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2013年8月18日日曜日

気になる写真家② アメリカ 9人



アンセル・アダムス

ニューメキシコ上空の月が有名です。
写真技術に関する研究に余念がなく、技術書を3冊著しており、他の写真家に大きな影響を与えています。技術と美的想像力に優れた多彩な才能をもつ写真家として称えられています。
f64に絞り込んだレンズでアメリカ西部の台地を中心に生涯をかけて撮りました。エドワード・ウェストンらとともにf/64というグループを結成し活動します。
はじめてヨセミテの渓谷を撮ったのは、14歳のときです。それ以来渓流,渓谷、森の沼、湖、滝、山岳、森林、平原と月、砂丘等を撮っていきます。「写真は撮れるものではなく、作られるもので、印画こそ、その演奏である」18歳のときにコンサート・ピアニストを決意したアダムスらしい言葉です。



アルフレッド・スティーグリッツ

まずはじめに、写真科学を学び、写真製版の仕事をしていました。さらにヨーロッパの]写真技術をアメリカに伝えます。
ピクトリアリズム、所謂単に対象を写すというだけでない写真独自の表現を追求する潮流におけるアメリカでの中心的役割を担ったのも彼でした。しかし後にピクトリアリズムの絵画的作品を志向し、ぼかしなどの技巧や被写体の配置を重視しする作為的な手法を批判するようになり、見たままのシャープな写真を追求するストレート・フォトグラフィーに移行して、多くの優れた作品を残しました。



ウオーカー・エヴァンス

ソルボンヌ大学で学び、はじめは作家を目指したと言います。
写真の道に入り、世界恐慌下のアメリカ南部の農村の写真を撮ったことで有名になります。
写真は徹底したストレート・フォトグラフィーのスタイルです。
建物、室内の片隅、ベッド、看板、労働者、街を行く人、佇む人、ニューヨークのブルックリンブリッジ、、、特に建物の写真が大変艶めかしい独特の体温が感じられます。
「始まりと終わり」にはホイットマンの「世界の美と尊厳は、どんな薄片にもにも潜んでいることをわたしは疑わない、、、」に始まる名文が寄せられています。
その後、ニューヨークの地下鉄のなかで隠しカメラを使い、乗客の日常の姿を撮ってゆきます。「内省」というタイトルの写真集が出来上がります。「、、、そこには地球上のあらゆる民族と国家がある。」という、写真とはソーシャルランドスケープであるという自覚を促す序文が綴られています。




エドワード・ウェストン


彼は10代のころからシカゴ美術館で作品展を行い成功を収めていました。当初、肖像写真家として身を立てていましたが、ストレート・フォトグラフィーに賛同し、アンセル・アダムスらとf/64を結成します。題材は、ヌードや静物、風景等になってゆきます。白黒のコントラストで強く造形美が意識されたものになります。2人の息子も写真家として成功しています。


ダイアン・アーバス

双子の女の子の写真がとても印象的です。
ヴォーグエスクァイア」等のファッション雑誌のファッション写真家としてデビューし活躍しますが、リー・フリードレンダーらと「ニュードキュメンツ」を開くころから、次第にフリークス(肉体的、精神的な障害者、肉体的、精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、彼らの写真をたくさん撮っていきます。彼女はタブーや良識に守られた美意識を脅かす作品を次々に世につきつけて行きました。「ハノイを爆撃せよ」というバッジを付けパレードに参加する青年を撮ったのも、政治的意図からではなく、「何かに情熱をもったひとなら、それがどんな情熱であれ尊敬に値する」というスタンスを維持してゆきます。しかし彼女は徐々に精神の安定を失ってゆきバスタブで手首を切り自殺に至ります。


ベレニス・アボット

彼女は「変わりゆくニューヨーク」(連邦美術計画)に写真家として参画しニューヨークの変貌を淡々とカメラに収めて行きました。ストレート・フォトグラファーです。最初は彫刻を目指していましたが、マンレイのスタジオに入り、写真家に開眼します。
ウジェーヌ・アジェの作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した功績は大変大きいものです。


マン・レイ

彼は画家、彫刻家でもありますが、やはりシュル・レアリスムの写真家としての知名度が最も高いでしょう(オブジェは確かに面白い作品が多いです)。彼のおかげでわたしたちは、ダダイストやシュル・レアリストたちの極めて質の高いポートレートを見ることが出来ます。またそのようなストレート・フォトグラフィーの他に、レイヨグラム(フォトグラム)やソラリゼーションの技法を駆使した写真を多く発表して世に知らしめ、後の写真芸術に大きな影響を与えています。
代表作はなんと言っても「物質の精神に対する優位性」でしょう。鉱物エロスの極地。


リチャード・アヴェドン

コロンビア大学で哲学を学びます。軍役除隊後ファッション写真家を志し、ファッション雑紙「ハーパーズ・バザー」「ヴォーグや、グラフ誌「ライフ」で活躍しました。パリに滞在中はディオールの「ユールック」の写真を撮っていますが、このときの作風から、街並みを利用し、モデルのダイナミックな動きにブレやボケの効果、斬新なカメラワークなど映画風の演出をもった彼ならではの個性が見られるようになります。主流であったストレート・フォトグラフィーからは異質な独自の作風を完成させました。またシャネルとも親交を深め、有名なポートレートも撮っています。
ファッション写真家としてはアーヴィング・ペンとともに地位を確立し、公私ともに注目を集めるようになり、彼と妻の物語が、脚本家のレナード・ガーシェによって「パリの恋人」として上映されたことはあまりに有名です。


ロバート・フランク

「アメリカ人」はあまりにも有名。ウオーカー・エヴァンスのあとを次ぐ写真家。「内省」をさらに発展させる実験的かつ断片的な写真を撮り、アメリカの空虚であっけらかんとした素顔とでも言うべき光景を余すところなく示した。


他にアーヴィング・ペンや報道写真を大きく発展させ、アメリカ社会を動かしたドロシア・ラングは忘れてはならない存在でしょう。また、ロバート・ハイネッケンらのシンセティック・フォトグラフィーと呼ばれるコラージュ・モンタージュを多用した作品を発表した一派もあげておかなくてはなりません。



f/64
大判カメラにおける最小の絞りの値のことであり、最大の被写界深度を確保し、前景も背景もむらなく均等にシャープに写すことができる値です。f/64の哲学を具現化する手法の基盤です。
何よりも精密で即物的な造形美が特徴となります。

レイヨグラム
フォトグラムとしてタルボットが制作したのが始まりと言われます。マン・レイの他モホリ=ナジ(バウハウス)もよくこの技法は使います。世に広めたのはマン・レイとモホリ=ナジです。
カメラを使わず、直接印画紙の上に物の断面等を置いて感光させる技法です。美術の時間にやったことのあるヒトがいるでしょう。

ソラリゼーション
いかにもシュル・レアリスムという感じの技法。
現像中に露光を過多にすることで白と黒の反転を誘う技法ですが、その起こし方は微妙なさじ加減で決まります。

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