AdSense

2013年8月12日月曜日

名画とは?

久々に絵でも見たいと思い、画集のある書棚をひっくり返していると、面白い本を見つけました。名画とは何か、それを根本的に考え直すことを試みた「名画読本」です。
尾辻克彦として小説を書き(芥川賞も受賞)、脚本家(豪姫や利休)としても著名な画家(前衛芸術家でもある)、赤瀬川源平氏の痛快なエッセイ集です。彼によって所謂名画がどう裁かれているのか、ちょっと目の覚める刺激を受けてみたいと思います。参考になりそうでしたら、実際に本をご覧になることをお勧めします。

本書では、モネ「日傘をさす女」、マネ「オランピア」、シスレー「サン・マメス」、セザンヌ「坐る農夫」、ゴッホ「アルルの跳ね橋」、ゴーギャン「タヒチの女たち」、ブリューゲル「雪景色の狩人たち」、レオナルド「聖アンナと聖母子」、フェルメール「アトリエ」、コロー「コンタンティヌスのバシリカのアーケードから眺めたコロセウム」、ロートレック「ムーラン・ルージュの踊り」、ユトリロ「コタン小路」、マチス「ピアノのレッスン」、ルノワール「ピアノによる少女たち」、アングル「泉」の各名画15作にわたり縦横無尽に論じ、ある作品はその素晴らしさを彼の眼力でさらに鮮やかに浮き彫りにし、ある作品については、余計な鱗を全部削ぎ落し、本当の姿を暴いてしまっています。このうちの幾つかは私も薄々そう思いつつも、はっきり言語化が出来なかったというものが幾つもあり、読んでみて思わず膝をポンと打ってしまいました。まさにそれぞれの絵の本当の見方(本当に観るべきこと)が軽快でウイットに富んだ文章でとても鋭く指摘されています。



マネの「オランピア」の発表された同時代の感性にとってオランピアが実はどのようにスキャンダラスであったのか。何故マネが印象派の父と呼ばれるにふさわしかったのか。

ブリューゲルの「雪景色の狩人たち」を黒い鳥の位置に立って構図を俯瞰し、その博物画とも言える絵の楽しさからルネサンスの観念的な絵画批判に至る章。

ルノワール「ピアノによる少女たち」はまさに私も感じていた色とタッチの「説明的」なところを全体にわたり細かく的確に指摘し、「印象派」草創期の頃の各印象派の画家の絵の素晴らしさも再認識させる。その返す刀で世間に迎合したこの絵の退屈さと緊張感のなさを嘆く。

これは私が一番わが意を得たと思った、アングルの「泉」。まるでブリューゲルの絵とは対極にある、中心となる対象とそれを取り囲む申し訳程度に描かれるツマのような脇役。筆跡を全く残さない
表面的に上手く描けているだけの通俗的な画面。これは「風俗営業の入口にぴったりの絵である。」



「絵」に対する愛情たっぷりの痛快なエッセイ集です。

0 件のコメント:

コメントを投稿