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2013年11月23日土曜日

素描家としてのクレーから 線のありかた

すべての芸術は音楽の状態にあこがれる、というあまりに有名なテーゼがあります。
クレー自身も有能な音楽家でしたが、彼の素描作品に注目するにつけ、より彼の芸術がもつ音楽性が身に滲みてきました。

まず、線の動き、です。
線の旅です。

クレーは、ぱっと見て全てが把握できるスタティックな空間を作らず、擬似的遠近法によって画面に時間性を組み込んでいることがわかります。
まるでミクロコスモスを旅するように、その線は、中断しては、進み、進んでは停止し、分節が起き、振り返り、反対にも向かう、どちらに進むか熟慮し、線は束にもなる。さらに、流れやたわみも起き、橋を越えなければならない時もある。弧形が幾つもできた後、どうやら親友に出会う。線は収斂し太い震える線となる、しかしそれは長続きはしない。次第に異なった立場をとり、独立した歩みを見せるようになる。そして深い森へと幾つかの線が入って行く。
まだまだ、旅は終わらない、、、。

線はわれわれも辿ってみるしかない。

クレーの線描画が楽譜のようだというのは、構造的に見るとこれだと思います。

また生命の成長をみるように、左上から辿っていく素描画。
これこそ、まさに楽譜という絵も少なくないです。

「すべての生成の根底にあるのは、動きである。」
動きは時間とともに平面を形成し、平面から空間も生成されてゆき。
時間に充ちた空間の構成がおきます。

そして線、そのもの。
一本の線でも豊か。
一音の説得力ある音楽の緊張感はすごいものがあります!

高僧の筆のような線。
微妙な神経の震えそのもののような細やかな線。
何かの飛跡のような線。

これはクレーの得意とするところの弦楽器の弦の震え
それが醸す音色。
その様々な線ー音色のオーケストレーション。

クレーの時間の空間化作業は多様な個性を持った線の動きで豊かな香しい音楽を画布上に現出させることです。

そこに後期のクレーは色彩を被せます。
豊かで微妙な線の構成に、色は深みを与えてゆきます。
いよいよこの世ならぬクレーの素描作品ができあがってゆきます。

クレーは素描が圧倒的に多く、それらは油絵作品の下絵やエスキースなどでは全くなく、完全に独立した作品となっています。これはいかにクレーが線を重要視し、絵にとっての本質であることを認識していたかです。



絵画空間とは、線の質と線の動きによってできあがってゆくことを、クレーの作品を見て再確認してみました。




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