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2014年5月20日火曜日

ハンス・ベルメール ~ 球体関節人形の反復

ハンス・ベルメール
1902~1975 ドイツ

画家であり、版画家であり、グラフィックデザイナーであり、写真家であり、人形作家である。
ハンス・ベルメールは反ナチの強い姿勢から、社会貢献に繋がる職業に就くことを拒否。
彼は、ナチス党員であり有用な職業エンジニアである権威的な父親の道具を使い、人形を作り始める。

その人形もアナグラム的な遊びの要素の広がる球体関節というヒトを食ったフザケた装置を幾つも持つ人形である。
球体を接合装置として、腕と脚の場所を付け替えたり、手と足を入れ替えたり、、、その接合とパーツの組み換えによりバリエーションもたくさん出来る。そんな役には絶対立たない遊びを人形作りを通して続けていく。
アナグラムの手法で詩も書いている。言葉遊びにも鋭い感覚を示す。
自費出版で人形の写真集も出す。

筋金入りの反骨のヒトである。
シュールレアリストたちがそんな彼を見逃すはずはない。
アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、マルセル・ヂュシャン、マックス・エルンスト、イブ・タンギーというビッグネームに迎えられる。
日本ではいち早く、澁澤龍彦が彼を文芸書で紹介する。
種村季弘により名著「イマージュの解剖学」が翻訳され注目を集める。

無意味な人形はそれをさらに無意味にオブジェ化する球体により、益々需要を高める。
サド、ポール・エリュアール、ジョルジュ・バタイユの作品の銅版画の挿絵にもその人形は使われていく。
一般的には、彼は過激でグロテスクで気味の悪い趣味の人形作家と捉えられる。
が、「手垢に塗れたことば」を払拭するための方法論としては、かなり真っ当な評価となろう。バタイユの「眼球譚」の挿絵(銅版画)などで、理解はさほどされなくとも権威は高まる。
ベルメールは単なる高名な芸術家としての場所に押し込まれたか?

ハンス・ベルメールは精神病理学にかなりの知見を持っており、どうやら肉体パーツの置換という発想ー方法論はそこから帰結している。
見慣れたものを解体し再度、観させること。
そこで初めて、単なる透明化した「脚ー意味」が思わぬ物質性を帶びて出現する。
安定した主客関係、主体ー対象関係を打ち砕き、主体ー他者関係を浮き彫りにする装置としての「球体関節人形」その反復。
「他者」とはまた「驚き」であり、「偶然性」を絶えず生産する。
それは時として主体を脅かす。
ベルメールの人形少女は「対象」ではなく「他者」として存在し続ける。
人形とは古来からそういうものとして存在してきた。



ベルメールの戦いは言うまでもなく、ナチ=ファシズムに対する不断の闘争である。
独裁とは紛れもなく他者のいない世界である。
世界は放っておけば必然的に独裁化する。
有用性という透明性ー一義性を打ち破る過激な人形少女遊びにより彼はナチを滅ぼすのである。
その人形は、父親の「手垢に塗れた道具」で作ったものである。


                                             ハンス・ベルメールとは?





*NewOrderの"talk to her"の「人形」とも関連して語っています。まとめてはおりませんが。





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