも知れません。
本当の音を間近で直接聴くことの重要さを感じました。
わたしもかつてお師匠のコンサートは聴きに行きましたが、フルートがこれほど「強い音」の出る楽器だとはそれまで知りませんでした。

それ以外は、ストラングラーズなどの爆音をよく間近に聴きに行って耳を痛めました(爆

2014年2月19日水曜日

NewOrder~GetReady

はい、恒例の無作為チョイスです。
出ました。NewOrder!
彼らについては後、10年は語るつもりはなかったのですが、仕方ない。


このアルバムは2001年発表。
前作から8年空けての8作目です。
まさかNewOrderがGetReady?
合わない。

違和感を感じ聴いてみるとNewOrderなんだけど、ちょっと待て。
PrimitiveNotionで分かった!
これはディスコではなくロックです。
もはやゴシック様式ではないけれど。

おお来たか!
という作品はNewOrderの新作というより、再生したJoyDivisionの作品でした。

これは紛れもなくJoyDivisionの復活です。
ついに時熟をみました。
NewOrderを通過して孵化したJoyDivisionに他ありません。
もう一回PrimitiveNotion聴き直して確認してみよ。
いやのっけからCrystalではないか?そこで気づけ!

ただ、ボーカルがイアンでないだけの。
知っている人ならこれだけ言えばわかるはずですが、わかる類の人なら既にこれを買って100回は聴きこんだでしょうから、わざわざ書くまでもない。

CloseRangeのようなNewOrder然とした音ももちろんありますが、これも感涙ものとは言え。
もうみんな相当な歳に達しているのに、この若々しくも瑞々しい苦悩。
その懐かしい唯一無比のサウンド。
いいんだこれで。
ほんとうに音楽にDNAを感じます。
逃れ難い宿命。
JoyDivisionに感じた共振・共感がそのままに蘇ってきます。
そしてNewOrderの甘味で気怠い感動。
そのないまぜになった毒。

TurnMyWayそしてViciousSteak
このカットアップする光景の既視感は何なのだろう?
めくるめく郷愁と焦慮の念。

そう。
わたしには忘れられないものがある!


いいんです。
大人になる必要なんてない。
われわれは最初から大人になる運命にはない。
情けないままに純化していけばよい。
そのままCrystalに結晶するんだ。






2014年2月18日火曜日

Bjork~ビョークの家 ムーミン谷のどこかにあるような

最初にこれを見たときは、ナンダコレハ!とただ唖然としました。
ビョークのお家なんですね。

アイスランドの歌姫(Bjork)は世界中のホテル住まいを経験する達人で、屋根の上でも料理ができると述べているます。洗濯も得意だそうです。いつも旅行に出るときはスーツケース5つ持って出かけるといいます。その中には花瓶と本もどっさり詰め込んでゆくそうです。
コンサートを世界各地でするのですからホテルに泊まるのは当然ですけど。
それにしても、アイスランドからプレゼントされた家というか土地というか、凄いものですねえ。
こんな家に(土地に)住んでいるとどういう世界観になるのかな、と思いますが、彼女の曲を聴いても、それについては今ひとつ分かりません。しかし何らかの影響は反映されていることでしょう。


家そのものは、特に変わった外観ではありません。
素敵な家です。
ここで息子さんと一緒に住んでいるのでしょうか?
何でも窓辺にはムーミンがいるそうですが。
ちょっとこの距離では分かりかねます。
中も是非見てみたいものです。
わたしは人の書斎など見るのが趣味なので、見てみたい。
こうやって見ると普通の住宅に見えるのですが、この家がどこにあるかというと、もう一度少し引いて見ます。
こういうところにあります。
さらに凄さが窺えます。ムーミン谷の住人かと思ってしまいます。
でもこの地形だと、改めて上下水道や電気・ガスの心配をしてしまうのです。
地下ケーブルなんて通ってるのでしょうか?でも、
ここにソーラーパネルか風力発電、または波による発電装置を設置すれば電力は充分まかなえそうです。
水道についてはどうなのか?
息子さんは学校に行くの大変じゃないか?
普通に暮らしているなら、もとよりわたしの心配するところではありませんが(笑
ビョークなら、「寝る前に洋服を洗う方法を知っていると、朝起きたときにはキレイに仕上がっているものよ。そして毎朝小さなストーブを使ってホテルの屋根でおかゆを作るの」と言っているように、18歳から人生の半分をホテルで暮らしているという彼女は、どこでも自分の家に仕立ててしまう名人のようです。この場所にある我が家も快適な住まいにしていることでしょう。

さて、ミュージシャンとしても女優としても特別な位置にいるビョークですが、SugarCubesからのファンであるわたしとしては、特に好きな曲が2ダースはあります。
ひとつご紹介と思いましたが、ライブが良いかなと探すと超定番ですが(笑、これがよいかな、やっぱり。
ということで、耳にタコのできるほど聴いたものですが、やはり名曲中の名曲に違いありません。







2014年2月15日土曜日

サンディ・オールオーバー・ザ・ワールド Sunday All Over The World

目をつぶってCDを引き抜いたらこれが当たりました。
雪の日はなぜか空気圧に押し潰されそうになって、呼吸困難に陥っていました。

苦しくて、一日中何も手につきませんでした。
空間を圧し尽くす白い毒で世界が漆黒でした。

もう流石に、Starless and Bible Blackでもない。これはカート・コバーンが最も影響を受けたアルバム”Red”の最終曲。とても良く分かる。
でも、もうクラシック音楽である。
コンテンポラリーミュージックとしては終わっている。(なんと古臭い言い回し)

さて、息詰まりもDisciplineが足りないからかもしれません。
無理やり起き上がり、何かを聴こうとしたら、、、これでした。

わたしはDiscipline以降のCrimsonに馴染めず、というよりわざと聴かずに来てしまったのです。
勿論、アルバムはわたしの精神的基調をプロコルハルムとともに形作ったバンドですから、出れば買います。でも買っただけで正直、聴いてません。持ってるだけ(笑
ファンの風上にもおけねえ奴です。

でも、Sunday All Over The Worldは聴ける。
とても気持ち良い。
リーグ・オブ・クラフィティ・ギタリスツ、リーグ・オブ・ジェントルマンの気持ちよさに接続します。これらに連結した現代音楽的ロックです。クラシック的なロックでは全くない。
あの胸糞悪いイタリアとかイギリスの無自覚なロックによくある自意識汚物垂れ流しの気持ち悪い音ではなく、ジャーマンロック的な実験性に富んだ、まやかしのない現代音楽です。
クラフトワークやノイ、ファウスト、カン、グルグル、ラ・デュッセルドルフ、初期タンジェリンドリームなどと一緒に聴けるものです。
イギリスでは現代音楽としては唯一、エッグ。
クラシックの方法論を血肉として楽曲を制作したのはELP。
クラシックの素養を裂け目なく見事にロックに昇華したのはルネサンス、ジェントル・ジャイアント、プロコルハルム。
クラシックとジャズの融合では、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニとアルティ・エ・メスティエリ
というところでしょうか。


そして、
この音、サウンドがDiscipline以前、第二期最後のRed以降の音ーサウンドに思えるのです。
時系列からするとこのSunday All Over The World は、Discipline以後の制作なのですが。
わたしは、エイドリアン・ブリューのギターが虫唾の走るほど大嫌いで絶対に認めがたいものなので、Redの次(~ギタリスツを挟んで良いので)がこれであれば幸せでした。
つまり、ロバート・フリップのギターを聴きたいのです。
ギターはロバート・フリップなのです!
それ以外の雑音はほとんど耳に入らないので。
唯一無二の真のギターが聴きたい。奇をてらった妙ちきりんな自己顕示欲しかない馬鹿げたギターなんぞ糞くらえです!!!

わたしは、ロバート・フリップ、スティーブ・ハケット、ロビン・トロワー以外のギタリストにはあまり耳が傾かない。
じゃあ、エリック・クラプトンはどうなんだ?という声がすぐに聞こえてきますが、彼を嫌う理由があるはず無いでしょ。ジミー・ペイジもしかり。変なこと聞かないでください。

でも好きなのは上の3人です。


いま、Discipline以降の音をあまり聞く気が起きないのですが、このSunday All Over The World は聴けるという話をしています(爆

でももう時間だ。

そうこのように雪が降り積もる時の止まった空間は、”世界中どこもかしこも日曜日”、なのです。

発狂する白日夢。

NewOrderのBlueMondayが聴こえる。あるいはキャバレ・ボルテールの3マントラズ。



2014年1月17日金曜日

PJ HARVEY ~ RID OF ME 無作為チョイス

PJハーヴェイは、昨日書いたレディオ・ヘッドともLive共演しています。
更にヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲第3番」がお気に入りということ。
デビュー時からその意志の強そうな強烈な印象を残すルックスと共にそのサウンドが大変注目されていた。圧倒的な存在だと各評論家が揃って驚嘆していたのを今でも覚えています。
これらのことから、わたしも彼女のデビューアルバムから聴きだしました。

PJハーヴェイは彼女というアーティストを指すのだと思っていましたら、何とPJハーヴェイというトリオグループだそうで、その中心人物がPJハーヴェイだということです。
曲はすべて彼女のコンポーズによりますが、あくまでも彼女はヴォーカル・ギター担当なのです。
普通そのような場合、PJハーヴェイバンドとか名乗るものですが。
このファーストは1993年です。

とかく歌詞が取り沙汰されていましたが、わたしはほとんど歌詞を訳してまで確かめようとは思わないのと、輸入盤では歌詞がないことが多く、何歌ってるのか分からないことが多いのです。
サウンドの善し悪しですね。
わたしの場合、音楽は。

ギターのリフはジャズやブルースとロックを分ける大きな要素で、リフのカッコよさといえばストーンズやクリームなどがまず元祖ですが、彼女のリフはその頃のカッコよさ本質力を強く感じます。
率直さの強さ、曖昧のなさ、わたし等身大の音にこだわり続ける。絶対にわたしから離れない誠実さ。これだけはよく分かります。

「フェミニズム」などを歌わないヒトであることは間違いない。
信用できる表現者です。
もともと彫刻家を目指していたそうです。
母親が彫刻家で。楽器もサキソフォンをやっていたらしく、ギターはバンドを組むにあたってはじめたのだそうです。

音楽がダメになったらまた彫刻に戻ると言っていたそうですが。
音楽の方が直接的でしょう。
音楽の破壊力に気づいてしまったからには、もう戻れないでしょう。

このサウンドは紛れもなく闘いそのものです。
自分のための闘い。
解放のための闘い。




2014年1月16日木曜日

OK Computer / Radiohead ラディオヘッド 無作為チョイス

PARANOID・ANDROID聴くと、いまだにゾクゾクしますね。
ゾクゾクします!
KARMA・POLICE
1997年ですからそんなに古いわけではない。
だいたい、、、
CLIMBING UP THE WALLS
のどこが古い?!

わたしが音楽CDとか買わなくなってから、もう10年以上経ちますから。
もちろん、iTunes Music Storeから時折、昔の曲をゴソッとまとめて買ったりもしていますが。
最近のmusic事情には、とんと疎い。
調べる気もしない。

子供の頃から、ヨーロッパの曲しか聞かず、高校・大学時代はそれが徹底していました。
アメリカとなると、ルー・リード(ベルヴェットアンダーグランド)とかトム・ヴァーラインとかその匂いのするもの以外は唾棄していました。
日本のロック?ありえない(大笑
日本のあの特有の音階がそもそも体質的に本質的に受け入れられない。
何よりも日本文化が反吐の出るほど大嫌いでしたから!
侘び寂びって何ですか!!
最近まで日本の音がどうにも聴けませんでした。

(宇多田ヒカルを聴きだすまでは。この天才が出てこなければ、いまだに聴いてなかったでしょう。それからです。遡行して聴き始めたのは。最近では、吉岡聖恵さんも聴いています。TVなどで。あの「サクラ」の音階はまさに日本!)


ですから、ヨーッロッパを体現するこのオルタナがほとんど子守唄のように聴こえます。
距離がない。わたしの心臓の鼓動にぴたっと共鳴する。
外から来ているのか遥か以前から内に唸り続けてきたものなのか。
ロックはサボテンを枯らすというが、わたしはその音でないと生きれない。
毒がわたしの主食だ、確かに。
致死量の100億倍も毒を食らってもまだ足りない!
全然足りない!
日本というといまだに構えてしまうが、こういった音楽はあまりに近過ぎます。
あまりにフィットしすぎる!

ともかく体質に合う音なので、あれこれ対象化して言う気にもならないのですが。
何というか、活性化する音です。
生命にとって劇薬であっても、存在にとっては至高の薬です。
エントロピーの矢に向けて激走する音楽です。
滅び、腐敗、崩壊、消滅に向けひたすら走るわれわれの讃歌!!!








2014年1月10日金曜日

Disintegration / The Cure キュアです。

崩壊

Cureの中では3,4番目に好きなアルバムです。
アルバムとしてのまとまりはいつもながら素晴らしい。
わたしの体質に馴染みすぎるサウンドで、血は騒ぐが気持ちは冴えてしまう。
いつもながら外に出たくなくなる。
今更出てなんになる?

よく聴いたアルバムです。
わたしの精神的基調を形作った音であることに相違ありません。
「清濁併せ呑む」ではなく「毒食らわば皿まで」的な名曲ぞろいで堪らない。
耽美的とか叙情的とよく言われているが
それより遥かに腐敗臭に蒸れる退廃サウンドがこの上なく心地よい。

漆黒の毒の海の中にあえて居続ける。
事態を良くしよう、環境を変えようなど端から思いもしない。
そこに浸りきり、何もかもを吸い込み、喰らい散らし、
そこに居続けるこの俺を見ろ!それが答えだ!!

という世界。

もともとわたし、いや私の世代は、と一般化してはいけないか?
場面を主体的に変えるなどという発想はもとより持ち合わせていない。
自分でチャンネルを変えることなどしようともしない。
そんな思考パタンなどない。
すべての画像を自明として生きてきた。
多分これからも。

誰が北朝鮮の国民を笑える?

「お祭り騒ぎはもうおしまい」
「写真は置いていく」
「いつも結末は同じ 結末はいつも、、、」
Disintegration

最早、全的崩壊以外に道は無い!!!
全的崩壊以外に道は無い!!
崩壊以外に道は無い!







2014年1月8日水曜日

Where You Been / Dinosaur Jr. ダイナソーJr.無作為チョイス3

"Where You Been"だなんてJoy Divisionみたい。
”Not The Same”をよく聴いていました。
いろいろなアーティストから集めたベスト盤を作るのが趣味でしたもので。

しかし、今日聴きかえしてみると、これほどよくできた曲ばかりが詰め込まれていたのか、
ほとんど当時何にも聴いていなかったことに気づきます。

どの曲も憎たらしいほどよくできていいる。
この時期の他のオルタナとは次元の異なる表現力。
つまり、ドラムからギターに乗り換え、ハードコアもつまらなくなって止めたJが数年後にこれだけの音を出してしまう。演奏力とは、なにか?単にハードロックのギタリストの早弾きが凄いとかいうレベルではないことがよくよく認識できる音。どんな早弾きが出来ようが、このJのギターの表現力・演奏力の前では、軽い。軽すぎる。こちらに突き刺さる音の質量が段違いだ!

よくダイナソーの音は大音響で聴きましょうと言われてましたが、それもよく分かります。
耳で聴くというより体全体で音の洪水をまたは渦を受け止める。
そんなニュアンスなんでしょうね。まさに。
しかもこんなにゾクゾクするかっこ良い音に圧倒されることは大変心地良い。
快楽。
しかも何か元気になる。
元気になるような歌詞ではまったくないのですが。

しかし考えてみれば、すべての表現はそんなものです。
かつてカフカが絶望の極みの作品を書き上げた後、友人のマックスブロートと笑い転げたそうですが、無気力や怠慢や絶望などを対象化する場所にJがいるからこそ、その表現が可能となるんでしょう。
だいたいその只中にあって作品なんぞつくれますか?
これだけしっかりした表現ー商品を。
スタイリッシュなロックを。

Jは相当な勤勉な野心家ではないかと睨んでおります。
ところでこのアルバム、、、1992年ですね。
いまだにゾクゾクさせる




2014年1月7日火曜日

IONA Journey into the Morrn  イオナ

化粧品ではありません。
ロックバンドのイオナです。
しかし美を追求することを至上の使命と置くことでは
あながち無関係ではないでしょう。

どのようなバンドかといえば、一口に言えばグラナドをさらにプログレにブラッシュアップした感のバンドです。
エンヤの好きな方なら基本的に入り込めましょうか。
そう、ケルティックサウンドです。大変荘厳で重厚なうえ突き抜けるような清涼な広がりを感じさせるサウンドです。

アイルランドのロックバンド。
不動メンバーはコンポーザーでギタリストのデイブ・ベインブリッジとボーカルのジョアンヌ・ホッグです。後はアルバムごとに変わるメンバーなので、セッションミュージシャン的な位置と考えて良いようです。時折、プログレの代名詞とも言うべき大御所ロバート・フリップも参加していますので、気を付けなければなりません。6人編成です。今回もフィリップ翁がゲスト参加しております。

デイブは音楽一家に生まれて、音楽学校で正規の音楽教育を受けた人ですが、後にジェネシスの影響たっぷりのロックバンド、エクソダスを結成した人でもあります。
ジョアンヌは厳格な長老会牧師の父の元で声楽の英才教育を受け、自らの希望で医学博士となるためベルファスト医学大学に在籍していました。
もともと学業の傍らクリスチャンの芸術祭で歌っていた彼女をデイブが構想しているバンドのボーカリストを探していたプロジューサーが、目をつけたという経緯です。

デイブは、スティーブ・ハケットにも比較されるギター・テクニックをもち、その技巧をここでも余すところなく披露しています。リリカルで力強いため必然的にドラマティックな畳み掛けになりますが、とても覚めたクールなサウンドを保っています。
ボーカルは他に探そうとしても似た人は思いつきません。強いて言えば理知的なアニーハズラムという感じです。アニーの清純で天才的だが、どこか素人っぽいという部分が全くない声楽となっております。
完璧なボーカルです。

なお、このグループがケルトの物語をロック・フォーマットで音楽化すると言われるほどケルティックな雰囲気を強く湛えているのは、プロジューサーのケルト趣味の影響のようです。ですからこのプロジューサ^、エイドリアン・スネルは第三のメンバー的存在でありましょう。不動のプロデューサーです。

11:38のEngirglingはこのグループの真骨頂でしょう。
どんなグループかしらと興味をもたれる方はまずこれをお確かめください。
他にも良い曲、美しい曲はDivinePresenceなど、、、どれを聴いても良いですけど。






2014年1月6日月曜日

Man of Colours / ICEHOUSE アイスハウス 無作為No.2

オーストラリアのとても澄んだ透明水彩のような調べ
このアルバムはわたしのfavorite albumの一つであることに間違いありません。

The Dolphin Brothersから大英帝国の暗く重い靄を吹き消しメリハリを強調するとこんなサウンドになるかな、という感じです。
ロックを健康的と評するのは矛盾ですが、「表現」としての強度をもった強靭なポップさに満ちています。気持ち良いリリカルで美しい音楽です。
そして何故かというか当然と言ってしまってもよいか、このグループもYMOの高橋さんのごひいきというに留まらず、一緒にコンサートをやっております。やはりDolphinと共通項ありますね。
そういえばこの前作にはスティーブ・ジャンセンがゲスト参加していた。かのブライアン・イーノとともに。何だそんなに近かったのか。今まで気付かなかった(笑

同じオーストラリアでもクラウディット・ハウス(こっちもハウス)よりも音が構造的にしっかりしていて、一世代古いですがスプリット・エンズにむしろ近い高度な音楽性に支えられています。スプリット・エンズはわたしの敬愛する遊佐未森さんもお気に入りのアーティストです。
弾けるように鮮明なアクリル絵具で描いた、朝の煌びやかな海辺のような音楽です。
さすがはゴールド・コーストといった音楽。
(オーストラリアは他にもミッドナイト・オイルなどすばらしいミュージシャンがいますが、こちらは政治色が大変強い、、、おっとイン・エクセスも忘れてはいけない)

技術的な面で言えば、アイヴァ・デイヴィスが純粋なクラシック畑出身であることから、コンポーズがしっかりしていてアレンジにも無駄な音がない。アルバムは出すたびにポップになりボーカルスタイルはロック色をどんどん増しています。アイヴァ・デイヴィスのボーカルは囁いてもシャウトしても透明感溢れる美しい声楽です。しかし完全なロックグループとなり、実験色はまったく無くなりました。迷いのない自信に満ちた作品です。

シングルヒットしたCrazyやElectric Blueはもちろん、アルバムタイトル曲Man of Coloursの美しさ。
この曲はアメリカの画家アンドリュー・ワイエスのことを歌っています。屋根裏部屋で密かに絵を描く画家の話。アイヴァ・デイヴィスがここではギターの他に、専門のイングリッシュ・ホーンを吹いています。
透明にリリカルに静かに畳み込んできます。
色・絵をテーマにおいているためか、極めて空間性に満ちる作品です。

アルバム全編統一感がありますが、スローテンポのものからハイテンポンポのものまで、とても澄んだ透明水彩のような調べです。


やはりこのアルバムはわたしのfavorite albumの一つであることに間違いないことを確信しました。

2014年1月4日土曜日

Chairs Missung / WIRE 今日はワイヤーで

ワイヤーのアルバムを棚から無作為に取り出しました。
これからは、これで行きます!
無作為抽出!

このアルバムは何枚目でしょうか?

確か2枚目のような。
ファーストは輸入盤でしか手に入らなかったし。
まあ、これも輸入盤ですが。

パンクはデーボとかストラングラーズとか自らの乗る潮流に対し意識的・批判的なグループはその発言も含めて音-詩の説得力から商業的にも成功していましたが、実際ほとんどのグループは売れてなかったと思います。KING CRIMSONのロバート・フリップは政治的な意味で彼らを評価していましたし、ピーター・ハミルはいち早く自身パンクアルバムを作ってしまいましたが、一部先鋭的な意識の持ち主はパンクの果たす役割をすぐに見てとっていました。そう、デウィット・ボウイもですね。

「ロックでさえなければ何でも良い」が有名でした。
これでWireの立ち位置が明確に示され、他の勢いだけで突っ走っている有象無象とは、差別化されて評価されていました。
斯く言うわたしも、それで注目しました。
小泉調キャッチフレーズはやはり大切です。

曲も28曲構成。
鉄人の音楽集でも20曲まででした。
1曲が短い。
1番長いのでも5分47秒。

ということは、無駄な尾ひれがない。
ソリッド&シンプル!
言うべきことだけ伝え、どうでもよいこと無駄・曖昧・余計なことを根こそぎ、そぎ落とす。
そう、端からマイナスのメッセージ。研ぎ澄ましたナイフのようなシャープな音。

どうでもよさ・ブヨブヨしたぜい肉がロック界に蔓延して、リスナーがロックに求めてきた徹底した破壊力が完全に萎えてきてしまった。それを皮肉ったピンク・フロイドの「ウェルカムザマシーン」(あなたがここにいてほしい)などの反歌もビッグ・アーティストから出てきました。自覚的なミュージシャンはパンク・ムーブメントを予知し引き寄せようとしていました。ロックの自己浄化作用の促進剤として、警鐘としても。

そこで有効な作用を及ぼしたグループの一つがこのWireだと言えるでしょう。

今、聞き返してみて思い出しましたが、彼らは私の好きなシド・バレットに似ていると言われていましたっけ。
確かに、メンバーにシドがいてもおかしくない。ボーカルのスタイルも近いものです。
よかった。今回無作為チョイス企画をしたおかげで、わたしのなかでのWire再評価の機会がもてました。

Wireはデーボやストラングラーズ、ジス・ヒートのように純粋に音楽としての質をもっている。
これが、違いだと実感しました。
音楽である以上、音楽としての魅力がなければ商品価値はありません。
「自分たちをニューウェイヴだなんて思ったことはない。」
こうも言っていました。
かなりのコピーライターです。やはり「才能」があります。
言葉がないミュージシャンが少なくない中、彼らには確固たる言葉が核にあります。
そこが厳然と違います。

わたしは特にWireファンではなかったので、この2nd以降のことは確認していませんが、彼らがRockに対して果たした役割はそれこそ無駄ではなかったと思います。
これ以降に排出した{ニューウェイヴ」を見ても。



2013年12月28日土曜日

The Dolphin Brothers / Catch The Fall

The Dolphin Brothersとは、Japanのメンバーであるドラムのスティーブ・ジャンセンとキーボードのリチャード・バルビエリのグループです。どうやら、彼らはボーカルのポップナンバーを発表する際にThe Dolphin Brothersと名乗るみたいです。それ以外のときは、”ジャンセン・バルビエリ”または、”ジャンセン・バルビエリ・カーン”だったりします。


アルバムによって、あら、外しちゃったと思うものと、最初から素晴らしいと分かっていて買うもの、そして未知数のもので多少の勇気を持って買ったら大あたりですごく得したというものがありますが、これは3番目に当たる大当たりアルバムです。

こういうのをご紹介できると嬉しいものです。


JAPANは断るまでもないビッグネームですし、デビッド・シルビアンはデビッド・ボウイよりも下手すると有名かも知れません。ミック・カーンもかなり名は知れています。しかしスティーブ・ジャンセンとリチャード・バルビエリのデュオだよ、と言われてピンとくる人はさほど多くはないと思われます。あくまでもJAPANのメンバーとして知っているだけの人が多いのでは。
そしてJAPANやデビッド・シルビアンなら即買いという人も、このデュオの音を聞いたことのない方は、微妙と思ってすぐに手は出せないかと推測します。

しかしまったく微妙ではありません。キーボードとドラムそして大変控えめなボーカルで、これほどポップで素敵なアルバムが出来てしまうのだ、というお見本のようなアルバムです。もちろんゲストミュージシャンとしてギターとベースは呼んでいます。
あくまでも基本はキーボードとドラムそして大変控えめなボーカルですが。
デビッド・シルビアンも間違ってもシャウトしたり叫んだりするようなボーカルではありませんが、この弟のほうは、さらに徹底してアグレッシブなものすべてと無縁に思えるボーカルです。
何言ってるか聴き取れない位のボーカルです。
スタイルとしてではなく、本質的に。
元祖草食系ボーカルと呼ばせてください。

このビートは骨格はしっかりしていますが極めて静謐であり宗教的な雰囲気を湛えています。
宗教と言っても大変激しいエナジーを真向から食らうタイプのものがありますが、その対極にあるものです。何といっても元がJAPANですから。

サウンドとしてはどの曲も大変聴きやすく、すーっと曲のほうから耳に入り込んでくると言ってよいような。また、旋律が良い。大変きれいです。そしてポップでテンポが速くても全くハードでない。もちろんヘビーにはなりようがない。そんな曲たちです。どれも。
でも軽やかとか軽いというのとは似て非なる音です。
核がはっきりあってしっかりしたヴィジョンに支えられ一音一音が確かに響いて流れてゆきます。
内省的に繊細にひたすら。


ブライアン・イーノを想わせるサウンドです。
一度聴いたらいつまでも耳に、脳裏に残り続けます。
ひとたび心を捉えたら忘れることは不可能な音楽です。

シンプルであるため何時でも何処でも思い出してしまう。


恐るべき呪縛的草食系!(小泉流に言えば)

YMOの高橋さんもお気に入りのデュオだとか。
ものすごく納得(爆

どこかで見つけたら、買いだと思います。
1987年Virginから発売。

それから、ビデオ・DVDがあったら、「NASAのPV」があるかどうか確認してみてください。
トワイライト・ゾーンのなかのあまりにも美しいPVです。曲はひたすら厳かで抒情的で静謐極まりなく流れ、淡々と巨大なロケットが昼でも夜でもない時間帯に運ばれてゆくドキュメンタリー映像です。まさに音楽と映像世界が一体化した、NASAの神々しい光景なのです。
これは、ドルフィンではなく、通常のジャンセン・バルビエリで作っています。








2013年12月26日木曜日

ピーターハミル ”Fool's Mate” 雑誌もすべて持ってます。


わたしの大好きなアーティスト、ピーターハミルについて書こうと思います。


渋いと思われる方も少なくないでしょうが、時折無性に聴きたくなるひとなのです。
頭の中でよく鳴り出します。
ロバートフリップやピーターガブリエルと並ぶロックアーティストと呼べるでしょう。


来日もしたようですね。
とてもファンとも思えない言い方ですが、私はもう15年はロックをまともに聴いていませんし、
お気に入りのアーティストの動向を追ったりもしていません。
コンサートなど行ける可能性が0である以上、CDに気づけば購入するかどうか、というところです。
最近は、もっぱらiTunesからのダウンロードで済ませてもいます。
CDは兎角がさばるので。LPよりはましですが。


そういえば、かつてiTunesから購入した曲がかなりの数消えているのですが、どなたかそのような経験された方いますか?
何故なのか、原因に思い当たることがないのですが、困りました。
一度、買っているので再度ダウンロードすればよいかとは思っていますが、曲自体、正確に覚えていないのです。



済みません。余計なお喋りでした。
では、今回からピーターハミルのアルバムについて書きます。
”Fool's Mate”71年ファーストソロ。(実はどれでもよいのです。ピーターの場合は。)
これに合わせて、日本でFool's Mateという音楽雑誌も生まれ、私は素人同人誌そのもののような創刊号からずっと読み続けていました。
当時編集長の北村さんという方から直接取り寄せていました。感性的に共鳴でき、音楽誌の中で一番好きでした。
基本ピーターハミル・VDGGファンクラブ的な出発と言ってよいでしょう。
確か北村さんは日野敬三さんと対談もされていたと思います。
そういう方の雑誌です。あらゆる面で、しっくり読めるはずです。次回が楽しみでした。


話を戻します。”Fool's Mate”です。
自身率いるバンド”VDGG”のアルバムと比べると、各曲が短くポップで軽やかで少しばかり温かみを感じますが、ピーター以外の誰からも出てこない魅力的なチューンばかりです。
VDGGの曲として出しても特に問題はないでしょう。何故ならピーターが手掛けるものはみな同じに聴こえるからです。そのボーカルと旋律からも。
ましてやこのアルバム、VDGGのメンバー全員が参加しているのですから、なおさらです。(あまりソロの意味もないような感じですが)


どの曲も明らかにピーターハミル節とでも呼べる独特の旋律ーサウンドそしてボーカルでハードに、ポップに、スローに流れてゆきます。
しかしその短さとポップさストレートさはVDGGの圧倒的に重厚・荘厳でドラマチックに展開するサウンドとスケールは異なります。
曲の尺の問題ですが。内容は死をテーマとしたものなど、いつもの内省的な世界です。
パンクの先駆けだと評する評論家がいましたがホントに達見です。
疾走するVDGGとでも呼べそうな。


何と、なかにはロバートフリップがマンドリン弾いている曲もあります。
ピーターは確かにプログレッシブロックアーティストでありますが、そのスタイルはルーリードが詩人であるように、ピーターも詩集を出版している純然たる詩人であるため、歌詩ーボーカルの重みが他のプログレとは異なります。所謂プログレがサウンドーインストロメンタル中心で歌詞を中に埋め込むのに対し完全に詩が中心に縦横無尽に謳われるサウンドです。ここがピーター&VDGGの特異なところです。


よくアルバムごとに曲が変わってゆき、成長が認められるという類のミュージシャンがいますが、ピーターには無縁の評です。
彼は最初からまったく変わりません。マサチューセッツ工科大学でグループが生まれてからずっと。
常に詩に旋律がそしてサウンドが纏わりついて複雑に展開・進行してゆき迷宮に我々を誘ってゆきます。
彼の作品群のどの断面を見てもそこに聴けるのはピーターの澄んだサウンドです。不純物0の。
100年間ずっとアルバムを出し続けていようと不変だと断言する他ないピーターのサウンド。
それを指して私たちは”ピーターハミル”と呼んでいるのです。


なお、もしピーターハミルを初めて体験されるのなら、このアルバム推奨します。 彼の世界のエッセンスが詰まっていますので。

2013年11月14日木曜日

Procol Harum プロコルハルム 10/10

9. Procol's Ninth          1975
何よりも大きな変化はプロデューサージェリー・リバー&マイク・ストラーというわたしはまったく馴染みがなかったが、AOR界では大変著名な実力プロデューサーということだ。

プログレッシブ界(と便宜的に言っておくと)の動向は、1曲45分位の楽曲を研ぎ澄ました演奏テクニックで畳み掛けるように聴かせる、心臓の弱いリスナーにはついていけないようなアルバム制作が続いている一方で、ピーター・ハミルのように、そのサウンド作りの張本人だったようなアーティストが短くハード&ストレートな革新的な曲(パンクの原型)を出してきた。ドイツの自覚的なアーティストたちはすでに3年くらい前からポストロックに走り、CAN、NEU!、FAUST等、KRAFTWERK以外にも飛び抜けた世界観と発想とテクニークを持つアーティストアーティストたちがいよいよ台頭してきていた。どれも聴いていてその革新性がどうのこうの言う前に、圧倒的に気持ちがよい。
間違いなく彼等が強力なニューウェイブとなることが、自然に納得できるサウンドであった。
さて、新プロコルハルムプロデューサーコンビからの答えである。
多分、彼等はAOR専門家であるため、その型に嵌め込む以外の発想はなかったと見える。そのプロデューサーチームを選んだ時点で答えは決まっていた。
ゲーリーがいるのでプロコルハルムの曲が聴けることは保証される。例えビートルズのカヴァーを歌おうと、彼のボーカルがある。しかし何でよりによってエイトディズアウイークか?エスペラントのエリノアリグビーのような奇跡的な大傑作カヴァーもあるなかで、この曲ではさすがのゲーリーも料理のしようがない。というよりそのまま歌うように指示されたのか?
しかし、彼が自分のしたくないことをしぶしぶ引き受けることは考え難い。恐らくこれを高らかに素直なスタイルで歌うことが気持ちよかったのだ。時代は気持ちよいことは、よいことであると積極的に評価する気風が高まってきた。
要は、彼等がどれほど気持ちよくアルバムを作ったのか、である。このようなアルバムを出すことが彼等にとって必要だったのだ。事実これまでより遥かに彼等を高く評価する評論家もおり、いつまでも彼等の青い影を追いかけるファンはプロコルハルムにとって足枷でしかない。とは言え、この方向性で彼等がずっと突き進むということは、ない、と容易に予想出来るモノである。曲は明らかにプロコルハルムのものであり良くできた物も目立つが。
どんなときもバリー・J・ウイルソンはテクニックを合わせてくる。ここがまた天才と言われるところだろう。

リゾート気分でリフレッシュしたような、いづれにせよ彼等がプログレの重厚長大押しつけのような畳みかけにアンチテーゼを打ち出したこの感性は、やはりただ者ではない。10年1日のごとく過去の成功曲を真似ているようなグループとは訳が違う。

このアルバムは他の彼等のアルバムと比較しても遜色のない楽曲で構成されているお薦め作品である。


10. Something Magic        1976
邦題が「輪廻」である。
よく付けたと思う。
とても内容というかこの時点での彼等の一区切りに合った邦題となっている。
なんでも、アランカートライトが行方不明になったとかで、ピート・ソリーという人がメンバーに加わり、オルガンとシンセサイザーを演奏する。シンセサイザーはこれまでも一部に使用されたことがあるが、シンセサイザー奏者をメンバーに入れたことは初めての試みである。これがかなりのテクニシャンであることが分かる。
ゲーリーもオーケストレーションとシンセをアレンジ上うまく使い分け、従来の格調高いクラシカルな楽曲がとりわけ良い出来になっている。個々の曲もそうであるが、アルパム自体もコンセプトがしっかりあり全体がひとつの流れを持って進行する。
ちなみにクリスはベーシストとなっている。

ひとことで言えば、プロコルハルムの集大成であり、記念碑的な完成作である。
これまでのクラシカルでハードで時にポップな楽曲が極めて高いレベルで作られ、アルバムとしてのまとまりも、申し分ないものだ。

彼等はまずここで解散するが、最期は多くのファンも認めるであろう、重厚ないかにもプロコルハルムといったブリティッシュロックで締めくくってくれた。
最期のアルバムはこういった形以外には、確かに考えられない。



これ以降のプロコルハルムを追う準備は今ないが、まだまだメンバーを変えて多くのアルバムを長期休暇後、発表していく。
バリー・J・ウイルソンが若くして事故死した後、また再びゲーリーの元にマシュー・フィシャーとロビン・トロワーが集まり、黄金期さながらのアルバムも発表している。
まさにプロコルハルムは不変であるが、もう二度とバリー・J・ウイルソンのドラミングが聴けない損失はあまりに大きい。何よりプロコルハルムにとって。言うまでもなくファンにとって。






2013年11月13日水曜日

Procol Harum プロコルハルム 8/10

7. Grand Hotel        1973
完璧な作品。

今後、どのようなアーティストが現れ、どのような作品が生み出されようが、本作がロックミュージシャンから生まれた「全音楽」の最高傑作であることに、いささかも影響は及ぼすことはない。これほどの作品は金輪際出ない。これは自明のことである。

"Grand Hotel "はプロコルハルムにとっても奇跡的な出来であり、彼等を最も適したメディアとして、彼等を通してはじめて具現された芸術である。
このようなものに触れると、Ideaというモノの実在を否応なく感受する。

芸術の本来の存在意味に、意識の拡張深化ー覚醒作用があるとすれば、彼等の音楽はまさにそれである。

いつにもましてキース・リードはシニカルで乾ききっている。
すべてを突き放す。
どんなに暗い世界よりも深い闇に。
ここには、中途半端な描写は一切ない。
一点の隙もない。
その徹底した意味で、フランツ・カフカの描く世界に酷似している。
ロマンティックな幻想など微塵もない。

そこに繰り広げられるただ虚しいだけの人間のありさま。
きらびやかに変幻する光と表情を失って舞う人々の一瞬の姿。
その表装を描くメロディーの美しさ。
そして意味の無い昂まり。
サウンドは渦を巻いて高揚してゆく、、、

そして、舞台の照明は完全に落ちる。
誰もがロバーツボックスにすがりつく。

自分の病を今更、治してもらおうなどと思いはしない。
救われる?
一体何から?

ただいまのこの痛み!
この耐えがたい痛みを何とかしてくれ!
この痛みだけでも、何とかしてくれ!
もう二度と来ないから
痛みだけ、
束の間でも消してくれ!

管弦楽とスイングルシンガーズを全面フューチャーしての大団円。
感動の終曲である。

われわれはいったいなににかんどうしているのか


前作での唯一の失点。プロコルハルムの歴史で唯一の汚点であるデイブボールのギタートラックを全て削除し、ミックグラハムのものに入れ替えたことで、このアルバムは絶対を獲得した。



8.Exotic Birds and Fruit        1974
クリストーマスの最後のプロデュースによるもの。
トータルとしてのコンセプトより、個々の作品に力を置いていることの判るアルバムである。
トゥジュールアモールがバタフライボーイーズに、という様な個々の楽曲はさらに力強く厚みを増し躍動している。
ミックグラハムはロビントロワーの抜けたあとを見事に埋め、プロコルハルムのサウンドに完全に溶け込み、作品をさらに魅力的にして余りある素晴らしいギターワークをみせている。

ハードでタイトであるが、以前のアルバムよりカラフルで曲ごとの表情がとてもゆたかだ。何よりゲーリーブルッカーが非常にエネルギッシュでパワーに溢れている。ボーカルも気持ちよい。ピアノもこれまで以上に走っている。
バリー・J・ウイルソンのドラミングはいつもながら非凡な個性をみせ、ミックのギターもドライブ感と重量感をもって駆け抜けていく。オルガンも厚みをもち彼らの曲のクラシカルな格調の高さを充分に醸している。
このアルバムでは、一切オーケストラは導入していないが、サウンドの厚みや表情は決して劣らない。

曲想的には、プロコルハルムは完全にゲーリーブルッカー=キースリードのグループとなり(戻り)、それを支える優秀なスタッフとしての演奏家が揃ったという感がある。
メロディもスッと入り込んでいつまでも残るものばかりであり、改めてゲーリーブルッカー=キースリードのコンポーザーとしての能力の高さが認識できる作品となった。

一般的な評価も高いアルバムであり、彼らの代表作のひとつに数えられる。
はっきり言って、あのアルバムの後に、またこれだけの仕事をコンスタントにできるポテンシャルの高さは並大抵のグループでないことを証明している。

この年、南イタリアからは、アルティ・エ・メスティエリなどの超絶技巧のクラシックにジャズアンサンブルを融合したアルバム1組曲というコンセプツァル作品を発表するアーティストも相変わらず出てきており(このTILTというファーストは凄まじいテンションのトータルアルバムであった)、キングクリムゾン、ジェスロタルも同様な練りに練った重厚なアルバムを出している。この後のプロコルハルムの方向性も懸念されるものであった。







2013年11月12日火曜日

Procol Harum プロコルハルム 6/10

5. Broken Barricades    1971
ここで何より印象的なのは、ロビン・トロワーがジミヘンばりのギターを弾きまくりはじめたことである。このギタースタイルはソロ(の大傑作アルバム)で見事に開花する。これまでになくロビンが前面に出てくるアルバムである。ものすごくカッコ良いプロコル・ハルムが聴ける。
イアン・アンダーソン率いるジェスロ・タルの在籍するクリサイスに移っての第一弾アルバムでもある。ジェスロ・タルとプロコル・ハルム。彼らはイギリスが誇る実力派アーティストの双璧である。どちらも常にプロフレッシブな姿勢を崩さない。(寧ろプログレッシブグループと言われているものこそ自分のスタイルを模倣し形骸化する傾向がある。)

この新しい環境での新アルバムは、「ヘビー&ソリッド&タイト」と言ってよく、バンドのエネルギー溢れるものである。演奏テクニックにはさらに磨きがかかりスケールアップした感がする。バリー・J・ウイルソンのドラミングは相変わらず超絶技巧で素晴らしく、そこにロビン・トロワーのフェンダー・ストラト・キャスターが縦横無尽に絡む。ゲーリーの作る旋律ーサウンドはヘビーかつクラシカルで、実に他のメンバーの演奏に融合している。ゲリーのボーカルもこのサウンドには水を得た魚のように非常にマッチして活き活きしている。

痛快なプロコル・ハルムが存分に聴けるアルバム。



6. Live in Consert with Edmonton Symphony Orchestra        1972
ロビン・トロワー脱退。
マシュー・フィッシャーに続き、これまでのプロコル・ハルム、彼らの彼らならではのサウンドの要を担ってきたメンバーがまた抜け、ここでゲーリー・ブルッカー=キース・リードの真価が問われるところであることは、誰の目にも明らかであった。

その答えが、これである。
このアルバムから、ギターにデビット・ボール、ベースにはアラン・カートライトが加わる。
ベーシストはライブも考えるとメンバーの加入は必須であった。
ギタリストについては適当な人材確保は時間的にも難しかったようである。

本作は、カナダのエドモントン・シンフォニー・オーケストラとカメラ・シンガーズが全面的に演奏・合唱に加わったものである。ディープ・パープルを始めロックバンドとオーケストラの共演は何度かなされており、成功した例もあるが、この時点でこの作品ほど高いレベルでの共演はなかったはずだ。プロコルハルムのクラシカルな要素が強調され、ゲーリー・ブルッカーのコンポーザーとしての才能・能力の高さが再認識されたアルバムとも言えよう。
特に、"In Held Twas in I"は2ndアルバムの名曲というより彼らの代表曲の一つであるが、ここではさらにグレードアップした演奏を聴かせている。あくまでもバンドがコントロールして、オーケストラと合唱団をドラマチックな高揚にしっかり活かしきっている。ライブでのズレや荒さはなく、とても緻密でダイナミックな演奏が実現されている。(実は1度演奏をやり直したらしい)
このアルバムは間違いなく、これまでのプロコル・ハルムの集大成であり、申し分のないクライマックスで締めくくられる。
セールス的にも正当な評価を得て、成功した。
プロコル・ハルムは不滅である。
ただ、メンバー的な立て直しは課題として残った。




2013年11月11日月曜日

Procol Harum プロコルハルム 4/10

3. A Salty Dog      1969
このアルバムは、マシュー・フィッシャーのプロデュースとなる。今作を最後に彼はグループを脱退する。ゲーリー・ブルッカーとの軋轢などが噂されるが真相ははっきりしない。その後、哀愁溢れるメロディーを奏でるハモンド・オルガンのたっぷりフューチャーされたソロアルバムとプロデューサーとしてロビン・トロワーの傑作ソロアルバムなど多く手がけていくことになる。
このアルバムでマシュー・フィッシャーは後のソロ活動に引き継がれる確固たる個性を持ったマシュー節の哀愁に鈍く染上げられた珠玉の名作を発表している。
ロビン・トロワーもギターテクニックだけでなくソングライティングの才能をはっきりと窺わせている。ボーカルはあまりに個性的であるが、多分好みのわかれるところである。
メンバー各自がおおらかに自分の才能を発揮する場となっており、各曲が明るく心地よいアルバムとなっている。面白いのは各メンバーが自分の担当楽器以外の楽器も演奏しており、リラックスし楽しんでレコーディングしている雰囲気が伝わってくるところだ。マシュー・フィッシャーのプロデューサー業の出発点であり、アーティストの意思を尊重し、開放的に才能を引き出す彼のスタイルが理解出来るものである。
このアルバムはジャケットとともに初期プロコルハルムを深くリスナーに印象づける傑作に数えられ、相変わらず「青い影」は付き纏うが、グループとしての認知度を確実に高めるものであった。ゲーリー・ブルッカーとキース・リードの中核コンビは言うまでもない高いレベルの仕事をしている。
このアルバムも個性的な楽曲が並ぶ割に"A Salty Dog"の雰囲気によくまとめられている明らかに成功作である。彼等の海賊のイメージはジャケットの絵の強烈な印象で、暫く続く。


4. Home      1970
コンスタントにアルバムを発表していく彼等であるが、ここにはもうマシューはいない。ベーシストも脱退しており、クリス・コッピングがオルガンとベースの両方を担当する。明らかに神々しいマシューの調べとは異なるオルガンではあるが、クリスのオルガンは今後のプロコルハルムになくてはならないサウンドの要となっていく。名曲をしっかり支える決して自己主張しすぎないタイトな調べを奏でていく。もちろん出るところでは腕を発揮する。
プロデューサーはクリス・トーマスを迎えている。プロコルハルムはたとえ誰がアルバム制作しようとブルッカー&リードがいれば不変のサウンドが保証されるものである。その点に何ら不安は介在しない。彼等は次元の違う天才コンポーザーコンビであるから。
基本コンセプトとしてこのアルバムはキースの詩が全体を見事にまとめていることは特筆に値する。「青い影」の頃のシュールレアリスティカルなものではなくはっきりと後の「グランド・ホテル」に磨かれ継承されていく世界観「生・死・老い・病、、、」が明確に描かれていく。

彼等の前身バンドであるパラマウンツのメンバーに戻ったことが分かる。それで"Home"というアルバムなのだと容易に想像がつく。しかしこれは明らかにプロコルハルム以外の何者でもない。
ある意味、スケールが拡がり骨太の力強いアルバムになっており、ヒット性の高い曲が多い。シンプルでストレートな印象が強いが、プロコルハルムの確固たる芸術性が中心にあり、単純なブルースだったり、カントリーだったりすることはない。どんな形式を借りようが、プロコルハルムは絶対であることを再認識させられたアルバムであり、彼等の辞書に駄作という言葉など無いと分かる、これもまた傑作アルバムであった。









2013年11月8日金曜日

Procol Harum プロコルハルム 2/10

プロコルハルムとは
プロコルハルムは物凄いコアなファンはいますが、薄いファンはあまりいないように思います。
ですから、ご紹介などしても、知っているヒトは必要ないし、知らないヒトは興味ない、と言うことにもなりそうな気がします。
ただ、私自身が大ファンで、「グランドホテル」はROCK史のみならず音楽史にも燦然と輝く大傑作であると確信しており、自分自身のためにも一度まとめておこうと思います。


1. A Whiter Shade of Pale       1967
まず、最初からロック、R&B、クラシックの要素が自然に融合した音楽であることがよく分かります。取って付けたような不自然なところはまるでありません。どれもゲーリー・ブルッカーの血が書かせた曲なのでしょう。
これは、彼等の基本スタイルとして、メンバーやプロデューサーが変わっても不変のものとして貫かれていきます。
どの曲もイギリス的で翳りがあり、ピアノ・オルガン・ギターの基本構成で格調の高い曲想を湛えたものです。
ゲーリー・ブルッカーとキース・リードのソングライターチームはプロコルハルムの中核として全く駄作のない優れた曲をこのまま10年間以上安定して作り続けていきます。
また、もちろん忘れてはならないことに、個性の光る非凡なソングライターであり、ハモンド・オルガンとブルース・ギターの類稀なプレイヤーであるマシュー・フィシャーとロビン・トロワーという存在、さらにバリー・J・ウィルソンという天才ドラマーが在籍していることです。
プロコルハルムとは、当初から完成された恐るべきスーパーグループ(適当な表現とは言えませんが)だったと言えます。
ただ、ここでは表題(当初は入っていなかった)曲とハンブルグくらいしか注目はされなかったようです。征服者も時折かかっていましたが。
「青い影」についてはことわるまでもありませんが、バッハとロックの相性は抜群です。トレースのリック・バンダー・リンデンを挙げるまでもなく。しかし、このような途轍もないヒット曲を放つことはアーティストにとって必ずしもよい影響を及ぼすばかりではありません。(マーケッティングの上では)


2. Shine on Brightly    1968

これはある意味、「青い影のプロコルハルム」を払拭すべく出された彼等の渾身の意欲作と言えましょう。アーティストたちは、一度大ヒットを出してしまうと来る日も来る日も引っ張りだこで同じ曲を演奏させられます。中にはそれが耐え難く心身ともに不調をきたしてしまう人もいます。その曲のイメージが邪魔となって生涯苦しむ場合もあります。
このアルバムは前作のような短期間で作った、単に小品を寄せ集めて収録したものではなく、完全なコンセプトアルバムであり、長い組曲も含め全体として充分に練られ制作されたものであることが一聴すれば納得出来ます。彼等がアルバムで聴かせるアーティストであることを誇示していることがよく分かります。
この時期には、ムーディ・ブルースが革新的なコンセプトアルバムを出していましたが、ムーディ・ブルースの方はかなりポップな雰囲気に包まれている(ウォルト・ディズニー的な)のに対し、プロコルハルムは大変荘厳なクラシカルな佇まいをもってインストロメンタルを中心に曲を構築しています。ゲーリー・ブルッカーとキース・リードのソングライターチームの実力がいかほどのものか、リスナーに印象づけるに充分なものでしょう。
ここでは、メンバー全員がしっかり自分の出番での演奏を遺憾なく披露しています。ロビン・トロワーも充分に個性を出し、バリーのテクニックはこのグループの名曲を支える上で、なくてはならないものであることがはっきり分かります。さらにマシュー・フィシャーは、ハモンド・オルガンでとても際立つ演奏を聴かせているだけでなく、ソングライティングでも組曲の重要なパートを作っており、頭角をかなり見せています。彼のボーカルもただ者ではありません。ソウルフルなゲーリー・ブルッカーのボーカル'(彼等がR&Bの要素を兎や角言われるのはこのボーカルに寄るところが大きいです)に対し哀愁を湛えた張りのある文学青年的ボーカルはブルッカーとはかなり異質な響きで耳に残ります。
しかし、強烈な個性たちもここでは一つの組曲の構築のためにぎりぎりのところでまとまり、混声合唱などの導入等、後の世紀の大傑作「グランド・ホテル」にも繋がるような感動的な構築美を実現しています。演奏に一切加わらない詩人キースの詩も独特なシュールレアリスティカルな世界を作り、アルバムに深まりと拡がりを与えています。彼等は詩も非常に大切にしています。
この詩を専門に書く詩人をグループに持つスタイルはベティ・サッチャーを置くルネサンスやこの後、Rockミュージックを根本的に変えるべく出現する、やはりピート・シンフィールドを詩人として擁するキング・クリムゾンの先駆けと言えます。
ROCKの名作は詩の出来が前提であることは、つい先頃急逝したルー・リードの曲を例に出すまでもありません。
間違いなく、"Shine on Brightly"は微妙なバランスの上に立った、60年代を代表するコンセプトアルバムの傑作(Best)と言えます。しかしそれがそのままセールスに繋がったわけではありません。但し実力の評価は成されました。


2013年9月30日月曜日

Linsey De Paul~リンジー・ディー・ポールご存知?

Linsey De Paulをご存知ですか?



彼女は1950年ロンドンに生まれた、シンガーソングライターです。
どの曲でも、ボーカルとピアノ、作曲・作詞、プロジュースを自分でしています。
最初はなんとデザインの仕事についており、アルバムジャケットデザインなども手がけていたそうです。その合間に作った曲を聴いてもらったら、そのままレコーディングへ、自分のアルバム作りへ、となったとか、、、。

遠い遠い昔に聴いた人なので、いくつかの曲しか、思い出せません。
すべて塩化ビニール製のLP版なのですぐに聴きなおせる環境にないので済みません。
でも、今でこそ聴く価値のある大変、質の高いケレン味のない素直な楽曲ばかりであることは保証します。
メロディーラインとボーカルが魅力で、ピアノの伴奏だけで聴かせてしまいます。
いまのシンガーで誰に似ているとか、言いにくいですね。
とてもシンプルに思えてかなりのオリジナリティーがある証拠でしょう。
同時期にオリビア・ニュートン・ジョンがいましたが、才能では圧倒的にリンジーだと思います。


インタビューから:

*ピアノを始めたのは4歳のとき、1日だけやって11歳からずっと続けた。バッハの影響が大きい。
作曲は20歳からしている。

*好きな他人の曲は、スティービー・ワンダーの「迷信」

*あなたのチャームポイントはの問いに、「どこでもないか、またはすべて」

*あなたのくせは、「なんでも自分でやること。考えるのに時間がかかること。捨てることができないこと。」

*一番思い出の深い曲は、「宇宙からの訪問者。宇宙人が地球にやってきたら神と間違えられたことを歌った曲。」

*音楽家になっていなかったら何になっていた、「漫画家」

*一番行ってみたい国は、「家に帰ってくるのが一番好き(旅行は好きだが)」

*あなたのモットーは、「(わたしが)だれである前に、なにであるかを大切にしている。」


アルバムですが、私の持っているものは:


リンジー・ディー・ポールの魅力 MAX20というKINGレコードのMAXシリーズという企画もので、最初期のシングルで出された曲などが17曲詰まったお得感のあるもの。多分日本だけの特別編集版であるはずです。
ここには大ヒット曲”SUGAR ME”を始め、”宇宙からの訪問者”や”恋のためいき”、”オールナイト”などキャッチーな曲で溢れています。
なんといってもどの曲もシンプルで印象に残るフレーズをもち、ハスキーで可憐なボーカルが特徴です。キャロル・キングが大人のできるOL的な女性なら、彼女は背伸びしたご令嬢風の女性に感じられました。”SUGAR ME”は来日して歌番組で何度も歌っていました。いまでも記憶に残っています。鍔のある少し大きめの如何にも少女っぽい帽子をいつも被ってピアノを弾いていました。


さらに、TASTE ME DON’T WASTE MEというイメージチェンジを狙った妖艶さを醸すタイトルとジャケットですが、中身も程よい長さの10曲で構成されており、これまたロマンチックで聴かせる曲ばかりです。格調高いStringsもかなり入っていて曲だけでなくアレンジにさらに幅が出ています。初期の可憐さから成熟した女性の世界を歌っています。当然といえば当然ですが、"My Man And Me"や"When I'm Alone With You"に顕著に見られます。また、"Living Again" "When I'm Alone Whith Me"も落ち着きのある格調高いポップスです。全体に、お洒落で心地よい上質なときを楽しめるアルバムになっています。ポリドールレコードから発売。例の帽子は卒業したようです。


もう一枚は、LOVE BOMBというタイトルに迫力を感じるものです。タイトル曲も力強い出来です。ジャケットを見ると最初の頃のイメージはもう無くなっています。今、気がつきましたが彼女はマリリンモンローと同じところにほくろがあったのですね。アルバムに戻りますと、10曲入りで、MAXの頃より曲自体のグレードは確実に上がっており、聴き応えのある曲で構成されています。彼女自身のプロジュースも充実を見せ、アルバムとしても成熟さと子供っぽさが同居する変化に富んだよくまと待ったものになっています。レゲエ調の曲やアップテンポのロックもありシングルでヒット出来る曲が多く、アレンジも凝ってきています。特に”Crystal Ball”や”Season To Season”などの夢心地になるようなファンタスティックな曲には才能を感じさせます。帽子は大人ののもにブラッシュアップして戻って来たようです。帽子が好きなんですね。ポリドールレコードから発売。良質なポップのお見本的な作品です。傑作です。





2013年9月20日金曜日

鉄人28号 音楽集CD壱・弐の2枚ご紹介

鉄人28号 音楽集(1・2)


どちらも千住明氏の作品集です。
原作:横山光輝
監督:今川泰宏

わたしは幼少期、最初の白黒TVを毎週楽しみに見ていました。
日曜日の8時8チャンです。スポンサーはグリコです。
白黒なのにその頃を鮮明に覚えています。
金曜日頃から小さな胸がワクワクしはじめます。
土曜の午後になるとハラハラしはじめます。
日曜日は朝の8時からドキドキです。
一日中、鉄人のことを考えて過ごしました。
時間になって、鉄人が舗装道路に影を落として歩いて来る。
そして”ガオーッ”と雄叫びをあげたら、もう100%入り込んでいました。
こんなにTV番組に夢中になれたことがあったでしょうか?!
後にも先にもないでしょう。


壱には、千住氏の略歴と鉄人28号と進め正太郎の歌詞が載っています。

弐では、千住明氏自身ライナーで、鉄人の音楽を書くことは自分の半生を振り返ることだと述べ、
白黒テレビを食い入るように見つめ、鉄人の活躍に一喜一憂したことを活き活きと綴っています。
なお、リメイク版ではなく、昭和30年代版であることを何より喜んでいました。
家の壁に鉄人の絵を描いたり、主題歌をみんなで歌ったり、銀座に行くとビルの陰から鉄人が出てくるのではないかと期待したり、鉄人のリモコンがとても欲しかったことなど同じ鉄人ファンとして共感できます。
「僕は昭和を語り、鉄人の性格を創り、鉄人に音楽で血を流すのである。あれだけ欲しかった鉄人のリモコンを、今僕は音楽という形で手にしている。」
羨ましい限りです。

さらに、弐にはお宝画像として、鉄人3号、6号、12号、26号、27号の絵も載っています。こういう形してたのですね。
その上、ブラック・オックス、バッカス、ギルバード、ロビー、VL2号、サターン、ギド、カニロボット、ファイアⅡ世、ファイアⅢ世や正太郎他の登場人物もすべて載っています。それを見るだけでもとてもワクワクし想いに浸れます。

というところで、音楽を紹介というものの大変難しいことなので、収録曲をあげておきます。
鉄人の番組最中にかかるとても感動的な音ばかりです。特に、戦いの最中やクライナックス時期にかかる”増殖する危機””蘇る無敵の兵士”など聴くたびに血が騒ぎます。正太郎の孤独と悩みを表現したかのようなバイオリンとピアノだけで進行する重厚な楽曲”鉄人の正体”またすべてが終わった後の”慟哭と悲哀””希望の光明”のレクイエムのような美しさ。希望を感じさせる”朝は再び”と感無量になる”正太郎と鉄人”、、、記憶を呼び覚まし、また見てみるのも良いですね。
2004年4月7日からテレビ東京で放映されていました。全26話。すべて録画して見ました。感動しました。





それ行け鉄人2:44
葬りさるもの1:59
悲しい終着点3:29
復興と進化2:18
あなたに微笑みを1:17
ひなたぼっこ1:48
鉄人28号 (夕焼けヴァージョン)1:45
シンフォニエッタ28番1:31
進め正太郎 (サイクリング・ヴァージョン)1:12
あなたとミルクコーヒー 1:52
Iron Blues1:54
28th Street2:08
悲劇の行進2:36
回想の絆3:56
闇にうごめくもの2:17
慟哭と悲哀 4:02
希望の光明2:43
蘇る無敵の兵士2:20
鉄人28号 (TV Size)1:35
進め正太郎 (TV Size)1:10




鉄人28号 (Tv Oa+Se)1:34
ブラックオックス2:02
増殖する危機2:09
事件記者、 村雨2:04
鉄の兵器1:46
新元素バギューム2:02
父の遺言2:04
京都の恋1:52
あなたと踊れたら 1:38
今はねむりましょう1:54
鉄人の正体2:55
朝は再び1:40
正太郎、 一人… 2:44
ブラックオックス (Tempo Up Version)1:24
正太郎の決断1:48
正太郎と鉄人1:59


壱:KING RECORDS 3000
弐:同上