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2014年5月11日日曜日

廃墟への憧憬ー1

何というか、「廃墟」や「廃園」に対する憧憬が私にはある。
一般にそれらは負の意味を持ち、「荒れ果てた跡」といったものだ。
あっさりしすぎて、よく分からない。
わたしは「廃墟」と言って、特に何処の廃墟を実際に探索したわけではない。
世界にどのような廃墟があるとかの知識もない。
単に言葉(文字)としての「廃墟」になんとなく憧れを持っているということだろうか?
だとすれば、
いい加減な話だ。

物は見捨てられた時点で、毎日細部まで点検され洗浄される新幹線と違い、エントロピーの方向へまっしぐらに向かって逝く。

しかし、荒れ果てた、はともかく、「跡」という場所には、やはりどうにも惹かれる。
「跡」とは少なくとも何らかの営みのあった印と言える。存在した証拠でもある。
「痕」でもあるし、「址」でもある。「先例」でもあるし師の「手本」でもある。
「筆跡」でもある。

おお「筆跡」
その描き「ぶり」
そのエスプリと言って良い部分が残った。
むしろもはやそれとしての実質(本体がどの程度残っているかはともかく)を失っている分
いよいよ気配のように立ち登る霊気。
それが息づく場所が「跡」である。

わたしはそこにもっとも純粋な清められた”気”を求めていないか?
そんな場所を夢想して来なかったか?
その場所は純粋に言葉ー文字であったのか?
いや何かの形態ー物は介してたはずだ。

そのような廃墟はいつわたしに音連れたのか?
わたしが憧れを漠然と抱くに至った根拠としての「廃墟」である。
一体何処で見たのか。
いや、何を見たのか?


少し考えてみると、どうやら社会の教科書や図鑑に載っている類いの物々しい廃墟ではなく、Web上に見つかるような此れ見よがしの上空写真などではない。漫画でもコミックでもない。映画で見たか、と言えば、
見た!

タルコフスキー。

絵画で見なかったか。
見ている。

ポール・デルボー
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
ジョルジュ・デ・キリコ

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで「廃墟」を通常の定義を超えて定義するようなことはここではしない。(おこがましい)
感性の論理というより、精神医学の領域に深く入り込む時間性の問題になるはずだ。
ただ、話を進めるため「跡」として確認した範囲で上記の物を「廃墟」と感じるなら、「廃墟」は少なくとも必ずしも表面上荒れ果てている必要はなく、ヒトが全くそのなかにいない必要もない。
そして改めて考えると、普通の生活空間に廃墟は浸食し得るといえる。

逆に廃墟と言うより廃屋が高齢化の進行に従い少しづつ確実に増えている。
経営破綻で暫く放置された末、打ち壊される病院などがある。
わたしはこれらに「廃墟」を感じたことは全くない。

廃墟という言葉を使用する人たちはいたが、実際に廃墟をそこに見る人はなく、病院については無理やり幽霊スポットとされるも、幽霊も出る気にはなれなかったようだ。実際中は落書きだらけだったそうであるし。
そのうちに取り壊され、今では昔からそこにいたかのように全く異なる建造物が建っている。
だが、それが何であるかはいますぐ思い浮かばない。
建物に対する意識なんてものは、通常実際そんなものではないか?
いや、人一倍方向音痴な、わたし特有の地理感覚の希薄さによるものか?
それも関係しているとは思われる。

ひとまず荒れ果てた跡を所謂「廃墟」とするならば、上記の場所(画像)には「廃墟性」のある場所と、称することとし、ヒトが管理不能となっただけの建物に関しては単に「廃屋」とでも呼んでおきたい。(後に整理が必要と思えるが)
そして、日常空間に浸食した「廃墟性」にも、タルコフスキー描くような場所、「実質」つまりここに流れるべき時間性を逸した空間は、極めて普通に在る一部屋であってもそこは廃墟に成り得ると考える。ただその「時間性」の「狂い方」が、われわれの抱く憧憬や焦慮の念や郷愁を惹きつける対象となるか、圧迫感や虚無感や閉塞感さらに鬱を呼び込むような対象ともなるはずである。
わたしは後者を以前何かのWebページで拾い読みした時以来ずっと引っかかっているフレーズ「見えない廃墟」と特別に呼びたいと考えている。その言葉の定義に関しては全く記述はなかったが、文脈の流れにおいてはネガティブな空間に対して使われていたと記憶する。確か建築家の言葉であった。

ここからは精神医学における時間性の問題と建築における時間構造の問題になっていくはずである。もとよりわたしに立ち入れる領域ではないが、書きながら一般人に極めて身近な課題であることは確認出来る事であった。



参考記事:すべて以前にわたしの書いたタルコフスキーについての走り書きといった風なもの

サクリファイス

ストーカー

ローラーとバイオリン

アンドレイ・ルブリョフ       アンドレイ・ルブリョフの画集を見ること



ソラリス

ノスタルジア




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