色が何よりも美しい。
灰色の美しさ。ここまで美しい灰色を色として使う画家は少ない。「ピアノのレッスン」
マリー・ローランサンも灰色は効果的に使ってはいたが。
そして黒の美しさ。「エジプト風カーテンのある室内」「柘榴の実のある静物」
しかも、固有色から離れて、描写からは手を切らずに、色を関係性のうちに思うがままに構成して全体を見事に構築する。まったく破れ目なく。これはもう天才という以外に言葉がない。
シニャックの影響で新印象派的な色が窺えるといわれる、「豪奢・平安・悦楽」もそう言われてみると気づく程度だ。
むしろ構図・構成などの点でセザンヌを意識していることが分かる。
実はマチスは色彩だけではない。平面性と立体感(透視図)を絶妙な構図感覚で違和感なく統合している。「装飾的人体」何気なく少しの躊躇も僅かな破たんもなくやってのける、これは実は驚きの技術だ。
また更に、一つの画像=画布のなかに複数の異質の空間を静かな装飾性のうちに構成しているのも、それに気づいて驚愕する。「茄子のある静物」
静謐な空間に見えて、思いのほかダイナミックで重厚であることが分かる。
フォーブと云われていたころは、原色の激しい色彩だけでなく、モチーフにボリュームがある。輪郭線の厚みも力強い。厳格なフォルム。特に「青い裸婦」はまるで彫刻を思わせるものだ。
装飾的で平面的というのがマチスの特性のように言われているが、時期によっては、ものすごい迫力である。ブラマンクのタッチ(動勢)の迫力とは異質だが、迫力では負けない。
フォーブ以降のマチスは、構図の計算と平面性と同一な抑えた色調による作品を追及していく。「しゃぐまゆりのある静物」
マチスにとって旅はとても重要な影響、着想を得る最高の行動であったようだ。旅の度に新たな息吹が絵画に見られていく。例え室内に閉じこもり窓から外を打ち眺め、思考実験や夢想に浸っていても、旅行先に得るものは大変多かったようだ。「ニースの大室内画」
この絵における窓の介在は、マチスの絵には欠かせない構造的な要をなすものとして大きな存在意義を持つ。異なる次元の空間をきわめて自然に融合する「窓」なのだ。これもマチスの発明の一つである。
「ダンス」は多分マチスの究極の作品であろう。最晩年の切り絵シリーズにも継承されていく「平面」の実現といえる。ここで「平面」というが、マチスのように描写を最後まで捨てずにこの平面を達成した西洋画家はほかにいるだろうか?純粋抽象にさっと飛んでしまった画家は最初から別であるが。マチスはその「純粋抽象という無味乾燥」は回避し続けた。
ところでわたしの特に好きな絵を二つばかり。
一つは「ピアノのレッスン」一分の隙もない構成。それでいて楽しいノイズに満ちている。平面性と空間性の融合、それを作る斜線構図の妙。フォーブの面影すら無い、渋い色がまた美しい。キュビズムの最高の成果に違いない。
もう一つは、初期の作品であるが、「読書するマルグリート」
形体がしっかりとらえられたフォーブとは明らかに異なる色鮮やかな美しい作品である。
とても単純化され構図も特に複雑な計算はされていないが。
ルノアールの「エレーヌ・カーン・ダンベール」を見るときのような爽やかで穏やかな気持ちになれる。
一番欲しい絵である。
何より今回よく見て思うことは、連作や実験的な反復的作品はあるが、一点一点が実験的な発明品とも言えるような作品となっていること。ピカソと同様、マチスもマニエリスムとは無縁な存在であり、かつての成果に拘らない、天才であったと言えよう。
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