何よりも大きな変化はプロデューサージェリー・リバー&マイク・ストラーというわたしはまったく馴染みがなかったが、AOR界では大変著名な実力プロデューサーということだ。
プログレッシブ界(と便宜的に言っておくと)の動向は、1曲45分位の楽曲を研ぎ澄ました演奏テクニックで畳み掛けるように聴かせる、心臓の弱いリスナーにはついていけないようなアルバム制作が続いている一方で、ピーター・ハミルのように、そのサウンド作りの張本人だったようなアーティストが短くハード&ストレートな革新的な曲(パンクの原型)を出してきた。ドイツの自覚的なアーティストたちはすでに3年くらい前からポストロックに走り、CAN、NEU!、FAUST等、KRAFTWERK以外にも飛び抜けた世界観と発想とテクニークを持つアーティストアーティストたちがいよいよ台頭してきていた。どれも聴いていてその革新性がどうのこうの言う前に、圧倒的に気持ちがよい。
間違いなく彼等が強力なニューウェイブとなることが、自然に納得できるサウンドであった。
さて、新プロコルハルムプロデューサーコンビからの答えである。
多分、彼等はAOR専門家であるため、その型に嵌め込む以外の発想はなかったと見える。そのプロデューサーチームを選んだ時点で答えは決まっていた。
ゲーリーがいるのでプロコルハルムの曲が聴けることは保証される。例えビートルズのカヴァーを歌おうと、彼のボーカルがある。しかし何でよりによってエイトディズアウイークか?エスペラントのエリノアリグビーのような奇跡的な大傑作カヴァーもあるなかで、この曲ではさすがのゲーリーも料理のしようがない。というよりそのまま歌うように指示されたのか?
しかし、彼が自分のしたくないことをしぶしぶ引き受けることは考え難い。恐らくこれを高らかに素直なスタイルで歌うことが気持ちよかったのだ。時代は気持ちよいことは、よいことであると積極的に評価する気風が高まってきた。
要は、彼等がどれほど気持ちよくアルバムを作ったのか、である。このようなアルバムを出すことが彼等にとって必要だったのだ。事実これまでより遥かに彼等を高く評価する評論家もおり、いつまでも彼等の青い影を追いかけるファンはプロコルハルムにとって足枷でしかない。とは言え、この方向性で彼等がずっと突き進むということは、ない、と容易に予想出来るモノである。曲は明らかにプロコルハルムのものであり良くできた物も目立つが。
どんなときもバリー・J・ウイルソンはテクニックを合わせてくる。ここがまた天才と言われるところだろう。
リゾート気分でリフレッシュしたような、いづれにせよ彼等がプログレの重厚長大押しつけのような畳みかけにアンチテーゼを打ち出したこの感性は、やはりただ者ではない。10年1日のごとく過去の成功曲を真似ているようなグループとは訳が違う。
このアルバムは他の彼等のアルバムと比較しても遜色のない楽曲で構成されているお薦め作品である。
10. Something Magic 1976
邦題が「輪廻」である。
よく付けたと思う。
とても内容というかこの時点での彼等の一区切りに合った邦題となっている。
なんでも、アランカートライトが行方不明になったとかで、ピート・ソリーという人がメンバーに加わり、オルガンとシンセサイザーを演奏する。シンセサイザーはこれまでも一部に使用されたことがあるが、シンセサイザー奏者をメンバーに入れたことは初めての試みである。これがかなりのテクニシャンであることが分かる。
ゲーリーもオーケストレーションとシンセをアレンジ上うまく使い分け、従来の格調高いクラシカルな楽曲がとりわけ良い出来になっている。個々の曲もそうであるが、アルパム自体もコンセプトがしっかりあり全体がひとつの流れを持って進行する。
ちなみにクリスはベーシストとなっている。
ひとことで言えば、プロコルハルムの集大成であり、記念碑的な完成作である。
これまでのクラシカルでハードで時にポップな楽曲が極めて高いレベルで作られ、アルバムとしてのまとまりも、申し分ないものだ。
彼等はまずここで解散するが、最期は多くのファンも認めるであろう、重厚ないかにもプロコルハルムといったブリティッシュロックで締めくくってくれた。
最期のアルバムはこういった形以外には、確かに考えられない。
これ以降のプロコルハルムを追う準備は今ないが、まだまだメンバーを変えて多くのアルバムを長期休暇後、発表していく。
バリー・J・ウイルソンが若くして事故死した後、また再びゲーリーの元にマシュー・フィシャーとロビン・トロワーが集まり、黄金期さながらのアルバムも発表している。
まさにプロコルハルムは不変であるが、もう二度とバリー・J・ウイルソンのドラミングが聴けない損失はあまりに大きい。何よりプロコルハルムにとって。言うまでもなくファンにとって。
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