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2014年5月4日日曜日

アッジェのパリ ~新しいプリントの意味


よく言われることだが、アッジェは優れた”撮影写真家”であった。
乾板の現像に対してはかなり無頓着であった。
ほとんどやり方を知っているというレヴェルだったようだ。
この工程を大変神経質に完璧にこなした写真家にアンセル・アダムスがいる。
暗室での困難な作業処理能力にも秀でていた。
アッジェは基本、撮る事にしか興味はなかったらしい。
写真専門家(評論家)たちはそこを残念がる。

しかしこの写真集はアッジェの残した原板から新たにプリントして蘇らせたものであり、「ネガに映しこまれた細部のなんと美しく、豊かなことだろう」(ピエール・ガスマン)という忠実な再現がなされている。実際に、ガスマン氏は、ネガを読み取るのを得意としており、その画像とヴィンテジ・プリントとの間に悲しいほどの差を感じていた。であるからこそ、この写真集は是が非でも出される価値があった。
あたかも、絵画の修復師が古典画家の重要な作品の傷みや心無い無神経な修正を直すように、今日の知識と技術によって貴重なアッジェのネガからこれまでとは違う彼本来の写真が出現したようだ。

枯れたセピア色の古典的な写真である。
見れば見るほど味わい深い。
とても心地よい風が吹いている。
なるほど今は亡きパリが細部まで豊かに映しこまれている。
ここに自己表現だとか、ドキュメンタリーなどという押し付けがましい表現はない。
アッジェはこのパリの光景が早晩消え去るのをよく知っており、自らが残さなければならないという使命を強く感じていた。
何をおいてもそれをしなければならなかった。
絶対の確信をもって。
アッジェはその任務ははっきりと果たした。


マンレイに真価を認められたが、シュルレアリストにはならなかった。
彼は自らを記録写真家であると、生涯言い張った。
芸術写真家ではなく、とても豊かな”撮影写真家”であったのだ。
恐らく撮る事だけで彼の時間は費やされてしまったのだ。


そして、アッジェの死後、アメリカの女性写真家ベレニス・アボットが私財でアッジェのネガを買取り、彼の作品を散逸から守った。
高品質の再プリントもなされ、こうして彼の写真を今も見ることが出来る。



とても贅沢な時間である。



アッジェのパリ




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