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2013年8月29日木曜日

フランツ・マルクについての簡単なスケッチ

1880~1916

醜い赤ん坊であった。(父親談)

父は有能な画家。

勉強好き 内気で感受性豊かな少年時代を送る。

神学を学び、牧師を目指すが20歳で画家を志す。
父は才能を認めず反対する。

父の信頼はそのまま得られなかった。

不安と自己不信に悩まされる。
鬱病発症。

フランス パリで印象派と出会うが、影響を自分の芸術には活かせない。
動物画家ジャン・ブローエ・ニースレに出逢い、動物画に関心を深め。

父死去。
結婚を決心するが花嫁をおいて、パリに逃亡。

二度目のパリでゴッホ、ゴーギャンの絵に接し感銘を受け、ようやく自分の方向性を定める。
ゴーギャンのタヒチはマルクにとって動物となる。
動物園に通いスケッチを続ける。
色彩とフォルムの実験を繰り返す。

アウグスト・マッケに出会い親交を深め、励まされる。
芸術関係の人脈は広がり経済的にも基盤ができる。
充実期を迎える。
再婚。

カンディンスキーとの出会い。
自身の制作スタイルの基本が確立。
青騎士を結成。マルクは馬と青が好きであった。
2回の展覧会を行う。マレービッチ、ピカソ、ブラックの作品も含まれる。
フォルムの並置から混合へ。
キュビズムの影響が絵に表れる。

年鑑「青騎士」刊行。
マルク:ドイツのフォーブ
マッケ:民族芸術
シェーン・ベルク:音楽理論につて
などが寄せられる。

マッケ、クレーとともにパリに滞在。
ロベール・ドローネの色彩に魅せられる。色彩が構成上の要素になる。(色とフォルム分離)
フォルムの埋葬が進む。未来派的な運動が画面に見られるようになる。
死を免れない肉体から解かれ精神的なものへ向かう作業が抽象絵画へ。
しかし完全な抽象にはならずフォルムは変化しつつ残る。重なり動き。

戦争の予感に苛まれる。
絵に破壊のテーマも入ってくる。
戦争勃発とともに従軍。ロイヤル・バイエルン野砲連隊第一師団に配属。
マッケ戦死。(1887~1914)
戦場からのスケッチブック36点のデッサンでさらに今後のフォルムの展開を見せる。
志を半ばに、戦死。

死は「絶対の解放である」(マルク)
 

風景の中の馬  雨の中 二匹の猫 青い鹿 歓待者ユリアヌス 動物の運命 戦うフォルム 
 
黄色い牛

青い馬の搭

2013年8月27日火曜日

”ほっぺちゃん”と言うアイテム

私だけが知らなかったのかもしれません。
「ほっぺちゃん」と言うアイテムが、女子小学生にとっての絶対的な支持を得ているそうです。
クリームを絞り器でプニュッと絞ったような、スライムのような雰囲気のダイキンのぴちょんくんにも似た形に黒い目玉と、耳がウサギになったものや帽子を被った漫画家風のものがあります。
手触りがとてもたまらないものだということです。

うちの娘たちはまだ幼稚園ですが、すかさず注文しました。
届くまで1週間かかります。

小学校で人気といえば、必然的に幼稚園にも広がってきます。
時間の問題です。

女子幼稚園生が見てもきっと「かわいい」はずです。触覚的な魅力が伴えばなおのことです。
発達段階においても適当なアイテムでしょう。
少し年齢の上の子供には、ゲーム機(タカラトミー)もあります。
いまや、ほっぺちゃん専門店もあるそうです。

お店のHPで確認しましたが、バリエーションもあり、全部揃える子も少なくないでしょう。
お店は山梨県に本社がある「サン宝石」というアクセサリー店が考案・制作・販売しています。
サン宝石は以前から、アクセサリーで確かに有名でしたね。(それはわたしでも知っています)

とりあえず、2種類、4個取寄せます。
イエロー・漫画家ほっぺちゃんストラップ×2
ピンク・大天使ほっぺちゃんストラップ×2
おまけシール付き

日本のアニメ・フィギュア・アイドル文化特有の”かわいい”の系列にこれもすっぽり入ってますね。
奈良美智の例のアイテムや河村目呂二の猫もこの流れで受けているととれます。



既にお持ちの方、何かコメントがあればお願いします。





2013年8月26日月曜日

プレラファエル派

作品の署名に秘密結社まがいのPRBと記する、イギリスのハント、ロセッティ、ミレイの3人の若い画家仲間。1848年~メンバーのミレイがロイヤル・アカデミー会員に選出された1853年までが、3人揃っての活動期と言えるか。それ以降はプレラファエル(派)主義とでも言える個々の活動と次世代の画家が加わる最盛期を迎える。バーン・ジョーンズたちの出番である。派の理念は基本的に、ラファエロ以前の時代の、つまり権威(古典)の確立する前の段階に立ち戻り絵画の制作を純粋に観察に基づいて行おうと言うもので、テーマが宗教であっても描き込む対象をすべて現実の身の回りのものから選び、ディテールに至るまで細密に克明に描き込んだ(ジョン・ラスキンの思想も後押ししている)。彼らは陶器製のパレットを使い、混色しないで色を置くことで煌くような画面を生む手法を用いた。しかし遠近感や空間、明暗の表現に困難が生じる面があった。当初は風変わりの野暮ったい怪しい結社を組む絵かきたちだと攻撃され酷評されるが、一度ラスキンがこれを擁護すると世間の見る目も変わった。この派の流れは後のラスキン・モリスの芸術運動に昇華される。



ホルマン・ハント
1827~1910
プレラファエル派の王道を行く画家。宗教的題材を日常世界の素材で克明に描ききる方向性を忠実に守り続けた。事物の細密描写は細部から遠方に至るまで偏執狂的になされており、そこからくる神秘性、幻想性が際立つ。徹底して描くべきものや場所を写実するためにパレスチナにも何度も足を運んだ。ロセッティからもミレイからも慕われる。

見出されたイエス クラウディオとイザベラ 世界の光 死の影 無垢の勝利 船 贖罪の羊




ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
1828~1882
日常をありのままに観察して細部まで克明に描くというプレラファエル派の理念から次第にずれてゆく。詩人でもあり教養も高い画家であったが、初期は技術的に未熟な面が多く、他の2人から技術の支援を受けて描いた。神秘や幻想面に閉じこもる方向性が高まり、文学性が多分に読み取れる作風となる。官能と霊性が溶け合う「ベアータ・ベアトリクス」などが彼の個性をよく表している。

聖告 若き日の聖処女マリア ダンテの夢 ダンテの愛 牧場の集い アーサー王の墓 ベアータ・ベアトリクス



ジョン・エヴァレット・ミレー
1829~1896
プレラファエロ派の中でも最も早熟な才能を発揮していた。
パレットには陶器を使い、色の純粋性を保とうとした。
写実を極めた宗教的・文学的な題材で作品を制作しセンセーショナルな話題を巻き起こしていたが、日常を崇高に描くという面では、かなり卑俗な自然主義的な描き方が目に付くよになる。しかしディテールの細密描写と強靭な造形力では自然主義絵画からは一線を画くものである。しかし次第に派からは距離ができ、売れ筋の絵が主体となる。肖像画家として引っ張りダコの人気を得、後にロイヤル・アカデミ-の会長に就任し商業面でも大成功を収める。

両親の家のキリスト 平和の谷 秋の落葉 盲目の少女 方舟に帰ってきた鳩 オフィーリア



バーン・ジョーンズ
1833~1898
ロセッティの弟子であり、第二期プレラファエル派であるが、最も傑出した派の理念の具現者であった。イギリスでプレラファエル派をかつてない人気を持つ中心的な派へと発展させた。ウイリアム・モリスと友人であり、ジョン・ラスキンの影響も大きい。バーン・ジョーンズの作品はすべてが硬質で冷たく人物などには内面が感じられないという批評もみられるが、様々なテーマを見事な技巧で構築する。モリスとの共作のステンドグラスも有名であり、デザイナーとしての才能も見せる。

アーサー王最後の眠り コフェチュア王と乞食娘 黄金の階段 チャタートンの死 廃墟の中の恋 

2013年8月24日土曜日

世紀末の画家 (象徴派・野獣派)

印象派の画家たちと同年代であるが印象派には属さず、独自の芸術を追求した画家たちがいた。
後に象徴派、野獣派などと呼ばれるが、彼ら自らは全くそのような会派を作って制作していたわけではない。(マチスとクリムトは実際に一時的な会派を作っている)しかしこの当時、終末思想が横行し、人々は世界が終わりに向かう漠然とした恐怖を胸に抱いて生活を送っていた面は無視できず、文化全般にその影響がみられる。



モロー
1826~1898

終末思想の蔓延するフランスで愚昧な大衆社会を嫌悪し、ほとんど自宅に閉じこもって、ひたすら自分の(象徴的)芸術世界の高みを極め続けた。ボードレールと同時代を(批判的に)生きる。

モロー独特の様式美は他に類を見ない抽象芸術のような色の乗せ方、タッチとさらに異常なディテールの描き込みが欠かせぬ要素で、テーマ(神話や伝説)を神秘的で幽玄な世界にしている。ビアズレーよりも早く、「サロメ」を題材にした豪奢で流麗かつ恐怖に痙攣する作品を描き、センセーショナルな話題を攫った(特にデカタンな詩人たちからは熱狂的支持を得た)。
また水彩画は小品ながら恐るべき完成度を誇るが、大作には未完成作品が多い。

初期においてはサロンにも出展し、メダルも3回も獲得しているが、元来の社交嫌い・秘密主義から(またサロン自体の権威の低下から)全く対外的な展覧会には参加しなくなる。1回のみのモロー展を除いて。しかし同時代の大画家たちからは非常に高い評価を常に受け続けた。後のダリも賛辞を寄せている。

教育者としても、才能を見抜きそれを引き出す指導に大変優れ、彼の教室からはマチス、ルオー、マルケらの巨匠を輩出した。音楽においてもモローは並々ならぬ素養を見せていた。
自宅と所蔵作品をすべて国に寄贈し、ギュスターブ・モロー美術館とした。

オイディプスとスフィンクス レダと白鳥 オルフェウス プロメテウス ジュピターとエウロパ オルフェウスの首を抱くトラキアの娘





ルオー
1871~1958

画家を目指す前は、ステンドグラス職人であった。

モローの教え子。何度も塗っては乾かし削り取って出来る分厚い七宝焼を想わせるマチュエールと大胆に単純化された形体が最大の特徴。深い宗教性を放つ絵は教会のステンドグラスのように輝く。初期の作品は激情をもって醜いものを告発するような表現が目立つが、次第に画面に静けさが表れるようになり、作品のテーマにはキリストが多く取り上げられるようになる。後期の絵は、キリストが題材でなくとも、言葉の真の意味で宗教画と呼べるような敬虔な絵が続く。師のモローを生涯敬愛し、ギュスターブ・モロー美術館初代館長を務める。

一度、仕上げた作品を何年もかけて手を加えることが多く、ついに300点にのぼる未完成作を自らの手で焼き捨てている。
版画も多く手がけ、「ミゼレーレ」版画集がある。

見習い職人 老いたる道化師 キリスト教的夜想曲  キリストの顔 ミゼレーレ 郊外のキリスト





マチス
1869~1954

法律家を目指すが、入院中に画家を志す。
モローの教え子。ルオーと生涯の友となる。

構図は垂直と対角線による複雑なものの形体は純粋に単純化され、何よりも「色」の相互作用がマチスをマチスたらしめる。スタイルを変えつつフォルムと色の実験を続けた成果は、20世紀最大の画家ピカソと並び称されるものである。
彼は制作に詰まったとき、常にセザンヌの絵に戻り、全体性の調和をみていたと言う。
彼のアトリエはいつも、緑の観葉植物、や鳥でいっぱいであった。また彼の絵には「窓」がよく描かれる。象徴的な意味でも重要な構成要素となっていたようである。
体力が衰えてからは、切り絵で単純化されたフォルムの構成はさらにマチスの世界を純化させる。

ピアノのレッスン ダンス 開いた窓、コリウール マチス婦人 王の悲しみ 青い窓 エジプト模様のカーテン 青い胴衣の女



  


ルドン
1840~1916

静物画や人物画が多いが、特異な幻想の世界も描き続ける。
無意識の世界や若い頃経験した顕微鏡下の世界や文学(ボードレール、フロベール)が作品に様々な形で表れていると言える。
モノトーンの版画作品や後の色彩が華やかに炸裂したかのようなパステル画を生む。

マラルメとの交友は有名であり、彼もまた孤独を愛し、夢想する思索者であった。初期の石版画には少なからずモローの影響が見られ、首や目玉が特異なテーマとなっている。他にも宙に浮く植物と人の顔の融合したような名状し難い不思議なモノたちが見られるが、恐ろしいというよりどれをとっても優しさ人懐っこさが感じられる点がモローと異なるルドンの資質か。ルドンはモローが内にのみ向けていた目を外界(自然)にも向けていたと言えよう。「超自然はわたしに霊感を与えない。わたしはただ外界を凝視するだけだ。それから人生を。」

ルドンは円熟期に版画の黒の中に永く宿っていた色彩を解放する。と同時に異形のモノたちは、すべからく天上のものに変貌した。
色彩、特にパステル画におけるブルーの使い方がモローにとても近いものを感じる。


キクロプス オルフェウス パンドラ 聖ゲオルキウスと竜 アポロンの馬車と竜 白い花瓶の花 後光を帯びた聖母マリア





クリムト
1862~1918

テーマはエロスとタナトスの表現を一貫して追求しており、琳派の影響か金箔も使用も目立つ、圧倒的に絢爛な作風である。退廃的な香りも怪しげに纏っている。多く描かれる女性は、聖母と妖婦の両義性をもっている。また特徴として、顔は非常に細密でリアリスティックな描写がなされているが、体―衣服や他の部分は装飾柄で構成されたパタンが目立つ。基本的に閉じた宇宙である。
風景画も装飾性においては人物画と変わらない。

この時期の芸術家はみな、同時代のウイーンの心理学者ジークムント・フロイトの影響は少なからず受けているが、クリムトもその例外ではない。

クリムトはベルギーのストックレ邸宅を部屋、家具、調度品、テーブルウェアに至るまでひとつの調和のとれた芸術作品として完成するなど、彼の装飾芸術(模様)は工芸・建築にも広がりを持つものであった。通常の絵画についても額縁を単なる縁ではなく絵画の延長として制作している物が多い。

また彼はエゴン・シーレやオスカー・ココシュカの若い才能をいち早く認め、強力にバックアップした。

ユディト 音楽 医学 哲学 充足 花嫁 白樺の林 金魚 ダナエ 死と生










2013年8月22日木曜日

後期印象派の画家

ゴッホ
1853~1890

ゴッホは精神を病み自殺に至る3年間に500枚にのぼる作品を憑かれたように速筆で仕上げていった。彼の絵画作成様式と言えるあのタッチはこの速筆からくる要請により成り立つ。

彼の作品は印象派の最大の発見でもある影にも色があるという認識をさらに一歩進めた、鮮やかな影の表現が眩いばかりである。日本の浮世絵の研究の成果もありゴッホの絵は平面的で原色が鮮やかに使われ総じて明るい(初期の絵は暗いが)。パリ時代からのゴッホは、ピサロたちとの交流を経て、まさに描写を超えるギリギリのところまで迫り、補色効果も見事な緊張感のある画面を生成している。短い筆のタッチで矢継ぎ早に色を乗せるタッチによる構成も完成してゆく。
彼もまた(レンブラントのように)自画像を多く描く画家であり、色彩上の実験とともに自己洞察も次第に研ぎ澄まされていくなか、敬愛するゴーギャンとの共同生活が破綻し、耳を切り、精神病院にも入院している。タッチも「糸杉」に見られるように、呼吸のリズムで短く押し付けられ、激しくうねりつつすべては上方に向かってゆく。
「わたしは自分の仕事のために、命を投げ出し、半ば理性も失ってしまった」と手紙に書きつけ、畑でピストル自殺を果たす。享年37歳。

ゴッホは世間に厄介者扱いされ、死ぬまでに1枚しか絵が売れなかったが、死後急速に注目されるようになる。
1910年代に日本でも「天才画家」として盛んに紹介され、文芸誌「白樺」の特集を通し、多くの文化人に影響を与えた。岸田劉生、萬鉄五郎、山本鼎、高村光太郎などはいち早く礼賛者となったが、なかでも棟方志功などは「わだばゴッホになる」と心酔していた。


「アルルの跳ね橋」、「ひまわり」、「夜のカフェテラス」、「種まく人」、「桃の木」、「アイリス」、「星月夜と糸杉の道」、「曇り空の畑」、「タンギー爺さん」



セザンヌ
1839~1906

「サント・ヴィクトワール山」と「水浴」を生涯のテーマとして制作を続けた。これらのテーマはセザンヌのよい実験の場であったことであろう。
「この世界は、球と円筒と円錐で出来ている。」があまりにも有名。後の立体派に受け継がれる造形の芽生えといわれる。絵がはじめて対象(画題)に従属することから離れ、画家が自然から抽出した「形体」そのものが主題となる道を開いたのである。彼の先の言葉が、絵画から意味が無くなる時代を導くのである。
なによりもセザンヌの絵に特徴的なのは、タッチである。そのタッチはそれまでの印象派が色にこだわり続けていたのに対し、「面取り」を徹底することで「形」そのものを主題化してしまうのである。この緊張感ある作業を通し、画面全域に散りばめられた塗り残しも含め、数々の完成作をうみだしてゆく、、、。
彼の絵を「色紙を貼り合わせたような絵」と呼ぶ人もいる。


「水浴」、「ショッケの肖像(ルノアールに同じ肖像画あり)」、「ガスケの肖像」、「サント・ヴィクトワール山」







ゴーギャン
1848~1903

彼は西洋の近代文明を嫌悪しその芸術にも限界を見、「原始的な」文化にピカソよりも早く関心を寄せた画家である。
ゴーギャンは、中世、日本の浮世絵、エジプト、カンボジアの美術に関心を寄せたが、彼の色彩感覚はそれらの影響を超える圧倒的な鮮烈さが感じられる。タヒチにおいて彼の求める宗教性、象徴的な主題は見出され、彼独自の絵画世界が開花することとなった。エキゾチックな土着のモデルの美と土地の伝統は彼に豊かなインプピレーションを与えたことが容易に想像される。どの作品をとっても単純化された形体と彼ならではの革命的色彩による平面的な画面は、ひと目でゴーギャンのものと判るものである。
彼もまた、生前から少数の理解者はいたが、絵はほとんど売れることはなく、死後急速に高い評価を得た画家である。

「かぐわしき大地」、「死霊は見守る」、「タヒチの牧歌」、「我々は何処から来たのか、我々とは何か、我々はどこにゆくのか」





スーラ
1859~1891
スーラの独自な絵画手法は「点描主義」と呼ばれる。厳密な科学理論による夥しい数の小さな色の点で成り立つ。色を物理的に混ぜることなく並置することで光学的に「視覚混合」が起き、彩度・明度の落ちることのない色面が得られるものだ。彼の絵画は印象派が移ろい易い印象を定着するののに対して、静謐さと秩序が支配している。どれも一目でスーラの絵と判るものである。
彼は内向的で秘密主義のため、ほとんどアトリエに籠って新しい理論に基づいた実験に打ち込んでいた。集中力と忍耐力は並外れたものであり、強く自分の理論に対し確信を持って臨んでいたといわれる。点描による複雑な形体を支えるデッサンも高く評価されている。
髄膜炎で31歳の若さで亡くなるが、スーラの盟友ポール・シニャックは「かわいそうに、われらが友は働きすぎて命を縮めてしまった」と悔やんだ。

「化粧する若い女」、「ポーズをする女たち」、「ポルタンペサンの港」、「アニエールの水浴」、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」、「サーカス」



ロートレック
1864~1901
名門貴族の家に生まれたロートレックは幼い頃から虚弱で、両足を骨折したため下半身の成長も止まってしまった。
彼はやがてパリに出ると、ナイトクラブやダンスホール、売春宿に足繁く出入りする生活を続ける。そこで知り合う人々を生涯を通し描き続けた。
持ち前の起用さで板であろうと、ボール紙の上にでもその場で、闊達な手さばきで天衣無縫に筆を走らせる。全く無駄のない見事な動勢のみられるデッサンが瞬く間に仕上がる。またその腕は同様にポスター制作にも遺憾なく発揮されている。人物の特徴を誇張して捉える技術といい絵の構図、文字との構成といい、イラストレーター、デザイナーとしての才能が光るものである。
彼は爛熟したパリの夜の世界・ムーランルージュの世紀末的な雰囲気もろとも、悦楽を求める人々の喧騒を生き生きと描き残した。彼は生前からパリでもっとも高名なポスター作家であった。
ロートレックは、アル中と梅毒により急激に心身ともに衰え、36年の短い人生を閉じる。

「ムーラン・ルージュにて」、「ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ」、「ムーラン・ルージュのダンス」、「ジャルダン・ド・パリのジャンヌ・アヴリル」、「踊るジャンヌ・アヴリル]


2013年8月18日日曜日

気になる写真家② アメリカ 9人



アンセル・アダムス

ニューメキシコ上空の月が有名です。
写真技術に関する研究に余念がなく、技術書を3冊著しており、他の写真家に大きな影響を与えています。技術と美的想像力に優れた多彩な才能をもつ写真家として称えられています。
f64に絞り込んだレンズでアメリカ西部の台地を中心に生涯をかけて撮りました。エドワード・ウェストンらとともにf/64というグループを結成し活動します。
はじめてヨセミテの渓谷を撮ったのは、14歳のときです。それ以来渓流,渓谷、森の沼、湖、滝、山岳、森林、平原と月、砂丘等を撮っていきます。「写真は撮れるものではなく、作られるもので、印画こそ、その演奏である」18歳のときにコンサート・ピアニストを決意したアダムスらしい言葉です。



アルフレッド・スティーグリッツ

まずはじめに、写真科学を学び、写真製版の仕事をしていました。さらにヨーロッパの]写真技術をアメリカに伝えます。
ピクトリアリズム、所謂単に対象を写すというだけでない写真独自の表現を追求する潮流におけるアメリカでの中心的役割を担ったのも彼でした。しかし後にピクトリアリズムの絵画的作品を志向し、ぼかしなどの技巧や被写体の配置を重視しする作為的な手法を批判するようになり、見たままのシャープな写真を追求するストレート・フォトグラフィーに移行して、多くの優れた作品を残しました。



ウオーカー・エヴァンス

ソルボンヌ大学で学び、はじめは作家を目指したと言います。
写真の道に入り、世界恐慌下のアメリカ南部の農村の写真を撮ったことで有名になります。
写真は徹底したストレート・フォトグラフィーのスタイルです。
建物、室内の片隅、ベッド、看板、労働者、街を行く人、佇む人、ニューヨークのブルックリンブリッジ、、、特に建物の写真が大変艶めかしい独特の体温が感じられます。
「始まりと終わり」にはホイットマンの「世界の美と尊厳は、どんな薄片にもにも潜んでいることをわたしは疑わない、、、」に始まる名文が寄せられています。
その後、ニューヨークの地下鉄のなかで隠しカメラを使い、乗客の日常の姿を撮ってゆきます。「内省」というタイトルの写真集が出来上がります。「、、、そこには地球上のあらゆる民族と国家がある。」という、写真とはソーシャルランドスケープであるという自覚を促す序文が綴られています。




エドワード・ウェストン


彼は10代のころからシカゴ美術館で作品展を行い成功を収めていました。当初、肖像写真家として身を立てていましたが、ストレート・フォトグラフィーに賛同し、アンセル・アダムスらとf/64を結成します。題材は、ヌードや静物、風景等になってゆきます。白黒のコントラストで強く造形美が意識されたものになります。2人の息子も写真家として成功しています。


ダイアン・アーバス

双子の女の子の写真がとても印象的です。
ヴォーグエスクァイア」等のファッション雑誌のファッション写真家としてデビューし活躍しますが、リー・フリードレンダーらと「ニュードキュメンツ」を開くころから、次第にフリークス(肉体的、精神的な障害者、肉体的、精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、彼らの写真をたくさん撮っていきます。彼女はタブーや良識に守られた美意識を脅かす作品を次々に世につきつけて行きました。「ハノイを爆撃せよ」というバッジを付けパレードに参加する青年を撮ったのも、政治的意図からではなく、「何かに情熱をもったひとなら、それがどんな情熱であれ尊敬に値する」というスタンスを維持してゆきます。しかし彼女は徐々に精神の安定を失ってゆきバスタブで手首を切り自殺に至ります。


ベレニス・アボット

彼女は「変わりゆくニューヨーク」(連邦美術計画)に写真家として参画しニューヨークの変貌を淡々とカメラに収めて行きました。ストレート・フォトグラファーです。最初は彫刻を目指していましたが、マンレイのスタジオに入り、写真家に開眼します。
ウジェーヌ・アジェの作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した功績は大変大きいものです。


マン・レイ

彼は画家、彫刻家でもありますが、やはりシュル・レアリスムの写真家としての知名度が最も高いでしょう(オブジェは確かに面白い作品が多いです)。彼のおかげでわたしたちは、ダダイストやシュル・レアリストたちの極めて質の高いポートレートを見ることが出来ます。またそのようなストレート・フォトグラフィーの他に、レイヨグラム(フォトグラム)やソラリゼーションの技法を駆使した写真を多く発表して世に知らしめ、後の写真芸術に大きな影響を与えています。
代表作はなんと言っても「物質の精神に対する優位性」でしょう。鉱物エロスの極地。


リチャード・アヴェドン

コロンビア大学で哲学を学びます。軍役除隊後ファッション写真家を志し、ファッション雑紙「ハーパーズ・バザー」「ヴォーグや、グラフ誌「ライフ」で活躍しました。パリに滞在中はディオールの「ユールック」の写真を撮っていますが、このときの作風から、街並みを利用し、モデルのダイナミックな動きにブレやボケの効果、斬新なカメラワークなど映画風の演出をもった彼ならではの個性が見られるようになります。主流であったストレート・フォトグラフィーからは異質な独自の作風を完成させました。またシャネルとも親交を深め、有名なポートレートも撮っています。
ファッション写真家としてはアーヴィング・ペンとともに地位を確立し、公私ともに注目を集めるようになり、彼と妻の物語が、脚本家のレナード・ガーシェによって「パリの恋人」として上映されたことはあまりに有名です。


ロバート・フランク

「アメリカ人」はあまりにも有名。ウオーカー・エヴァンスのあとを次ぐ写真家。「内省」をさらに発展させる実験的かつ断片的な写真を撮り、アメリカの空虚であっけらかんとした素顔とでも言うべき光景を余すところなく示した。


他にアーヴィング・ペンや報道写真を大きく発展させ、アメリカ社会を動かしたドロシア・ラングは忘れてはならない存在でしょう。また、ロバート・ハイネッケンらのシンセティック・フォトグラフィーと呼ばれるコラージュ・モンタージュを多用した作品を発表した一派もあげておかなくてはなりません。



f/64
大判カメラにおける最小の絞りの値のことであり、最大の被写界深度を確保し、前景も背景もむらなく均等にシャープに写すことができる値です。f/64の哲学を具現化する手法の基盤です。
何よりも精密で即物的な造形美が特徴となります。

レイヨグラム
フォトグラムとしてタルボットが制作したのが始まりと言われます。マン・レイの他モホリ=ナジ(バウハウス)もよくこの技法は使います。世に広めたのはマン・レイとモホリ=ナジです。
カメラを使わず、直接印画紙の上に物の断面等を置いて感光させる技法です。美術の時間にやったことのあるヒトがいるでしょう。

ソラリゼーション
いかにもシュル・レアリスムという感じの技法。
現像中に露光を過多にすることで白と黒の反転を誘う技法ですが、その起こし方は微妙なさじ加減で決まります。

2013年8月16日金曜日

相模原の女性画家展から7人ほどまとめ

ローカルな美術展ですが内容はなかなかのものでした。そのお勧めレポートです。8/25まで相模原市民ギャラリー(駅ビルの4F)で行われております。会場が混むことだけは絶対にありませんので、静かに誰もいないフロアで絵を鑑賞したい方は是非どうぞ。


1.遠藤彰子
武蔵美卒、武蔵美教授

「街」シリーズから2点展示。


一点は上から眺めたスタティックな建造物(街)の絵です。人も街中を歩いています。

もう一点は、かなりの大画面で上空に向かう絵でキャンバスを二枚繋げています。基本同様の街を下から見上げる構図ではありますが、その街がある部分では真横から、ある場所では真下から、またある所は上方からの視点で見ることを求められる構造体となっています。360度の視点を要求されます。ですから足場が悪い。首を右へ左へ傾け傾け見ることになります。
異なる空間・時間を動的に繋ぎ合わせ人々と建造物が上空を目指すことを予感させる力技です。画布の外にはみ出て行きそうな絵です。
エッシャーの絵のような厳密でスタティックな構造体ではありません。ダイナミックで「眩暈」を感じる運動体です。人物の動きや影にはキリコの郷愁が漂い、マチュエールを確認するとそこにはバルチュスが感じられます。
昔から教科書にも取り上げられていた馴染みの深い作家です。


2.大谷有花
多摩美卒、秋田公立美術大准教授

「ウサギねずみ」シリーズ?2点

ウサギねずみが黄緑色のバックで二匹対峙(1対向き合い)している絵です。絵によっては何も持っていないもの、片方が本を積み重ねて持ち、もう一方がキャンディーの入ったガラスの瓶を持っていたりで、何らかのコミュニケートが執り行われているかのように見受けられます。
作者によれば、ウサギねずみは、相反する性質を持つ二面性のある存在を意味し、黄緑色は作者の幼少期の部屋に敷かれた絨毯の色だそうです。
ファンタジーのように見えて、自分を客観視したうえでのメッセージだそうです。
構図がとてもスタティックで左右対称を基本としています。イメージをはめ込むタイプの構成です。


3.小野さおり
女子美卒、同大学院修了

「セカイノセカイ」他計2点

ツルツルの画面です。ブルーが基調になっています。コップの中に水晶や珊瑚、イソギンチャク、貝、半透明な球体、子供の人形の頭部などが入っている絵です。一つ一つが大変細密に描かれていますが、輪郭線も意図的にはっきり入れられており、そこが具象的な題材の絵を神秘的に抽象的にしています。
とは言えそれらの要素は、あくまでも静謐な空間に物音ひとつ立てず、永遠にコップの中に漂っているかに見えます。そのコップに指を入れると、温度を感じない、そんな世界です。
結構、見入ってしまうクセになるタイプの絵です。一人になったとき自分の好きなものを透明容器に静かに忍ばせていく感覚、、、。損保ジャパン美術賞を受けているようです。
ある意味、この絵はもう完成されているように思われます。次となるともう違う絵を描いていくしかないのでは、と思えるのですが。はっきり言って好きな絵ではあります。


4.菅野静香
女子美卒、同大学院修了

「うしろのしょうめん」1点

びっくりしました。パッと見たとき、ああ日本画かあ、と自動的に思ったのですが、よくよく見ると何と油絵だったのです!こんな描き方があったのか、またなんでと思いました。
絵そのものは日本画の様式美の範疇にありますね。平面的で装飾的そして細密。確か少女が9人いて、それぞれが顔も表情も皆異なり、動きも見られます。しかし画面全体に儚さが漂っており、作者の思い描く世界がはっきり具現されているように思われました。
しかしどうやって描いているのでしょう?何故、日本画ではなく油絵の具を使う必然性があったのか、聞いてみたいものです。


5.幡谷純
武蔵美卒、国画会会員

「来生」他沢山6点くらい?

中東地域の影響を受けて制作しているそうです。油絵です。
イスラム世界の太陽、砂漠、世界観などをもとに独特な立体模型を描きあげています。
複雑に交錯しながら延びる石版が作るまさに変幻自在な3D曼荼羅模様に展開していきそうな雰囲気も感じさせます。
しかし同様のコンセプトを持つコンピュータグラフィクスアーティストからのアプローチと多分に重なる領域での作業でしょうね。その点での一種危うい感じがする作品ではあります。


6.真島明子
武蔵美卒、九州産業大学非常勤講師

壁面オブジェ沢山

全て木のオブジェです。
なんというか、立体で壁面への接着面を除くと、上部と左右の面の他は面(囲い)が無く、中の構造が晒されています。そこには丁度接着面の裏側に貼り合わせる形で、黒く色を塗った小さな正方形の板が平に埋め込むように貼り合わされています。他の部分(面)は板の生の色です。
作者は、作品と作品を取り巻く空間との「関係」をテーマとしているようです。そんな開かれたオブジェをこの木片に確かに感じます。
「木を素材とした立体とその配置が生み出す関係性」
木ではないですけど、こうしたテーマはわりとよく見ますね。というか日本古来の伝統的な芸術はみなそうです。庭園の砂の上に置いた石など。基本といえば基本中の基本です。


7.山田美佳
女子美卒、刺繍の注文製作(銀座)

「潮流に乗る海亀」他2点

物凄いビビットな絵だと思い、アクリルかと想像しながら近づくと、またもやびっくり仰天!刺繍でした!何という細かな作業。気の遠くなる手のこみ方。これはもう伝統工芸の分野です。すぐに人間国宝か?
「刺繍の新たな可能性」、と書かれてありましたが、そのような着眼があったとしてもこの技術がなければ水の泡です。海亀が泳ぐ大海に巻き起こるひとつひとつの細かい泡の見事なこと。今のうちに後進(弟子)の指導も始めておくことをお勧めします。亀の顔の表情?も本当にリアルでした。



他にまだ5人ほどの方の力作がありました。会期中もう一回見に行きたい気もします。遠藤さんと小野さんの作品を特にまた見たいです。
それでは。どうも。












2013年8月14日水曜日

手軽にできるシュル・レアリスムの技法まとめ

1.ドリッピング

1)普通より多めに水を含ませた絵の具を筆に含ませる。
2)画用紙にポタッと垂らす。

3)そのまま次々にいろいろな色を紙面にたらしていく。たらし方を変えると(量・速度など)模様にも変化が生じる。

又は、これにストローを使う方法
3)表面張力で球状に紙面に張り付いている色の水滴を、ストローで吹き散らして枝分かれする模様を作る。
4)色を換えてくりかえしておこなう。色の交差により色が混ざり新しい色模様が伸びてゆく。


*ストローを使わずただ絵の具を滴らせるだけで制作をしたのは、ジャクソン・ポロックです。大きな紙(紙の上を歩いて制作できるくらいの)を使うとダイナミックな作品が作れます。
なお、お子様が制作する場合、ストローで息を吹くことが難しい場合があります。逆に吸ってしまうようでしたら、ポロック風に遊んでください。


2.デカルコマニ

1)画用紙に絵の具をチューブのまま塗りつけます。
2)何色も同様に適当な形で繰り返します。
3)画用紙を真ん中で内側に(絵の具が付いている側に)二つ折にすると、線対称の面白い形が生まれます。


又は、他の面(例えば硝子、板)に絵の具の面を押しつける方法
3)押しつけたところでそのまま離さず、少し面をずらすなどして転写します。

ちょっとロールシャッハテストみたいですね。お子様が制作するとしたら、紙を折ることでむちゃくちゃに塗りつけた色が、複雑ながら綺麗な対称形になっていることは、少なからず感動的な経験であり「対称」に対する認識を芽生えさせる契機になるかもしれません。
違う面、例えば硝子などに押しつけズラして模様を転写する方法は、マックス・エルンストの作品によく見られます。傑作がたくさん生まれています。


3.フロッタージュ

1)薄い紙(半紙や和紙)を凹凸のある(テクスチュア)の上に乗せる。
2)色鉛筆で紙の上から下のものの凹凸の形をを擦りとる。
3)一種類だけでなく様々なテクスチュアを写し取るとってゆく。


*お子様が始めるとしたら最初はお金が良いかもしれません。それによりこの技法のメカニズムが理解しやすくなるはずです。家中の表面(テクスチュア)の凹凸の面白いものを探して片っ端から紙をのせて擦ってください。外が安全なら、ビルの外壁やアスファルトの路面も面白いです。
これもマックス・エルンストの多用する技法のひとつです。
日本ではすでに江戸時代には子供がこの技法で遊んでいたそうです。
大きな紙を持って、世界中をフロッタージュして歩いている日本の芸術家もいます。


4.スパッタリング

1)絵の具を普段絵を描くより若干水多めに溶きます。
2)画用紙の台紙の上に型紙(ステンシルを幾つか手でちぎり置いていきます。(4、5枚ほど)
3)角網の上から絵の具をつけた歯ブラシを擦り、細やかな霧を紙面いっぱいに振り撒きます。
4)色を換えるごとに、型紙をズラしていきます。(型紙は少し重なりあっていても大丈夫です)
5)5回くらいやったところで、型紙すべてを撤去します。柔らかいシルエット状の絵柄が出来上がっています。
6)角網は色を換えるときだけでなく、霧の落ち具合が良くなくなった時には、洗って水気を拭き取りましょう。


又は型紙(ステンシル)を使わない方法
2)ただひたすら台紙に絵の具の霧を振り撒きます。柔らかい色調の色紙が出来ます。

*この技法においては、複数の型紙を台紙に乗せて、少しずつづらしながら制作することをお勧めします。非常に美しく柔らかな色面が出来、型紙の形により変化に富んだ模様になります。できれば最後まで絵の具の付かない面(真白い面)を残すと、他の色との関係でまるで光のような面が出来ます。是非お試し下さい。


5.マーブリング

1)バットに3分の1位の深さまで水を入れる。
2)水面に直径1㎝くらいの紙片を浮かべる(紙片は水に湿らせておく)。
3)紙片の上に絵の具(彩液)を垂らす。
4)素早く紙片は取り除き、水面に波紋状に拡がる模様を少し筆の柄等で動かし形を複雑にする。
5)この形で良い、というところで画用紙(和紙)を水面に水平に乗せて模様を写し取る。


*最近では西洋マーブリングも売り出されており、こちらは定着液を使うもので大変模様が濃く鮮やかに付きます。勿論、墨汁を使う文字通り、「墨流し」もあります。油絵の具とテレピン油(わたしは昔、こちらを習いました)で行うものもあります。今では画材道具を扱う店ではどこでも手に入る{彩液}を使う最も手軽に行えるものをご紹介しました。
水面に浮かべた紙片上にたらす事がまず肝要です。そうしないと絵の具自体の重みで水底に沈んでしまいますのでご注意ください。


6.ぼかし

1)予め画用紙の片面をすべて水で濡らしておきます。
2)画用紙の上に、水でサラサラに溶いた絵の具を垂らします。(マーブリングで使用した彩液を使うとさらに綺麗にできます

3)マリ藻のような形で拡がる模様を幾つも作ります。
4) 模様の重なり合いで、色が混ざりあうのもわざと作るとよいでしょう。


*これについては無意識的に行っていることが少なくないと思われます。想像画の背景などに使えることが多いです。




 どの技法にも、何かの形に似ているところが見出せます。それを元に、筆やペンで形を描き加えていくと大変素敵な絵が出来上がります。また、上記の技法同士を複数組み合わせると、さらに面白く重厚な作品が出来ます。シュル・レアリスムの絵画にも注意してみるとこれらの技法が使われて(組み合わせて使われて)いるところが見つかります。またこれらを素材(要素)として扱い、ひとつの画面に構成して作品にする「コラージュ」という方法もエルンストをはじめ多くの画家が使っています。

2013年8月13日火曜日

気になる写真家① フランス 7人



ナダール
肖像写真家の他、風刺画家、ジャーナリスト、小説家としても名を馳せる。気球に乗って撮ったパリ市街の写真は当時の人々を大いに驚かせた。友人のドーミエは風刺画、「写真を芸術の高みに浮上させようとするナダール」(上)という風刺画で称賛した。
何と言っても彼のおかげで、当時の著名人の姿を写真を通して知ることが出来ることは大きい。ジェラール・ド・ネルヴァル、ジュール・ヴェルヌ、ピョートル・クロポトキン、ジュール・ファーヴル、サラ・ベルナール、シャルル・ボードレールなど貴重な肖像写真が多数ある。



ウジーヌ・アッジェ
今、アッジェの作品として残るものは写真だけであるが、自分がなりたかったものは、画家であり役者であった。写真は生活を支える資料として撮っていた。パリ市歴史図書館に収めるため、パリの生活と仕事、パリの乗り物、パリの室内(芸術的、絵画的、中産階級的)、パリの仕事・店・ショーウインドウ、パリの看板・古い店、城壁跡、パリの旧軍事用地帯の住人の様子などに分類して撮影していた。
現在、パリ第三共和政下の記録としてだけでなく、風景写真としての価値が非常に高く評価されている。「アッジェのパリ」



アンリ・カルティエ・ブレッソン
20世紀を代表する写真家。スナップを中心に作品を発表。数々の芸術家や著名人のポートレートでも名高い。ロバート・キャパ、デビット・シーモアらと国際写真家集団マグナム・フォトを結成。ライカを常に使用していた。
本格的に写真を始めるきっかけはシュル・レアリスムの写真家マンレイの影響であった。しかし技法の上では、レイヨグラフソラリゼーション、コラージュ等の使用は見られない。ポートレイトでは、マハトマ・ガンジーなど。何故か写真家は画家を兼業(または目指す)するヒトが少なくないが彼もその例にもれない。



ジャック・アンリ・ラルティーグ
世界で最も有名な素人写真家。身近な物事、人物などのプライベートスナップが多いが、A.C.F.(フランス自動車クラブ)グランプリ・レース の写真が特に知られる。そこでのスリットカメラで撮った疾走する自動車のタイヤの歪み(ローリング・シャッター現象)が話題になる。何をもって素人・プロとするかはともかく、現在ラルティーグはブレッソンと並び称される立場にいる。



ロベール・ドアノー
ピカソ、ジャン・コクトーなどの芸術家のポートレートを多く手掛ける。ファッション誌(ヴォーグ)やパリの街中の写真も多い。「芸術家たちの肖像-ロベール・ドアノー写真集」など。



ブラッサイ
パリの夜の街を撮った「未知のパリ・深夜のパリ」を残す。夜を歩く友人にヘンリー・ミラーやジャック・プレヴェールらがいた。
岡本太郎とも親交があり、彼の作品の日本での出版に岡本の尽力が少なからずあった。
ロックアーティスト、リッキー・リー・ジョーンズは -デビュー・アルバムのジャケットにブラッサイの写真を使用している。


イリナ・イオネスコ
娘エバ・イオネスコをモデルにした「鏡の神殿」を発表。
シュル・レアリスムとバロックの影響を受けた独特な作風が特徴でセンセーショナルな話題を巻き起こしている。



2013年8月12日月曜日

名画とは?

久々に絵でも見たいと思い、画集のある書棚をひっくり返していると、面白い本を見つけました。名画とは何か、それを根本的に考え直すことを試みた「名画読本」です。
尾辻克彦として小説を書き(芥川賞も受賞)、脚本家(豪姫や利休)としても著名な画家(前衛芸術家でもある)、赤瀬川源平氏の痛快なエッセイ集です。彼によって所謂名画がどう裁かれているのか、ちょっと目の覚める刺激を受けてみたいと思います。参考になりそうでしたら、実際に本をご覧になることをお勧めします。

本書では、モネ「日傘をさす女」、マネ「オランピア」、シスレー「サン・マメス」、セザンヌ「坐る農夫」、ゴッホ「アルルの跳ね橋」、ゴーギャン「タヒチの女たち」、ブリューゲル「雪景色の狩人たち」、レオナルド「聖アンナと聖母子」、フェルメール「アトリエ」、コロー「コンタンティヌスのバシリカのアーケードから眺めたコロセウム」、ロートレック「ムーラン・ルージュの踊り」、ユトリロ「コタン小路」、マチス「ピアノのレッスン」、ルノワール「ピアノによる少女たち」、アングル「泉」の各名画15作にわたり縦横無尽に論じ、ある作品はその素晴らしさを彼の眼力でさらに鮮やかに浮き彫りにし、ある作品については、余計な鱗を全部削ぎ落し、本当の姿を暴いてしまっています。このうちの幾つかは私も薄々そう思いつつも、はっきり言語化が出来なかったというものが幾つもあり、読んでみて思わず膝をポンと打ってしまいました。まさにそれぞれの絵の本当の見方(本当に観るべきこと)が軽快でウイットに富んだ文章でとても鋭く指摘されています。



マネの「オランピア」の発表された同時代の感性にとってオランピアが実はどのようにスキャンダラスであったのか。何故マネが印象派の父と呼ばれるにふさわしかったのか。

ブリューゲルの「雪景色の狩人たち」を黒い鳥の位置に立って構図を俯瞰し、その博物画とも言える絵の楽しさからルネサンスの観念的な絵画批判に至る章。

ルノワール「ピアノによる少女たち」はまさに私も感じていた色とタッチの「説明的」なところを全体にわたり細かく的確に指摘し、「印象派」草創期の頃の各印象派の画家の絵の素晴らしさも再認識させる。その返す刀で世間に迎合したこの絵の退屈さと緊張感のなさを嘆く。

これは私が一番わが意を得たと思った、アングルの「泉」。まるでブリューゲルの絵とは対極にある、中心となる対象とそれを取り囲む申し訳程度に描かれるツマのような脇役。筆跡を全く残さない
表面的に上手く描けているだけの通俗的な画面。これは「風俗営業の入口にぴったりの絵である。」



「絵」に対する愛情たっぷりの痛快なエッセイ集です。

2013年8月11日日曜日

コウマスの3タイトル ロック界の名作紹介①

Comus アシッドフォークの最高傑作!3作

イギリスプログレッシヴ・ロック(アバンギャルド・アシッド・フォーク)グループと、取り敢えず申しておきます。1971年、ドーンレーベルからファーストアルバム”First Utterance”を発表。グループの名前は、ミルトンの仮面劇「コウマス」、ギリシャ神話の「欲望と快楽の神」から来ています。その名からもそして特異なメッセージを突きつけるアルバムアートワークからも何か非常に先鋭的なコンセプトをもつ芸術的(文学的)な集団であることを匂わせます。(後に出すサードアルバムも病的というか猟奇的な雰囲気を漂わせる同様な描画がジャケットに使われています。)

実際に聴くと、予感を遥かに上回る、狂気と美を極めて高いレベルで融合したサウンドにすっかり虜にさせるものです。それはいまでも全く色あせない、波長が合えばはっきりクセになるタイプの音です。呪術的で原始的な祝祭を想わせる幽玄かつカオス的(サードイヤーバンドを想わせる)サウンドとアコースティカルな美しくも狂気を孕む緊張感をもった旋律こそ彼らの真骨頂です。楽器はバイオリンやビオラ、フルートやオーボエとパーカッションが畳みかけるアコースティカルなサウンドを特徴とします。女性ボーカル(ボビー・ワトソン(perc.))は、アニー・ハズラムのクリアーさとダグマー・クラウゼの毒を両方併せ持つ表情があります。リーダーでギター、作曲のロジャー・ウットンの張り詰めたアグレッシブなボーカルがこれに絡みます。そう、今聞くとロジャーのコンポーザーとしての資質はかなりピーター・ハミルに近いものがあります。他にアンディ・ヘラバイ(bass)もボーカルをとり厚みを増します。演奏面でも楽曲を十分に表現する確かな技術がうかがえます。

2ndは1974年、"To Keep from Crying" をVirginレーベルから発表しました。上記オリジナルの3人のメンバーに、キース・ヘール(k)、ゴードン・コクスン(dr)を加えて再編。ヴァージンに移籍してヘンリー・カウのリンゼイ・クーパー(bassoon)、ゴングのディディエ・マルエブ(sax)、エスペラントのティム・クレーマー(cello)の強者が加わります。前作より楽曲が洗練されロック色が強くなっています。完成度は確実に上がってます。ポップになり聴きやすくなったと言えましょう。間違いなく傑作です。ジャケットも前作とは趣の異なる、おどろおどろしさがないアーティスティックなものになっています。

1stアルバムは評論家からかなり酷評を浴びたそうです。2ndも入れ替わったメンバーのため注目度は増しましたが、やはり高い実力とクオリティが正当に評価されたわけではなかったようです。これまでに類似したサウンドがない異端性またはあまりに多様な音楽要素が絡みすぎ、異形なアートワークの雰囲気も含め、生理的に受け容れ難いものがあったのでしょうか?

来日公演も果たしております。見には行けませんでしたが。

そして3rdアルバムが、2012年38年ぶりに発表されました。Out Of The Coma”
その間も私はときどき思い出して、1stは聴いていましたが、まさかスタジオ録音盤がいま頃出るとは思いませんでした。コプティック・キャットからの発売です。現在、輸入盤で入ってきています。計4曲。内、新曲3曲・72年ライブ音源1曲の構成です。スタジオ音源がロジャー・ウットン、グレン・ゴーリング、ボビー・ワトソン、アンディ・ヘラビィ、コリン・ピアソン、ジョン・シーグラットの6人編成、ライヴ音源がウットン、ゴーリング、ワトソン、ヘラビィ、ピアソン、リンゼイ・クーパーの6人編成です。アルバムのアートワークも1st的なものに戻っていますが、曲想も1stに近い文字どうりCOMUSの世界復活です!バイオリン、フルートの音も、ワトソンのボーカルも相変わらず健在で、コアなファンには間違いなく涙ものです。再編成されたとなると、新作が今後も期待できるということです。

いまとなると、コウマスはヘンリーカウと同レベルの強度をもつ独創性溢れる、歴史に残るグループであることを痛感します。

2013年8月8日木曜日

夏にとても楽しく読める旅行記 1点紹介!

インド旅行記1~4 中谷美紀 (幻冬舎)
お勧めの一品です。

1~3はエッセイです。4は写真集です。
とても文章がこなれていて読みやすく、内容がともかく面白いです。
途中で止められず、ついつい最後まで読んでしまいます。
ですから、なるべく全部そろえてから読んでください。

なお、写真集はあくまでも中谷さんが撮ったインドの写真集です。
中谷さんが被写体の写真集ではありません。念のため。
写真集のほうにもダイジェスト的に1~3の内容が書かれていますので、どんな旅行記なのかあらかじめ知りたい方はこの本から入ってもよいかも知れません。

真摯に異文化に向き合い、自分の道を探る中谷さんの姿が浮き彫りになります。しかし、文章が重くならず、楽しく読めます。涼みながら中谷さんのCDをBGMで読むのもよいかも。



おまけにもうひとつ特典(笑)

「緒川たまきのまたたび紀行-ブルガリア編」(ロッキングオン)
同じく女優の緒川たまきさんの旅行記です。
インドとはかなり趣は異なりますが、こちらはブルガリアで「薔薇三昧の日々」を過ごす緒川さんの詩とエッセイと写真で構成されています。写真・文章ともにクオリティは高いですが、涼やかに楽しめます。ハーブティなど飲みながら読むと、とても気持ちよいことうけあいです。

2013年8月7日水曜日

夏にもってこいのお宝紹介!1点 ”やまなし”画本宮沢賢治CDROM

やまなし~画本宮沢賢治CDROM~(ジャストシステム/キューズデザイン)
もうとっくに絶版ですが。
もっていない方、もし見つけたら、絶対買いです!


かつてパロル舎から出版された「画本 宮澤賢治」小林敏也(第13回宮澤賢治賞受賞)全15刊も勿論、素晴らしいお宝ですが(もうパロル舎がありませんし)、私の今回のおすすめは、その画本を元に制作された、1996年ジャスト・システムから発売されていたCD絵本です。
これも、その後の発売がないので、古書店その他で探す他ありませんが。
通常のアニメーションのような動きや、3Dの立体感などの無駄な饒舌さがないことでじっくり想像の世界で遊べるものです。
どれも素晴らしい元画をそのまま使い、見る側のペースで画をすすめパソコンで幻燈を見るように見られるものです。

インターフェイスの風情がまたお洒落です。

ただし対応OSは98/98SEまでですので、バーチャルOSの環境が必要となります。
マイクロソフトのバーチャルPCをXPベースで使ってますが、何の問題もなく作動してます。
CDROMに入っていますが、クイックタイム2.1をインストールして使います。いま、バージョンは確か7.7.4だったはず。2.1でないと動かないので、バーチャル側には、CDにあるバージョンをインストールしてください。

このシリーズの中で特にわたしのお勧め1点は、「やまなし」です!
出色の出来です。

まず何と言っても版画家小林氏の画の質の高さは、後にも先にもこのレベルのものは出ないでしょう。単なる絵ではなく版画であることの抽象性とディテールの無駄のない美しさが最大限に生きています。
それに加え、CD絵本ですから当然、画にあわせた朗読が付いているということです。下手な朗読・ナレーションでしたら無い方がイメージを壊さないでよいですが、これは熊谷真美さんが担当しており、その世界にまったく自然に溶け込んでおり、より一層浸りこむことができます。

もしどこかで見つけたら、是非手に入れてお子様と一緒に観たら、とてもよい夏休みのひと時になることでしょう。

では、きょうはこのへんで。




2013年8月5日月曜日

JPopで夏に聴くと気持ちのよい声 1点おすすめ!

あえて音楽と書きませんでしたが、「声」はとても大切だと思います。
勿論、ブライアン・イーノとかジョン・八ッセルでもよいのですが、今回インストではなく「声」で癒されたいと思います。

実際クーラーで何処も冷えているのですが、単に気温だけの問題ではなく。
外からくる光の加減とか、けだるくねっとりした空気感とか。
その雰囲気が不快感となって、のしかかってくる夏。

そんなときは、強く清涼感のある「声」が一番効果的に思います。
冷たい清涼飲料水ばかり飲むと、胃が疲れ余計だるくなりますし。
今回おすすめは、中谷美紀のアルバム。あえてこの曲とは言いませんが、、、
<食物連鎖><ABSOLUTE VALUE><私生活>どれもアンビエントミュージックとしてかけていても充分安らぎ、何かの仕事をしたり、読書をしてもはかどります。
サウンドのほうに体が持っていかれないところがよいです。

今日はだるい、と思ったなら、どうぞ、お試しください。
周りの煩いカフェに行くよりよいかも知れません。


坂本龍一氏のプロデュースです。本腰入れてるのは判ります。

かつてPhewの「終曲」「うたかた」のプロデュースには腰を抜かしました。いまだにこの仕事がベストだとは思います。


2013年8月4日日曜日

夏休み 撮りためたビデオの編集が大変ですね

ビデオ編集の際の肝をまとめたものを見つけました。少し細かいかも知れませんが、まず見出しだけでも確認してください。私が6年ほど前に作ったものですが、基本的に今の編集ソフトを使う上で何も問題はありません。


ノンリニアビデオ編集についての覚書


何を、誰に見せるかをもとにストーリー展開を工夫 



1.    全体の流れ・リズムを大切に:シーン・カットは短く切り詰めて並べる
(つかみ:クライマックスシーンをまず見せる~タイトル~本編~エンディング)
2.    写真・イラスト等も展開等に効果的に使う
3.    シーン・カットの精選:同じようなものはすべて捨てる 迷ったら捨てる  
4.    説明の必要な部分にはタイトルを簡潔に入れる
5.    エフェクト、トランジションの使い方(尺も含め)に充分注意を払う
6.    音・オーディオで流れをまとめる


1.あくまで、カット・シーンの並べ方で決まる

まずカットの集まりが一つのシーンを構成する
 ・カットは積極的にカットする:連続する動きはただもたれる
 (連続する動きの中のポイントを効果的に使って再構築する)
 ・カットの順番を工夫してシーンを構築する
時系列にこだわらない
 ・冒頭クライマックスシーンをダイジェストに見せておくと期待感を煽る
 ・エンディングでダメ押し(写真も可)
 ・旅行案内のようにならないように
誰が主役か それで切り詰め方も決まる
 ・連続するカットの長さがリズムをつくる
 (見せたいポイントを切り詰め5,5,7秒等とする)
 ・さらにこの尺に合うBGMを厳選する BGMのないところもつくる
 ・エフェクトでメリハリをつける:セピア、モノクロを別時間の流れとして表現
終わりが肝心
 ・終わり方で作品全体の印象が決定する 細心の注意を払う
 ・エンディングの始まりを予感させるあたりからが、クライマックス!



2.写真を積極的に使うことで線上的流れを重層的に

タイトルの背景に
  ・文字の色との関係を配慮
エンディングに効果的に
・その上にエンディングロール(クレジットスクロール)をかけるのもよい
シーンの変わり目に
・写真にかけるトランジションは控え目に クロスディゾルブ‥
別の時間の流れとしてBGMの尺に合わせて
・いわゆるフォトシネマ風に 回想シーンや別次元の訴え方ができる



3.自分で撮ったものは想い入れが強すぎる

あくまでもソース
  ・捨てるべきものは潔く捨てる
テーマは何か、主役はだれか 誰に見せるのかを思い出す
  ・細部に気持ちが向いてしまい、面白いところがあちこちに見出される
  ・余計な面白い場面は他で利用することにして、今回は諦める
アングルの動き等、内容ではなく形式の面白さでの選定
  ・ロングやアップばかりだと構成しても単調となる
  ・アングルに動きのあるものを選ぶ等



4.タイトルは簡潔に効果的に

基本的に「読む」のは辛い 文字が目に飛び込んできて分かるように
  ・しかし文字は大切 使いすぎないことは心がける
*第三者が見るため、分かりにくい映像には必ずタイトルはつける
タイトル(コメント・テロップ)を効果的に演出に利用する
  ・カットに突っ込みを入れるなど「おいおいそれは‥」とか
  ・ある程度の長さが必要な時はテロップで効果的に
  (歌詞でよく使うが、その先に興味を持たせるために意味深のテロップを入れる等)
タイトルにエフェクト効果は有効
  ・文字も映像の一つと考える エフェクトやトランジションは存分に使う
  ・あくまでも主映像の演出となるように 表示時間・色・透明度・インアウトの設定は重要



5.トランジション・エフェクトは演出の要

内容=形式となるように 
トランジションに関して :シーンとシーンをつなぐ重要な効果
アップテンポ系ワイプ 縮小・拡大
余韻系フェードイン・アウト ディゾルブ ウォッシュアウト・イン
*単にシーンの切り替えをきれいに見せるためではなく、全体の演出効果が大きい
*全体の流れをスムーズにし、トランジション自体は目立たぬように控え目に
・トランジションがシーンの中で自立しないよう とかく奇抜で派手なトランジションを使いがち
 (使ったことが意識されないくらい内容に溶け込むように)
シーンにぴったり合ったものを選ぶ
・スピーディで唐突な切り替えは  (スターウォーズ、ニュースのヘッドライン等)
・ゆったりとして情緒的な雰囲気の切り替えは  ゆったりの中にメリハリをつける
トランジションはさじかげん
・トランジションの尺によってもかなりリズムが変わってしまう
・一般的に☆系短め(1秒)◎系長め(4秒)であるが、流れの内でよく吟味
エフェクトに関して :シーン全体にかける重要な効果
・モノトーンやセピア、昔のフィルム等、本編と違う(重層的な時間を見せる)部分を見せる目的に使うと効果的
 誘惑に負け意味なく多用しない 内容が混乱し変質してテーマを見失う
 シーンの速度の調節も必要
 *イメージ(形式)で伝えるという点から考える
 

 
6.もうひとつの要は音

*演出のメリハリとして、シーンの中の音のボリュームを調整する
・ムービーすべてにBGMをかける必要はまったくない 曲のイメージVideoでなければ
・自然に入ってきた音をまず活かし、強弱を調整する
効果音は一部分のはっきりした狙いに対しては有効
・コメントを入れた部分などに最適
BGMは好きな曲の披露にならないように 
・オーディオエフェクトはあくまでも映像の演出 ボリュームと速度調整は必要
・オープニングとエンディングは同じ曲にして本編と分ける等の工夫は考える
・シーンごとに曲を分けると分かりやすく流れやすい
・原則として大切にしたい自然音とBGMは重ねない 重ねる場合、相殺しないようにする
・暗い場面で明るい曲を使う等の演出は重要 曲の厳選 CDからとる場合MP3への変換が必要



補足
書き出す前の最後の仕上げにレンダリングを行う:トランジション・エフェクトの実行をかける CPU性能に依存するため、CPU性能の高いパソコンほどストレスはない(GPUの性能はさほど必要ないがHD画質の再生時等、動画再生支援機能のあるGPUは必要)書き出し画質は用途によって変える mailに添付するときはweb画質でblurayに焼くときはHD画質等(パソコンスペックによってはHDには非対応)
トランジション・エフェクトを自在に行うには、基本的にトラック数が幾つも増やせる動画編集ソフトが必須 お勧めはPremiere FinalCut お手軽な割に高機能はi-Movie
Macのみ)は多くのプロが使用 MacOSに付属するソフト

MP3への変換はBonkEnc‥のFreeSoftで行うことができる CDから取り込んだ時点ではMpeg4