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2014年3月29日土曜日

マティスとルオー



マティスとルオーが親友で書簡がたくさん残されているということは充分に想像できることであったが、実際往復書簡が相当数残されていることが確認されている。

もともと2人ともギュスターヴ・モローのもとエコール・デ・ボザールで学んだ仲である。
ルオーはマチスより2つ下である。
大変優れた教育者でもあったモローの教室で出会った2人。
片やレンブラントの再来と言われモロー教室で度々1等をとっていたルオー。
片や聴講生としてモローに迎えられたマチス。
教室ではかなりのやんちゃであったルオー。
モローに対し堂々とタテをつく学生であったマチス。
これらの思い出も綴られている。


とても素敵なやり取りにもほっこりする。

戦時中の大変な時にお互いに必要な物を送りあったり、それぞれの身内の安否を気遣ったり、体の心配をしたり。
「君は仕事のしすぎで睡眠不足になりやすい。よくねてくれたまえ。」マチス
「最近は昼も夜もよく寝てるよ。この前は鼻に絵の具を突っ込んだまま寝てたよ。」ルオー
「そちらでは亜麻仁油が不足していると聞いた。小瓶を手に入れたので2本送るよ。」マチス
「君の健康状態が優れないと聞き、心配している。早く体調が良くなることを願ってやまない。」ルオー
などなど。


しかしお互いの芸術に関しては驚くほど言及は少ない。

お互いに同時代の批評家たちから大変辛辣な批判を受け続けていたが、お互いの芸術は尊重しあっていた。
「君の芸術への強い共感を信じてくれ」ルオー
「素晴らしく美しいルオーの絵を預かっているなんて運が良い。この絵と過ごすことができて本当に幸せだ。」マチス

2人が現代美術の先駆者として絶賛され始めたのは60過ぎてからであった。
評論家からは「マチスを見習え」などと新聞に書かれることもしばしば。どこも評論家は似たようなものである。

「色彩の魔術師」「喜びの画家」と讃えられるマチス。「20世紀最大の宗教画家」「厳しい内奥の探求者」として確固たる名声を博したルオー。

しかし形体の単純化、黒を一番の色彩においたこと以外は、共通点はなく、かなりかけ離れた芸術の追求を行っていた2人であった。
サーカスを描いてもマチスはその場の広がり・動きの構成を描き、ルオーはピエロの顔をイエスのようになるまで描き尽くす。

やがて
マチスが最後の最後に人生の総まとめとして手がけた作品がロザリオ礼拝堂のステンドグラスと壁画であった。
「今度南仏に行く娘たちは君の礼拝堂を見にゆくよ。」ルオー
これはルオーの芸術の出発点(ステンドグラス職人から画家となった)に重なる。もちろんルオーが生涯追求してきた宗教画をはじめてマチスが描く。
ルオーの最晩期の作品はそれまでの内面を追求した顔ではなく、キリストと人が同じ光に包まれた喜びすら感jられる色鮮やかな風景であった。(実はこの「秋の終わりV」はわたしの最も好きな作品だ)
どちらの作品ももはやこの世のものとは思えない慈愛に満ちた彼岸の光景のように柔らかく発光している。


マチスがいよいよ体調が思わしくなく、見舞いに行ったとき、ルオーは彼の疲労を考え早く立ち去ろうと思いつつ時を忘れとても長く話し込んでしまう。
そして帰り際、玄関ホールにてルオーは長いことマチスの切り絵のヴィーナスを見入っていたという。


マチスが亡くなる前、最後にルオーが病床を見舞った後の2人の手紙がなんともいえない。

「私にとって君の訪問がどれだけ大切だったか。今後二度とない若い頃のひとときを過ごすことができた。」マチス
「どうか安らかでいてくれ。君を満足させるためにわたしは何とかやってみよう。わたしはつまらなそうな顔をしているが、内心喜びに満ちている。今晩きみとの話を大切に思い出しながら。」ルオー








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