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2013年8月26日月曜日

プレラファエル派

作品の署名に秘密結社まがいのPRBと記する、イギリスのハント、ロセッティ、ミレイの3人の若い画家仲間。1848年~メンバーのミレイがロイヤル・アカデミー会員に選出された1853年までが、3人揃っての活動期と言えるか。それ以降はプレラファエル(派)主義とでも言える個々の活動と次世代の画家が加わる最盛期を迎える。バーン・ジョーンズたちの出番である。派の理念は基本的に、ラファエロ以前の時代の、つまり権威(古典)の確立する前の段階に立ち戻り絵画の制作を純粋に観察に基づいて行おうと言うもので、テーマが宗教であっても描き込む対象をすべて現実の身の回りのものから選び、ディテールに至るまで細密に克明に描き込んだ(ジョン・ラスキンの思想も後押ししている)。彼らは陶器製のパレットを使い、混色しないで色を置くことで煌くような画面を生む手法を用いた。しかし遠近感や空間、明暗の表現に困難が生じる面があった。当初は風変わりの野暮ったい怪しい結社を組む絵かきたちだと攻撃され酷評されるが、一度ラスキンがこれを擁護すると世間の見る目も変わった。この派の流れは後のラスキン・モリスの芸術運動に昇華される。



ホルマン・ハント
1827~1910
プレラファエル派の王道を行く画家。宗教的題材を日常世界の素材で克明に描ききる方向性を忠実に守り続けた。事物の細密描写は細部から遠方に至るまで偏執狂的になされており、そこからくる神秘性、幻想性が際立つ。徹底して描くべきものや場所を写実するためにパレスチナにも何度も足を運んだ。ロセッティからもミレイからも慕われる。

見出されたイエス クラウディオとイザベラ 世界の光 死の影 無垢の勝利 船 贖罪の羊




ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
1828~1882
日常をありのままに観察して細部まで克明に描くというプレラファエル派の理念から次第にずれてゆく。詩人でもあり教養も高い画家であったが、初期は技術的に未熟な面が多く、他の2人から技術の支援を受けて描いた。神秘や幻想面に閉じこもる方向性が高まり、文学性が多分に読み取れる作風となる。官能と霊性が溶け合う「ベアータ・ベアトリクス」などが彼の個性をよく表している。

聖告 若き日の聖処女マリア ダンテの夢 ダンテの愛 牧場の集い アーサー王の墓 ベアータ・ベアトリクス



ジョン・エヴァレット・ミレー
1829~1896
プレラファエロ派の中でも最も早熟な才能を発揮していた。
パレットには陶器を使い、色の純粋性を保とうとした。
写実を極めた宗教的・文学的な題材で作品を制作しセンセーショナルな話題を巻き起こしていたが、日常を崇高に描くという面では、かなり卑俗な自然主義的な描き方が目に付くよになる。しかしディテールの細密描写と強靭な造形力では自然主義絵画からは一線を画くものである。しかし次第に派からは距離ができ、売れ筋の絵が主体となる。肖像画家として引っ張りダコの人気を得、後にロイヤル・アカデミ-の会長に就任し商業面でも大成功を収める。

両親の家のキリスト 平和の谷 秋の落葉 盲目の少女 方舟に帰ってきた鳩 オフィーリア



バーン・ジョーンズ
1833~1898
ロセッティの弟子であり、第二期プレラファエル派であるが、最も傑出した派の理念の具現者であった。イギリスでプレラファエル派をかつてない人気を持つ中心的な派へと発展させた。ウイリアム・モリスと友人であり、ジョン・ラスキンの影響も大きい。バーン・ジョーンズの作品はすべてが硬質で冷たく人物などには内面が感じられないという批評もみられるが、様々なテーマを見事な技巧で構築する。モリスとの共作のステンドグラスも有名であり、デザイナーとしての才能も見せる。

アーサー王最後の眠り コフェチュア王と乞食娘 黄金の階段 チャタートンの死 廃墟の中の恋 

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