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2013年11月21日木曜日

ベラスケス


フェリーペ四世のお抱え画家のような得意な位置の宮廷画家で、基本肖像画家として働きつつ、宮廷において宮内配室長さらにはサンティエゴ騎士団の騎士にまで命ぜられたベラスケス。
才能においては、自身天才と呼んで憚らないダリが、フェルメールとともに最高点をつけて大絶賛する画家である。ダリが自分以外を天才呼ばわりするのは歴史上このベラスケスとフェルメールの2人くらいだ。しかしベラスケス当人は大変控えめで思慮深く慎重な性格であったようだ。反面いくらフェリーペが呼び戻そうとしてもイタリアの旅行先からなかなか戻らないといった如何にも芸術家らしい面も窺える。フェリーペにことのほか寵愛されたのも、才能だけでなくこのような性格、人柄に依るところも大きいようだ。フェリーペ自身、彼に制作上の細かい注文や依頼や命令等ほとんど出すことはなく、絵に関しては彼にすっかり任せていたという。彼は周囲の貴族とはあまり接触はもたなかったようで、肖像画も国王フェリーペとその極親しい小人や道化、夭折した子女たちに限られている。通常の宮廷画家にありがちな宮中における華やかさなどは認められない。

ベラスケスの絵であるが、上にも述べたことからも何を描きたいという意思、主題意識はほとんど感じられない。訴えたい内容の表現は構図上からも、色彩の対比等からも、光の当て方からも全く見受けられない。彼の絵には内容が欠落していることが分かる。ただ「絵を描くこと」そのものが主題である。
単に国王の近辺しか描かなかったという題材の乏しさからだけでなく、絵の中に中心がないことは、見ればすぐにはっきり分かることで、ベラスケスにとって題材等はどうでもよく、科学者が実験を黙々とするように、描くという実験を淡々としていたと映る。
しかし作品数は決して多くはない。フェルメールほどの寡作ではないにしても。
彼はどんな絵を描いたと言うのか?
かのダリをして天才と呼ばわしめたものとは。

まず、あまりにも有名な「ラス・メニーナス」であるが、この絵についての研究書や詳しく言及している思想書(哲学書)は多数ある。それをここでまたさらに紹介したり、検討する用意はないうえ、もはや真っ向から分析する意味もない気がする。パッと見には単に画家が王と王妃を描いているところの描写である。絵には今まさにこの絵を描いている彼が描かれており、絵画の位置的な中心・最奥部には、描かれている彼の絵の対象である王と王妃の姿が鏡に映し出されている。勿論2人は画家の前方に立っており、位置的にはこの絵画空間の外ー手前、まさにわたしがこの絵ー現実を見ているような立場にいる。ベラスケスらしい絵である。様々な思想的な解釈は割愛し、どうやって描いたのかを問えば、わたしだったらとりあえず大きな鏡を前に置き、ここにいるマルガリータ王女ほかの登場人物をみな所定の位置に描く。その後奥の鏡に王と王妃を描き加える。ベラスケス大好き人間のフェリーペさんだからよいものの、他の王だったら何でわしがこんなに矮小に描かれておるのじゃ、もっと大きく描き直せとか文句をつけそうな気がすごくするが。「織女たち」も同様な空間を描く。彼自身が鏡のように。
思想的な解釈本では、ベラスケスが純粋に絵そのものを描いた過程において、そこに時代の認識装置ーパラダイムを見いだし、そのテキストから精緻なことばとにんげんの関係、言わば認識のありさまを導きだしているものが多いと思われる。面白いと言えばとても面白く、その絵の構造にはベラスケスの無意識というよりスペインという国の特殊性もかなり色濃い影を落としていることが説かれている。


彼の絵を哲学的な対象とせず観るとしても、やはり不思議な絵である。途轍もない技量で厳格かつ冷徹に描かれていながら、どこか未完成を臭わせる大作であったり、未完だと分かる絵はともかく、未完で終わらせたような絵が目につく。ギュスターブ・モローのようだ。勿論、色彩については平明なベラスケスに対して、モローは対極的な位置にいるが(そういえばダリはモローも大変評価していた)。あの偉大なるムリーリョの師匠であったことも、かのモローがマチス、マッケ、ルオーの優秀な教師であったことと重なる。
それはともかく、速い筆で描かれている。慎重で中庸で高貴な人であったそうだが、いざこれを描くと決まればとても素早い制作であったはずだ。そのタッチからも如実に窺える。これほど動勢が的確に描かれているとは、全体像の形体の厳格さと精緻さからよく観ないと気づかない場合もあると思われるが、間違いなくアングルではなくドラクロワだ。モロー的でもある。
素描作品が少ないと言われているが、素描をそもそもする習慣があったのか?思慮深く慎重な性格であっても、キャンバスにはいきなりズバッと描いていたと見える。多分それで素描があまりないのだ。紛失ではないと思う。

今回、初期から順番に絵を見てみると、当初の褐色が主調をなす、自然主義的な明暗を強調した厳しい絵から次第に「色」が表れてくると「筆跡」も見えてくるようになる。純色も観られるに及んで、そろそろ印象派も予感されるような気配もある。それと同時に筆跡も気持ちよく伸びやかになってゆく。さらに色と筆跡は自由度を増し輝きも窺わせる。そして追求していることは絵画という形式そのものである。これまで意識して見なかったが、ベラスケスの手法が着々と変化してきていることを知った。これは自然なことだが、イタリア旅行はやはり大きい。旅行中相当数の書籍も買い込んだようだ。ベラスケスは読書家で絵画に限らぬ造詣の深さでもよく知られていた。
さて、ベラスケスの絵画であるが、当時「想像力のない、上手な実践者」と中傷されたことがあるそうであるが、ゴヤやエル・グレコのような「あるテーマ」を激情のもとに表現した絵画を念頭に置いての批判であることは、容易に想像がつく。確かにそのような絵画群の対極にベラスケスの作品が存在することは明白である。私的な感情などを一切排除して「絵画」そのものを成立させることこそ、ほかならぬベラスケスの静かなる実践であった。

ベラスケスは生活のため注文画を描く必要がなかったのは恵まれていた。ここはフェルメールとは明らかに境遇が違う。フェリーペ4世はやれ無能だのなんだのと揶揄されてきたが、天才ベラスケスに制作の上で最良の環境を提供し続けたことひとつとっても、そこらへんの王よりも遥かに優れた人物であると言っておきたい。



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