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2014年6月2日月曜日

すでに世界は終わっていたのか ~ ヒエロニムス・ボスその1


キリスト教には至福千年説があり、西暦1000年来、終末は近いとされ、1500年ごろ(まで)には「最後の審判」は盛んに描かれている。まさに大流行したという。
その後もずっと描かれてきているのだが、終末は来たのか来ていないのか、それ自体がいまひとつはっきりしない。
「最後の審判」が描かれているうちは、まだ終末は来ていないというのが、大方の見方である。

ただ、終末と言うもの、最後の審判とはどのようなものなのかも、誰にとってもしっかり可視的にし、それに対する対処、制御を行いたいと思うのは普通である。
気持ちの整理もしておきたい。
それを課せられたのが画家である。
これは「大仕事」である。

ボスも「最後の審判」に力を注いだ。
とてもその情景をしっかり事細かく描いてくれているので、一度は目にしておいて損はない。


一口に言ってボスの「最後の審判」には救いがない。と言うのも、審判によって天国行きが決まる者が一人もいないのである。であるため、天国行きを認められた魂を導く大天使ミカエル自体、絵の中に存在しない。全員審判を受けているうちから、地獄の責め苦にあっているような状況が見て取れる。
地獄直通便しかないのだ。
ミカエルは何処で何をしているのか?
恐らくボスに首にされたのだ。

だから、パネルが3枚あるうちの左から順に中央、右へと「最後の審判」は流れていく。
中央で振り分けられないから、自動的に左から右に流れるだけ。
向かって左側には打ち捨てられたかつてのエデンの世界が描かれており、天国ではないのだ。中央はもはや審判なしの(問答無用の)地獄行きの方向しか描かれてはおらず、気の早いものはもうすでに中央パネルの中で、ビヤダルからかと思しきものが実は尿でありそれを無理やり腹一杯に飲まされている。永遠に吞まされる勢いだ。
そして右パネルは短なるその延長でしかない。
であるから、その惨状は筆舌に絶えない。おぞましいの一言。
見てもらうしかない。
ちなみに、わたしは見たくない。
(だが絵が面白いためじっくり見てしまう)

串刺しにされたまま火に炙られる者たち。
臼で轢かれる者たち。
棘の生えたアザミに押しつぶされる者たち。これは肉欲に押しつぶされる象徴のようだ。
腹から暖炉のような焔を出す悪魔やメガネをかけて罪状を読みあげている悪魔もいる。
その側で腹に刀を刺しぬかれている者。
蚊の化け物やその他どう見たら良いのか分からぬ者たち、、、。


天変地異やインフルエンザに精神疾患、様々な人災。
現状を見れば肯けるものだが、われわれに残されているのは地獄のみ、というのも平等と言えばそうだが、日本の偉大な僧も同様の見解のヒトが昔から多い。
ちなみにボスの生まれたネーデルランドでも、天国に行けるのは、3万人に2人だそうである。
微妙な数字だ、、、。






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