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2014年3月8日土曜日

アンドレイ・ルブリョフの画集を見ること~サクリファイスより






サクリファイスの映画を観て、妙に気になったところが、アレクサンドルが友人の医者からもらったアンドレイ・ルブリョフのイコン画集に魅入って、何度も賛美・感嘆の声をあげるところです。私自身画集が好きなので印象に残った部分もありますが、それだけでなくそのジョットに象徴されるようなその絵に、何ともいえぬ引っかかりをもちました。

「、、、これはまるで祈りのようだ!」アレクサンドル

アンドレイ・ルブリョフ(13601430
彼を題材とした重厚映画を一本撮っているくらいですからタルコフスキーのアンドレイ・ルブリョフに対する思い入れには並々ならぬものを感じます。アレクサンドル-タルコフスキーのその絵に対する思いとはどのようなものなのか?

アンドレイ・ルブリョフは修道士であり、また15世紀ロシア、モスクワ派における最も重要なイコン画家(聖像画家)として、正教会では聖人とされています。
イコン画は、通常「聖人、天使、聖書における重要な出来事や喩え話、教会の歴史を画いた画像」ということでくくられます。
絵の特徴としては、平面的画像というように説明されています。「平面的」ということ。


まずこの時期、絵とはみな少なからず、題材は直接神・キリスト教(正教)を扱っていなくても、「イコン画」といえます。(プロテスタントはイコンは使用しないですが
貴族や王の肖像画、静物画、風俗画、風景画、歴史画(多くは神話・宗教に題材を置くため聖画ーイコン画に入る)が見られますが、現代のそれら題材による絵画とは全く異なるものです。
最も大きな根本的な違いは、遠近法が透明化した均質空間における立体的な画像として現代の絵画が成立している点です。わたしたちの見慣れた絵です。

1415Cといえば、初期ルネサンスに入るかと思います。
遠近法の確立する前夜という時期でしょうか?

イタリアのマサッチオが15C、早々遠近法を絵画に導入していましたが。
同時代の画家でまだ風景と呼べる空間を作っていない例が多いことからも
遠近法の成立する、均質空間ー風景は未だ一般化ー透明化してはいないと思われます。
最も自覚的にかつ科学的探求からその空間がたち現れるのは、レオナルドのモナリザの背景となるようです

「イコン画」はこの時点で成立しその形式として現代まで受け継がれているようです
そのほかの題材である肖像画、静物画、風俗画、風景画、歴史画は「風景」ー「遠近法」の内面化ー透明化により、その形式は変遷を遂げて来ています

アンドレイ・ルブリョフに見えるイコン画とは、
ジョットの絵にも如実に窺えるような、存在の数だけ空間をもつような意味における平面的な画像
見慣れた画像ではなく、すでに知っていた画像。
現実に従属しない自立した画像として永遠性を放つ。
であるためにイコンであり続ける。
そのようなイデアとしての画像としてあり続けるものか。
絵画であっても、視覚で捉えるものではない絵画。(写実ではないメッセージ)
ことばとしての絵画といえようか。
実感として認識するのはもはや難しいものですが、
ことばが充分視覚的であった頃の絵画といえるものでしょう。
(再び平面性を見出した現代美術が新たなイコン性を見出しえたかどうか?)



このイコン画ですが、時折Web上で見ると、ブログなどで「イコン画始めました」等、イコン画が「お習字」のごとくに「始め」られていることを知ります。

「仮面ライダーアギト アートアーカイブス イコン画」にもちょっと驚きました。通販サイトプレミアムバンダイからの発売です。

単なる形骸化といってしまえばそれまでですが、平面性はマンガも含め無意識的にも求められてきているようにも思われます。





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