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2013年10月27日日曜日

アルタード・ステイツ~肉体的制約から解かれる



変性意識。

この映画のイマジネーションの元となっているものは、すぐに気がつきます。
ジョン・C・リリーのアイソレーション・タンクによるあらゆる感覚を遮断した実験からインスパイヤされたものであることははっきりしています。
まさに同じ装置を使っていますし。
タンク内を硫酸マグネシウムを加え比重を大きくした水で満たし、光と音を一切遮断した上、水温・気温も体温と同じ温度にしたところにヒトが裸で入り、所謂無重力状態にして、ボディーイメージのないところで起こる現象を検証しようという実験です。
ここに、リリーはLSDも使って検証を重ねています。
映画ではカスタネダのようにメキシコに行きキノコ(テングタケ)を使っていますね。

この時期、LSDと言えばやはり同じようにヒッピーに多大な影響を与えていたティモシー・リアリーがいます。彼はこのアイソレーション・タンクの有効性は認めておらず、もっぱらLSDによる実験を続けていました。(後にはAPPLEがパソコンを世に出してからは、コンピュータの可能性にかけていきます)いずれにせよこの50年代後半~60年代は、サイケデリックムーブメントの中で、変性意識の虜に多くの人がなっていました。

変性意識という状態とは?
多くの実験者が経験した幽体離脱。高度な宗教体験(至高体験)さらには異なる知的生命体との交信etc.多くの報告がなされています。


この映画でも意識や思考の原点、生命の源を命懸けで求め探求する主人公の生理学者の姿が紆余曲折を経て描かれていきます。その過程で友人の医学博士や大学教授の妻との葛藤を繰り返しつつ、彼らが薬の危険性などもあり懸命に止めるも聞かず彼は強引に実験を重ねていきます。そして細胞の記憶を遡るうちに彼の姿はついに類人猿に退化してしまいます。

実験室を出て、外で大暴れします。動物園に侵入し鹿を殺して生肉を喰らい、生血をすすります。


意識の遡行が単なる幻覚を生むにとどまらず、物質化をみたことで、自分の理論の正当性を確信し、それを証明しようとします。
それと同時にその時の生の快感と充足感が忘れられず、人類の思考の原点を探るというより、より強烈な生の実感を得たいという原始的(無意識的)な生命力に魅了されていく方向を辿ります。
もう半ば科学者としてではなくすでに内に潜んだ類人猿の血がそうさせるように。
実験自体の危うさに加え、夫の制御不能な方向性への危惧で周囲はさらに不安を高めます。
妻たちはのっぴきならない事態を察知し、今度は実験室で彼を注意深く見守ります。
すると遡行をはじめて二時間ほど経過したところで、タンクや部屋を吹き飛ばすほどのエネルギーが夫から光とともに激しく放出され、妻の捨て身の助けで危うく命を救われることになります。

そこではじめて、主人公はその探求の恐ろしさと虚無を身に沁みて認識します。
当初妻が彼に訴えた「わたしは迷いながら生の実感を求めている。でもあなたは真実のために魂を売ろうとしている。」がここで強く説得力をもって蘇ります。
しかし時遅く、もう元に戻れない身体になっていました、、、。

最後は妻の愛に救われる落ちは、同様のものを観た記憶があるのですが、それが何であったか思い出せません。
しかしある意味これが理想的な決着なのだと思われます。

SFXの視覚効果もこの時期(1980年)になるとパタンが出来つつあり、腰を抜かすような衝撃はありません。しかし演出力は充分もったものになっています。話の展開もスピーディで緊張感に溢れる迫真のSF人間ドラマです。

ドラッグによる識閾下の探求は一時期かなりなされましたが、芸術における成果は見られたとしても、学問的貢献ーパラダイムシフトするような発見はなかったようです。しかしテーマは誰もを魅了するものだと思いますし、ある意味生きるなかでの探求は少なからずこのような冒険を含みます。特殊なSF世界ではなく、普遍性を十分に持った物語であることは間違いありません。





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