宗教改革によるキリスト教の分裂、コペルニクスの地動説により聖書の宇宙創造神話が崩れ始める。ペストも流行り、画家たちも避難を余儀なくされる。
この混乱期に宮廷を中心とした文化が花開く。(イタリアを中心に)絵画の鑑賞も教会、広場、公衆施設から宮廷内で行われるようになる。
基本的にミケランジェロのマニエラ(手法)を変形させて描く、曲がりくねって引き延ばされた表現を特徴とする。また寓意を盛り込んだ晦渋な作品も目立つ。
彼らの関心は対象の正確な描写に留まらず、自らの様式を追求することにあった。
しかしすぐに模倣者たちの形骸化した作品に対し批判が集まり、マンネリズムと呼ばれるようになる。
20世紀マニエリスムは独立した形態であるという再評価がなされ、再び注目を浴びる。
ポントルモ
1494-1556
僅か19歳でミケランジェロから絶賛される早熟の天才。フィレンツェを拠点に、活躍する。反古典主義と言ってよい形体の引き延ばしや誇張さらに独特な豊かな色彩表現が見られる。繊細、優美な技巧的作風は彼の名を揺るぎないものにしている。デューラーにも強い影響を受けている。作品テーマは主に宗教画とメディチ家の肖像画である。物語風の形式の絵画も充分に成熟した手法を見せる。9歳年下のブロンズィーノを弟子に迎えるが、その才能から特に大事にし、フィレンツェのサンタ・フェリーチタ聖堂のカポーニ礼拝堂の装飾を2人で仕上げている。ポントルモはブロンズィーノを養子に迎えている。
十字架降下
ブロンズィーノ
1503-1572
メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍する。洗練された端正な作風が最大の特徴。宗教画、寓意画、肖像画を描く。技巧を凝らした冷艶な「愛のアレゴリー」等の作品が特に名高いが、ビーナス等数か所にに加筆され、後に修復によって当初の姿に戻った。そのあまりにも艶めかしい写実が災いしたものである。ポントルモを師とするが、初期の作品はヴァザーリでも見分けがつかないほど似ていたという。彼はポントルモの死によって未完で残されたフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂のフレスコ画を完成させている。油絵、フレスコ画ともに達人であり、卓抜した技術力を誇っていた。詩人でもあり、ポントルモの死に際し読んだ詩は記録に残っている。愛のアレゴリー
エル・グレコ
1541-1614
クレタ島出身。スペインで活躍する。マニエリスム期最大の画家。作品のほとんどが宗教画であり、他には肖像画が制作されている。エル・グレコ以外の誰のものでもない奇抜な構図と引き延ばされた人体、彼特有のあまりに鮮烈な色の扱い方が特徴。作品に対する報酬のトラブルも多い人であった。その作風と当時神格化されていたミケランジェロを批判するなど、その強い個性から宮廷画家は断念することになるが、宗教関係者や知識人からは強い支持を得た。セザンヌとエル・グレコを精神的な兄弟と説くフランツ・マルクの見解も興味深い。受胎告知
アンチンボルド
1527-1593
ミラノ出身。動植物や果物、料理、書籍、道具などを組み合わせて表現される独特の「肖像画」で名を馳せる。ダリでも有名だが、彼の絵もダブルイメージを利用した「だまし絵」などと言われることもある。宮廷画家としてフェルナンド1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人もの皇帝に仕え、彼らの趣味に応える形で、この極めて特異な作風が生み出されたようである。特異さでは此の後にネーデルランドに現れるヒエロニムス・ボッシュの作品の幾つかにも窺えるものである。確固たる地位を築いた彼であるが、死後急速に忘れ去られてしまう。その後20世紀シュル・レアリストらによりインパクトをもって再発見された。{四第元素}(「大気」「火」「大地」「水」)の連作など、いかにもシュル・レアリストの好みそうな先駆的な作品である。ヤン・シュヴァンクマイエルの作品にもその影響が見届けられる。
四季(夏)
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