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2013年7月31日水曜日

現代画家ー1 古典と呼べる現代画家

ダリ1904~1989

 「わたしは六歳にして料理人になりたいと思い、七歳にしてナポレオンになりたいと思った。」と言う文章ではじまる自伝を出しているダリは、その画業もさることながら奇行の数々でも有名です。
 幼いころから凶暴なヒステリー発作と幻覚を見る習性があり、それが彼の作品に多大な影響を与えていたことは確かです。彼の絵は偏執狂的批判と言う彼独特の方法論で描かれており、それは次々に連想されるイメージを元に描かれていくものです。たとえば、真珠から頭蓋骨へそれが微笑となり死の牡蠣貝へさらに棺桶にと行き着くと言うものです。画面は一目で彼のものと分かる、鮮明かつ錯綜した強烈なものです。また現実の光景に、まったく異なる異様な光景がダブって見えるダブルイメージによる絵も沢山描いています。いわゆる距離を持って見ると違う世界が見えてくる「騙し絵」といわれるものですが、実際に彼が見た光景でもあるようです。これほど独自性があり強い個性を放つ画家も珍しいものです。

*ナルシスの変貌 聖アントワーヌの誘惑 記憶の固執 軟らかい時計 燃えるキリン 内乱の予感(茹でた隠元豆のある軟らかい構造)





ピカソ1881~1973

 ピカソの特徴を二つ挙げると、ひとつは人間への興味・関心・愛情が深く、すべての作品にその精神が貫かれているところです。ふたつめは常に出来上がったスタイルを破壊し、新たな、物の見方・描き方を見出していくという、一貫した姿勢です。それにより彼は時代の無気力・怠惰な精神を打ち破り、生き生きした生命力を吹き込む役割を果たしました。
 子供のころ画家であった父親を驚かすほどの技量を示したピカソは、青の時代と呼ばれる初期には詩情あふれるヒューマニスティックな画面で労働者たちを描き、恋人を得た桃色の時代では安らぎと希望に満ちた画面となり、ついで原始美術の影響を受けたキュービズムをブラックとともに興すと時間的な見え方の差をひとつの画面に構成する絵を次々に生んで、大いに美術界に衝撃を与えます。そしてギリシャ・ローマ時代の古代彫刻を取材しては、モデリングに力を入れた、重量感のある写実的な絵を描き始めています。さらにスペイン内乱をダリとともに素早く予感し、[ゲルニカ]に代表される人間性を深く探求した絵を沢山描いてゆきます。 
 これらすべては、文頭に書いたピカソならではの人間性によるものだといえます。生涯におよそ1万3500点の油絵素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻陶器を制作し、多作な作家としても知られます。

*軽業師 アルルカン 人生LaVie アビニョンの娘たち パイプを持つ少年  3人の音楽家 ゲルニカ 夢





ミロ1893~1983

 彼は故郷カタロニアの風物と芸術への愛着を生涯もちつづけ、描く絵はスペイン全土に広がる新石器時代の壁画に大変似ています。絵はほとんど文字のように記号化されたかたちでカンバスに素朴にちらばっており、和やかで詩的な画面を作っています。
 また多くの詩集に挿絵を描いています。それを観るとまさに詩と絵が絶妙に調和・融合していることが分かります。彼は立体作品も多く作り、やはり原始美術を思わせますが、うわべで真似たものではなく、絵でも彫刻でもない新たなオブジェと言えるものです。彼は自分の生んだそれらの物を木々や鳥などと同じ次元の自然界における創造物と考えていたようです。

*変身 古い靴のある静物 星座 航海士の希望 女王陛下 星座に向かって飛び立つ手 カタルーニャの風景




エルンスト1891~1976

 だれもが中学校時代、技法の授業で行ったデカルコマニとフロッタージュ、マーブリング、コラージュはエルンストの多用した技法です。それらの技法を効果的に使い、彼は見る人の想像力をかきたてる幻想的な作品をたくさん制作しました。
 技法による偶然に出来た形から次々に有意味な形を取り出してゆき、それをもとにカンバスの上に出来つつある規則に従いながら創造していく絵画は、周囲にあるものを写実的に描くものではないですが、内面世界を表現したものでもありません。つまり作家が何かを強く訴えるような作品ではないのです。もっと自由な、ひとつの解釈から逃れた、観る人のそのときの気持ちや考えに、ゆだねられるものだと言えます。このような作品はシュールレアリズム芸術と呼ばれ、現代絵画のひとつの典型でもあります。
 エルンストが発明したと言われるフロッタージュ(物の表面の凹凸模様―テクスチュアを紙を被せた上から鉛筆で擦り取る技法)ですが、日本では江戸時代に子供が遊びで行っていたと言われます。

*博物誌 百頭女 慈善週間 ユークリッド 沈黙の目 ポーランドの騎士 美しき女庭師の帰還 雨後のヨーロッパ 炉の天使 都市の全景







カンディンスキー1866~1944


 彼はブラウエライター(青騎士)という絵画制作グループを作り、抽象画を描く多くの画家たちの指導的立場にあった画家です。彼はモネの藁塚の絵を見て、その圧倒的な光と色彩に感動するとともに、絵画がここまで自然を離れ、対象を捨て去ることが許されるのだろうか、と自問したそうです。
 この体験の後、彼は法律学の教授の職を捨て、画家になる決心を固めました。「対象こそ作品を損なうものである。」という結論に達してから、気まぐれな構図や色彩の陶酔を克服しつつ、純粋な抽象絵画を模索して行く事となります。
 初期の抽象画においては、画面にあまり独自性が観られず、もとにあったものが何であるかが良く分かる絵でした。人々は必ずそれをなじみの世界の中のなじみのイメージに結び付けて考えようと言う衝動をもってしまうものです。ですから初期の作品では抽象画を描こうとする画家が誰もがぶつかる難しさに彼も悩んでおりました。しかし絵の中から徐々にもとになった物の痕跡が消えてゆき、後期になると純粋な、音楽を聴くような気分にさせる、リズミカルで美しい楽譜のような絵となってゆきます。
 ブラウエライターには他にフランツ・マルクのような優れた画家もおります。

*青騎士 ガブリエル・ミュンターの肖像 ボルガの歌 青い山 ムルナウ鉄道と城 インプロビゼーション コンポジション 響き合い 灰色の中に 空の青

2013年7月30日火曜日

日本における印象派の親密度

日本人は印象派が好きだ。私も例外ではない。印象派の絵が一番心地よい。
勿論、他に好きな画家はいるが、構えることなく安らかな気持ちで鑑賞できるのは、やはり印象派。

印象派が日本人に親しまれやすいわけ、背景を少しばかり確認してみます。

日本絵画の影響又は日本受けする特徴 

*浮世絵の影響

・浮世絵には影がない。
・明快な構図と鮮やかな色彩。
・平面性が特徴であり遠近法にとらわれない。



*文人画の影響

・専門性にこだわらない。
・過程や特徴、味わいを楽しむ。
・大胆な筆跡と塗り残し、余白も構図のうち。



*折衷主義

・例えばマネは新たな色彩感覚と配色、題材を用いているが、必ず古典を構図などの下敷きにしている。
・日本に印象派を広める重要な役割を結果的に果たしたラファエル・コランもそのような折衷主義であり、カヴァネルの「ビーナスの誕生」と「マネの草上の昼食」を合わせたような絵が彼の代表作である。彼らはサロンへのこだわりが大きい。新しさを模索しながらも権威主義的であった。外交派とも呼ばれる。(なお、コランは本国では忘れられた画家である)
いわば、いろいろな要素を取り込み易く消化しやすい。日本人好み。
ラファエル・コラン フロレアル



日本において~受け入れの素地

・印象派が出た後に西洋絵画が入って来たので、日本にとっての西洋絵画は「印象派」である。
・当然、フランス本国におけるような葛藤の歴史など存在しない、極めて自然な受け容れであった。
・特に、国立西洋美術館の松方コレクションの影響が大きい。
・黒田清輝の師匠がラファエル・コランであったこと。
・浮世絵・文人画の素地、下地がすでにあったこと。

まとめにはなっていませんが、こういうところもあるかと、少しでも参考になれば。



補足画像:
カヴァネル ヴィーナスの誕生
マネ 草上の昼食


(コランの絵は、そのままファッション・グラビア的な写真に置き換えられ、現代風とも言えるが、芸術性を考えるとどうか?裸婦もとても細くスマートなものが多く、アングルのようなデフォルメも見られない。カヴァネルやマネの芸術と比べると何かそっけない
コラン風写真 こちらのほうが芸術的か?



印象派 まとめ

 印象派とは客観的に存在する世界というものを信用せず、画家個人の感覚世界を研ぎ澄ませ、写実を徹底する中から生まれてきたものである。彼らの仕事の中で特筆すべき発見は光の扱い方にある。従来の絵画は、光の変化は明暗の変化に過ぎなかったが、彼らは光のあらゆる輝きが色調で決定することを見いだした。対象の固有色を認めず、ものは光によって変化することを彼らは絵の制作を通して主張していった。やがてそれは一般の人々のものの捉え方にもなっていくことになるが、それを具体化する手法は各画家によって異なる。


    1.  マ ネ    1832~1883
                                            
 マネは近代絵画をその技法と題材の上で切り開いた画家である。題材としては極めて都会的で日常的な人物画が多く、伝統的な題材の絵画に対して挑発的なものに映り、話題を広くさらうことにもなった。また技法では、印象派というより写実主義にその基盤をまだ多くおいているが、それまでの画家がグレーのトーンで画面を統一していたところを、大胆な明暗の対立するハイコントラストの強烈で簡潔な画面に仕上げた。また、人物の造形表現において、肉付けの陰影法を用いず、いち早く浮世絵の手法を取り入れていたことも特徴的な面である。
 マネは過去の多くの画家の技法を学び取り、サロンでも十分に通用するアカデミックな技量を備えた画家であったが、その新しい絵画は厳しく非難され、サロンにも落選することにもなった。しかし以下にあげる画家達の良き理解者であり、また彼らとの交流を通しお互いに影響を与えあって、印象派と呼ばれる新たな絵画手法を発展させた功績は大きい。ただし彼は八回あったそのグループ展には一度も参加していない。

*代表作: 鉄道 草上の昼食 オランピア ナナ アトリエの昼食 ラ・ジャポネーズ フォリ・ベルジェールのバー ギター弾き 笛を吹く少年




2.  モネ 

 「私は、鳥が歌うように絵を描きたい。」モネの言葉である。マネの絵が明暗の対比が際立っており、どっしりとした厚味があるのに対し、モネの絵は全体が明るいトーンで、軽やかで喜びに満ちたものになっている。日本人に最も愛される印象派の画家と言える彼であるが、「印象 日の出」を発表した当初、「描きかけの壁紙にも劣る。」と評論家たちに酷評されたものであった。今ではとても目になじみやすく、心の和む絵も当時は何が描いてあるか分からなかったという。人間の感覚も100年の間にずいぶん変わってきている。印象派の欠点としてあげられた「細部の無視、デッサンの欠如、構図の軽視」は今では、そのまま全体の雰囲気を大切にし、瞬間の動きを捕らえる筆の軽やかなタッチと臨場感溢れる大胆な構図として、大きな魅力となっている。また、アトリエに籠もらず屋外で絵を描いたことが、これまでの描き方にこだわらない作風を生んだとも考えられる。これには、チューブ入りの絵の具の発明が重要な役割を担った。
 晩年失明してからも、一瞬の色の移ろいを捕えようとした絵画は正に何を描いたか分からないものとなり、次に来る抽象画の世界を想わせる。

 *代表作:  ラ・グルヌイエール トルーヴィルの浜辺 庭の女たち ルーアン大聖堂 印象・日の出 積み藁 睡蓮 日傘をさす女




3.   ルノアール

 彼もまた大変人気の高い印象派の画家であり、モネが風景であれば、ルノアールは人物と言えよう。主題は風景が描かれてあっても、彼の場合はやはり人物である。生涯人物表現を追い続けけた画家である。その作風は彼の絵画の追究の過程で何度も変化しているが、生命感溢れる、愛らしく美しい画面は彼ならではのものである。また、技法において他の印象派の画家が避けた黒を色として積極的に使いこなしたことも特徴の一つであるが、何より特筆すべきは、印象派の画面がとかく色に捕らわれすぎ、形がつかみにくくなっていく傾向があるのに対し、形を単なる色模様の中に溶かさずに、きらめく色彩と両立させた点にある。
 女性像に名作が多い。

*代表作  イレーヌ・カーン・ダンヴェール ムーラン・ドラ・ギャレット ぶらんこ 船遊びの昼食 浴女達 パリジェンヌ ジャンヌ・サマリーの肖像 ロメーヌ・ラコー嬢の肖像



4.   ドガ

 印象派の画家の多くが自分なりの方法で絵画を制作していたなか、ドガとマネは正規の教育を受け、アカデミックな技量をもった画家であるが、新たな絵画の創造のため、サロンとは異なる展覧会を作る必要があった。彼はまた印象派の重要な存在に数えられる。
 しかし、他の印象派の画家とは異なり、彼は印象派の最も基本的な手法と言える、光の七色を混ぜずに小さなタッチで色を併置し彩度を落とさぬようにする色彩分割(筆触分割)を用いていない。その手法と密接な関係を持つ野外制作もしない。また、形態、デッサンが非常に精確である。以上の点で印象派以前の写実主義の時代の画家にもとれるが、彼の絵には伝統的な主題や型にはまった構図はいっさいない。同時代の踊り子や騎手が題材であり、また構図にしても、画面から半分切れた踊り子など、斬新なものである。更に運動の形態において、動物などの動きの構造を分析した画像などの新たな視覚を人々に与えた。これにはようやく実用化された写真機の普及が大きな役割を担っている。この意味でも、ドガはマネと同じく近代を切り開いた画家と言える。

*代表作  バレエのレッスン アイロンをかける洗濯女 オペラ座のバレエ 室内 カフェ・コンセール レ・ザンバサドール アブサント 手袋 舞台のバレエ稽古



5.  ピサロ

 「色彩の魔術師」と言う呼び名が与えられている画家がピサロである。しかし印象派の他の画家と比べ、知名度は高いとは言いがたい。
 印象派の中で一番の年長者である彼は、印象派展第一回から最終回の第八回まですべてに作品を出品した唯一の画家である。このことは、回を追うごとに大きく変化し、印象派としての作風が拡散してゆき、後期印象派と呼ばれる新たな造形運動が明らかに芽生える時期までを他の誰よりも「印象派」とともに生きたと言える。ピサロは最も印象派を深く体現した画家である。
 モネが水の反映にこだわり、シスレーが空に魅かれたのに対し、ピサロの絵は高い地平線を持ち確かな大地の広がりが特徴的である。そこでは色彩分割を駆使した、いつまで見ていても見飽きない変化に富み、かつ調和した色による風景が構成されており、印象派の生み出した最も優れた成果に数えられるものである。
 もともと理論家である彼は後期印象派で特に有名な、自分の子供ほどの年齢のスーラの影響を受け、色彩分割を科学的な方法で極限まで推し進め、点描法で描くような実験的な作品も残している。しかしそれは自然の瞬間的な移り変わりを写実することに向かない技法であることを知り断念している。このことは、ピサロの受容性の高さと、柔軟さを表すところであろう。理論や感覚にこだわりすぎ、袋小路に陥る画家も少なくなかった印象派のなかで、革新的な試みをひろく認めながら、長く質の高い作品を作り続けてきた彼の資質と言える。

*代表作  赤い屋根 冬のマルヌ河岸  オペラ通り リンゴを収穫する人々 フランス 劇場の広場 休息する農夫たち エルミタージュの丘、ポントワース




6.  シスレー

 シスレーは印象派の中にあって、率直に自然に対し、他の画家のように理論的な技巧を見せたり、浮世絵を取り入れてみたりすることはなく、派手さはないが、デリケートで詩的な世界を作り上げた。取り上げる題材も、風景のみで、名もない小さな村や河が多い。
 彼の作風を知るには、日時、天候を変え、13点描いた「モレの協会」とモネの「ルーアン大聖堂」を比べてみるとよくわかる。シスレーの教会は光の中に溶け込んでしまうことがない。教会の「絵」というより「教会」がしっかりと描かれている。

*代表作  セル・サン・クルーの栗の並木 アルジャントゥイユ近くの麦畑 朝の日差しを浴びるモレの教会



 この他に印象派の画家には、ベルト・モリゾ、メアリー・カサット、マリー・ブラックモンなどの優れた女性画家がいます。

2013年7月29日月曜日

絵画における光の変遷 バロック(17C)~ロココ(18C)まとめ



フェルメール(バロック)オランダ1632~1675

自身天才と呼んではばからないダリが、自分以外の画家で絶賛しているのが、このフェルメールとベラスケス(スペイン)です。
宗教革命を経て、偶像崇拝ができなくなったこの時代、宗教画に代わって登場したのが一般市民の日常生活を描いた風俗画です。これらの絵は国際貿易によって裕福になった商人を中心にして市場に溢れていきました。
これまで神や王侯貴族が描かれていたのと同じ筆致で一般の人々が堂々と描かれるようになり、王侯貴族以外の市民が自分の部屋に絵を飾るようになることは大きな変革でした。フェルメールは彼らに絵を提供する画家の中で、最も描写力があり構成力の並外れた画家としてあげられます。絵のサイズはほとんどが小さいものなのですが、そこに描かれたモデルの量感と存在感は圧倒的です。また、彼の絵を細かく観察すると、微細な光の粒が描きこまれているのが分かります。その光のつくる精緻な明暗の差異で見事な質感がうまれているのです。この質感へのこだわりはバロック期の静物画家には特に際立っているものですが、この時代が物の交易により成り立ち、物の質感(本物か偽者か)に何より重大な関心が払われた時期であることも見逃せません。レンズの発明もこの時期のオランダです。彼は初めてカメラオブスキュラ(カメラの原型)を使って遠近法的構成を厳密におこなった画家でもあります。光の粒子もピントの少しずれたカメラに生じる特有のもので、それを彼は陽光のきらめきを画面に閉じ込めることに積極的に利用したのです。
また、フェルメール特有の瑠璃色は彼の絵をさらに静謐で永遠の空間に結晶させています。
この時代の絵は彼の絵をはじめ、様々な象徴的な意味に満ちており、絵を購入してから部屋に飾ってゆっくり解読を楽しむものでもありました。


* 牛乳を注ぐ女 恋文 真珠の首飾りの少女


  これは、一体?(おまけ)ちょっと面白いとは思いますが、、、コメントは控えます。





レンブラント (バロック)オランダ1606~1669

 人物画の至高の成果として「モナリザ」が挙げられます。異論はありませんが、それに近づき得た作品として、ラファエロの「バルタザール・カスティリオーネの肖像」を押す人がいます。もっともだと思います。が、忘れてならないのは、レンブラントの後期から晩期に多数制作された「自画像」群でしょう。それらはもはや、一人の画家の自画像である事を超え、崇高で普遍的な人間像にまで昇華しており、大変偉大な芸術と評されています。
 このレンブラントの絵の特徴とされるものは、「レンブラント光線」と呼ばれる、劇的な光の演出です。スポットライトで照らし出されたように見えるモチーフと暗い奥行きのある背景は、光と闇の強烈なコントラストによる世界をつくりだしています。しかし注目すべきは、光を表現するための闇の効果です。実は16世紀、ルネサンス後期、レオナルドやミケランジェロの画面にも深い闇が覆いはじめているのです。先にあげたモナリザもかなり暗い背景の中に描かれています。それからというもの、光や色彩を際立たせるために闇は深みをいや増しに増していくのです。
 バロックの後期は他に、カラバッジオ、ラ・トゥール等の優れた画家の作品も一様に一点の光に浮かび上がる暗黒の世界に閉じ込められていきます。描写力や構成力の極まった果てに、光と色彩の表現が袋小路に入ってしまいました。レンブラントの絵はある意味でその典型でもあります。どの絵も格調高く、劇的で威厳に満ちているのですが、暗いのです。ひたすら重く暗いのです。この時代の画家のものには、場合によっては、意味の上では必然性もなく過剰に暗い絵もかなり見られます。

* テュルプ博士の解剖学講義 フランス・バニング・コック隊長の市警団 水浴する女



シャルダン (ロココ)フランス1699~1779

 フェルメールに比べると、この時代の画家の特徴は、形態の幾何学的な分析を通し、面の単純化をはかり、明暗を大づかみな段階として対象に与えた絵を描くようになります。と言ってもごつごつしたモチーフではなく、丸みを帯びた穏やかな形態で画面が形作られています。簡単にいえば、形を立体として手堅く効果的に描く技法を見出したと言えるでしょう。モチーフはより日常的で私的な世界となり、今日の画家が描くものとほとんど変わりません。その最初の画家と見てもよいのが、シャルダンかもしれません。子供(天使ではなく)を題材にしたのも彼が最初と言われています。
 シャルダンの絵はかのフェルメールほどの煌き(こまやかな陰影)による荘重さはありませんが、確かなモデリング、つまり立体感と量感をもったものであり、日常をありのままに描く上で、とてもふさわしい作風の創出と言ってよいでしょう。これはミレー(近代の画家まとめ参照)に引き継がれ、ドーミエ(近代の画家まとめ参照)などによりさらに単純化が図られ、展開していくものです。所謂現代の劇画、アニメーションにまでいきつきます。

* 食前の祈り 洗濯女 家庭教師




フラゴナール (ロココ)フランス1732~1806

「読書する女」というフラゴナールの絵は大変有名なので、見たことのあるひとも多いと思います。何より目立つのが、筆致で、それまでなるべく目立たせないことが主流であったものを、造型上なくてはならない要素として生かしているのが一目で分かります。その筆致は大変流暢で軽妙なものであり、画家の技量をよく示しているところです。さらに色彩が爆発するあの印象派(19C)直前の所まで来ていると言ってもよい、この明るく暖かく生を謳歌するような軽やかで生き生きした色使いが彼の持ち前です。この女性の衣服の色彩と筆致がさらに自在になり、画面全体に応用されれば、もうルノアールの世界です。

 ロココから印象派というと、距離を覚えることがありますが、このロココ後期の彼の絵が次の世界への接点になっているのが分かります。実際にルノアールはフラゴナールの絵に触発されており、彼の初期の限りなく美しい傑作「イレーヌ・カーン・ダンベール」も「読書する女」なしに生まれたかどうか分かりません。他に、この時代、ヴァトー、ブーシュなどの貴族趣味的で私的生活を描いた画家も見逃せません。

* ぶらんこ 読書する娘 ヴィーナスの目覚め


2013年7月28日日曜日

近代の画家その2 まとめ

ジェリコー 1791-1824

 新古典主義と鋭く対立するロマン主義の画家。33年の短い生涯のあいだにサロン(もっとも権威ある美術公募展)に出品した作品はわずか3点を数えるだけだった。しかし「理想の美」を否定し、現実世界の写実をおし進め、「個性的な美」の存在を主張し、激しい力のせめぎ合いを、安定した静けさに対して全面的に打ち出したその芸術運動は大きな力をもって広がった。

 あきらか馬に主題を置いた絵が際立つが、日常生活でも乗馬が好きで活動的な性格だったと言う。落馬事故によって亡くなる。

*作品:襲撃する近衛竜騎兵士官 戦場を去る傷つける胸甲騎兵 メデュース号の筏



アングル 1780-1867

 ダヴィトの弟子。ダヴィトの示した形式をよりいっそうおしすすめ新古典主義を確立し、サロンでも大成功を収める。入念に計算された端正な形式美と平滑なテクスチュアがアングルの最大の特徴である。とは言え、ロマン主義的な主題や人体のデフォルメ(変形)もしており、その主義に収まりきらない資質も持っていた。しかしダヴィトのように社会主義(共和主義)運動に参加するようなところはなく、その活動は絵画制作に限られていた。アングルは比類の無い見事なデッサン力で広く知られているが、彼が唯一最大のライバルとしていたドラクロワを意識して言った言葉に次のものがある。「人は暑さで死ぬことはないが、冷たさで死ぬことはある。」情熱よりも整然とした精確な輪郭線の優位をアングルは最期まで疑わなかった。
 主題的にはダヴィトのような英雄伝より耽美的なものが多くを占めるが、特に女性の美を追及したものが目立つ。またそのような絵では、主題となる女性に対し背景となるものの描写はとてもなおざりで、現在見るとどことなく何かの宣伝の看板のようなキッチュな印象が拭えない。人物デッサンにはすでに写真を利用していた。

*作品:泉 トルコ風呂 浴女 ジュピターとテティス グランオダリスク



ドラクロワ 1798-1863

 ジェリコーの後輩。ジェリコーのロマン主義の方向を結果的に受け継ぎ、絶大なものにした。ドラクロワは若くして両親を失い、アトリエには通ったが、正規の絵画教育はほとんど受けていない。イタリア留学(過去の巨匠の名画を模写に行くことは当時からの流行)もせず、ルーブル美術館でルーベンス、ミケランジェロ、ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ゴヤ等の模写をし、ダンテ、シェークスピア、バイロン、ゲーテの文学を学ぶことで、強烈な色彩と想像豊かな独自の絵画世界を確立していった。そしてアングルとこの時代を2分する画家となる。
 実際にサロンを二つに分け、アングルとドラクロワの作品展が催されたほどである。ドラクロワはアングルの線に対し、補色効果を絶妙に活かし輝くような画面を作る後に印象派に受け継がれる着彩技術をすでに持っていた
 パリ市庁舎などの建築装飾も多く手がけ、「民衆を導く自由の女神」は旧フランスの100フラン紙幣にもなっている。彼のアトリエは現在「ウジェーヌ・ドラクロワ美術館」として保存されている。
 

*作品:キオス島の虐殺 サンダナパールの死 民衆を導く自由の女神 アルジェの女達




ミレー 1814-1875

 1830年代中ごろからフォンテンブローの森の近くのバルビゾンの小村に住んで制作を続けたために「フォンテンブロー派」あるいは「バルビゾン派」と呼ばれる画家達がいた。彼らには特定の主義といったものはなく、いわゆる「独立派」として活動していた。自然に対し先入観を持たずに目を開き、風景の特性の無限のニュアンスを極めていったことで印象派の出現を準備したと言える。
 彼らの作風は印象派より光と色彩は抑制されていた分、輪郭線は明確である。特にその中でミレーは後のゴッホにも影響を与える傑出した作品を描いている。ゴッホは彼の「種蒔く人」を何枚も模写して研究し、自分の絵に取り込んでいる。彼は農民の生活を主題に描き、写実主義に受け継がれる作風も生んだ。バルビゾンの画家としてミレーの他に、重要な画家としてコローがいる。

*作品:落ち穂拾い 晩鐘 種蒔く人 羊飼いの少女



ドーミエ 1808-1879

 ミレーが働く農民に向けたのと同じ観察眼を都会の最下層に生きる人々に向けたのがドーミエと言えよう。最初は風刺新聞の挿し絵や石版画(リトグラフ)の世界で才能を発揮し、油絵には40歳になってからとりかかった。彼の絵は町の洗濯女や三等車の客席に座る貧しい庶民を古代の英雄のように記念碑的に再現したものだ。
 ドーミエのデッサン力は一瞬のうちに捉えた出来事を正確無比に描き出してみせるものであり、ときに目を奪う大胆で奔放な筆使いも示し、かりそめの姿の中の本質を掴み出すその技量は同時代の画家達からも尊敬を集め、ミケランジェロにも譬えられた。ロートレックやゴッホも多大な影響を受けたと言われる。だがその技量が災いし、時の権力者の反感をかい何度も投獄されることにもなった。当時はまだ識字率も低く、ドーミエの新聞の挿絵の影響は庶民にとって、大変大きいものであった。


*作品:ドンキホーテ連作 亡命者シリーズ 三等列車 洗濯女

2013年7月27日土曜日

近代の画家その1 まとめ


ゴヤ 1746-1828

 スペインの片田舎に生まれる。フランスのルイ14世の支配する華やかな王朝文化がドイツ・オーストリアさらに北欧まで広まっていたころ、スペインもその例外ではなかった。その状況の中で彼は1786年宮廷画家となる。
 ゴヤの画風はその生涯に大きく三つに分けてみることが出来る。時代の華麗な趣味を巧みに取り入れ宮廷内で出世を極めた初期。「180852日」、「180853日」等、ナポレオン率いるフランス軍によるスペイン人銃殺刑をリアルに描く時代の告白者としての後期。「聾者の家」を飾る一連の「黒い絵」や「ラ・カプリチョス」等の連作版画に見られる不気味で幻想的な作品を籠もって制作しつづけた晩年。
 この変貌は、ナポレオン進攻による王朝制の崩壊という時代の強いる気運もあげられるが、大病を患い、やがて聴力を失っていく過程がもともと強い批判精神と洞察力をもった彼をさらにつき動かす大きな要因となっていたことも忘れてはならない。

*作品:裸のマハ 着衣のマハ 巨人 魔女達の饗宴




ターナー 1775-1851

 イギリスの風景画家。人間の支配をはるかに越えた自然の猛威・力を描く。ターナー以前の画家、リチャード・ウィルスン、トーマス・ゲインズボロ、アレキサンダー・カズンズ等の風景画は山や森や湖そのものの静かな観照が主なものであったが、ターナーは、嵐、吹雪、風雨、波浪、洪水、機関車の爆走等運動・力をそのまま捉えたところが特筆に値する。ある意味、印象派を30年以上先取りした作品とも言え、批評家ジョン・ラスキンにも高い評価を得る。
 内燃機関の発明・発展は機械と自然の作る環境の圧倒的な強大さを示し、同時にその中での人間の無力さを悟らせたと考えられる。ターナーの描く光景はまさにその新たな外部環境である。
 同時代の風景画家コンスタンブルの作品はまだ伝統的な風景画を踏襲しているが、ターナーの感知した自然感覚とその感情は、やはり同時代の優れた感性を代表するシラー、バイロン、ワーズワース、コールリッジ、グレイらの文学や「エミール」のルソーなどとあいまって徐々に人々の共通感覚ともなっていく。

*作品:難破船 奴隷船 吹雪―港の沖合の蒸気船 エジプトの禍 雨・蒸気・スピード―グレート・ウエスタン鉄道 光と色 影と闇




フリードリヒ 1774-1840

 自然を単に観察するのではなく、その中に絶対的な神を見ようとしたドイツ・ロマン派の画家。友人に「青い花」のノヴァーリスやティークのような文学者がおり、その影響は大きい。彼の絵画は宗教的主題をそのまま取り入れたもの(例えば最後の晩餐等)はほとんど無く、大自然の中で日の出を見つめる女性を背後から捉えるなど、暗示的な光景で神秘性にあふれたものが多い。「自己の内部に何も見えてこなければ、目の前にあるものを描くことも思いとどまるべきだ。」というフリードリヒ自身の言葉がその絵画世界の性格をよく伝えている。時代の転換期の憂鬱な雰囲気と13才のとき眼前で弟を死なせてしまった経験等が画家の心をどのように支配してきたのか。
 後光に包まれた後ろ姿のある明け方の風景は特異な印象を与えずにいない。技巧的に見れば、空間を満たす光が霧状に煙っているところや空気遠近法を無視した遠方のディテールの異様な際立ちが、確かにそれまでの絵画と異なり宗教性ひいては神秘性を高めるもととなっている。
 この作風は20世紀のマグリットやエルンストにも引き継がれてゆくものである。また東山魁夷の「残照」はフリードリヒの「リーゼンゲビルゲの朝」を下絵にしている。そしてリドリー・スコット監督、PKディック原作の映画「ブレードランナー」のライティングは「フリードリヒ光線」と呼ばれ現代の映画空間にも蘇っている。ドイツ・ロマン派特有の精神はもともと時代などに関係なく人間の根本的なところに息づいているのかもしれない。

*作品:月を眺める二人の男 雲海を見下ろす散策者 朝日の射す村 海辺の月の出 樫の森の修道院 海辺の修道者 「希望号」の難破




ダヴィット 1748-1825

 新古典主義の先駆的画家。新古典主義とは科学や理性が大きく信奉された時代を背景に現れたもので、ナポレオンを権威として帝政下に力をもった主義といえる。芸術家はちょうど科学者が真理を求めるように、理想の美(絶対的な美)を追及しなければならない、ということからそれをもっとも完全な形で実現したと言われるギリシアの作品を模倣することもおこなった。
 構図は明快で安定しており、激しい動勢や複雑な姿勢は拒否された。硬質な作風が際立つ。テーマは古代の英雄のドラマ、当代の英雄であるナポレオン等であった。
 ジャコバン党員として活躍した時期もあり、国民議会議員になり国民公開議長まで務めたが、ロベスピエールの失脚に伴い投獄も経験する。ナポレオン・ボナパルトの庇護を受けて復活し、主席画家として活躍をするが、ナポレオンの失脚とともに自らも失脚。時代に翻弄された77年の人生をブリュッセルで終わる。


*作品:ホラティウス兄弟の誓い ソクラテスの最期 テルモピレーのレオニダス アルプスを越えるナポレオン

2013年7月26日金曜日

イタリア・ルネサンスの3大画家についての「まとめ」~中学生向き~

夏休みの自由課題またはちょっと絵に興味のある中学生向け、のまとめです。
よかったら、参考にしてみてください。



ミケランジェロ(1475-1564)

 ミケランジェロは九十歳近くまで生きました。体も大変丈夫で、亡くなる少し前まで、精力的に制作を続けました。その制作というのもシスティナ礼拝堂の天井に絵を描くため高い梯に体をくくりつけ、絵筆を振るう過酷なものが少なく有りませんでした。一度、天井画を描いている最中に高みから落ち、骨折して何日間もそのまま動けずにいた事もあったそうです。しかしすぐに体を治し、天井画を見事に完成させました。
 もともと彫刻家である彼は、石切り場から高さ7,8mもある大理石を自分で切り出して工房まで運び、数々の名作を生んでいます。これは単に頑強で才能が豊かなだけでなく、並々ならぬ精神力がなければ出来ないことでしょう。その力強さは如実に彫刻や壁画に表れています。特にユリウス2世に命ぜられ描いた壁画は彫刻と見紛うほどの立体感溢れる劇的なフォルムと構図を持っており、とてつもない偉大さを醸し出しています。ミケランジェロの主題はそのほとんどが宗教(キリスト教)です。当時の人々は彼の作品に接することで聖書に示された世界を正に目の当たりにしたのでした。師匠はギルランダイヨです。

*作品:ダビデ像 ピエタ像 デルフォイの巫女 最後の審判
**ミケランジェロの壁画はTBS等の資金協力もあり、制作当時の作品の雰囲気を垣間見せるものになっています。昔の画集と新しい画像を比べてみると興味深いものが有ります。何と上からの描き換えさえ行われていました。




レオナルド(1452-1519)

 レオナルドはビンチ村で私生児として生まれ、フィレンツェの有名な芸術家ヴェロッキオの弟子となり修業しました。彼は幼いころから自然観察をよくし、何に対しても疑問を持ちそれがどのような仕組みで出来ており、運動しているのかを探ろうとしました。デッサンもそのような精神でなされた研究の一部でもあったようです。ヴェロッキオの工房でも多くの弟子の中ですぐに頭角を現し師のヴェロッキオの絵の手助けを若くしてするようになります。ヴェロッキオの「自体告知」と言う絵にレオナルドは画面左方でキリストの衣服を捧げている天使を描きましたが、師はそこに自分以上の才能を認め、以後絵筆を持つことは無かったと言われています。
 レオナルドは他に数学、力学、光学、植物学、解剖学の研究や鳥の飛行の分析をもとに人力飛行機を製作したり、水利計画等の都市計画や戦車の設計、それから建築もしました。また竪琴の名手でもあったそうです。このようなことから彼は万能の天才と讚えられました。しかし彼の考案、設計したものは後の学問の基礎になったり、大きな展開を見せたものもありますが、実用化されたものは多くはありませんでした。しかし絵画はますますその輝きと神秘性を増しています。レオナルドの面白い風景の描き方をひとつ紹介しておきます。紙面にインクの染みを作ります。それをよく見て何かのイメージが沸いてきたらその通りに染みに形を描き加えていって全体の絵を作っていくのです。これは美術の授業でも行う技法による絵作りそのものです。レオナルドの先駆性のほんのひとつです。

*作品:受胎告知 岩窟の聖母 聖アンナと三体 最後の晩餐 モナリザ 洗礼者ヨハネ
**ミケランジェロに遅れてレオナルドの最後の晩餐等の絵も修復されました。新しい画集と昔のものを比べてみるといくつもの発見があるでしょう。修復には日本の和紙が無くてはならないものとして使われています。



ラファエロ(1483-1520)

 ラファエロはウルビーノで生まれました。母を八歳で父を十一歳で亡くし、その後ペルジーノの元に弟子入りし師のもつ最高の技術を身に付けるまでさして時間はかかりませんでした。37年という短い生涯に数々の名作を残しましたが初期の作品にはどうしても凡庸さが目立ちます。しかし、後年特に肖像画に圧倒的に優れたものが見られ、短い期間に画家としての大変な成熟がみられます。彼は先輩のレオナルドから明暗方(ぼかし)の技術を学び、ミケランジェロの人体の動勢の捉え方を研究し、驚くほどの技量を身につけるに至ったのです。
 彼はレオナルドの神秘性や哲学性やミケランジェロの偉大で壮大なドラマ性に対して、マドンナ(聖母)像に見られるように、清純で端正な世界を理想として一生涯追い続けました。ラファエロは152046日多くの人に惜しまれながら37歳の若さで誕生日の日に亡くなりました。当時ヨーロッパで流行っていたペストによるものと言われています。他に誕生日の日に亡くなった画家には20世紀のシュールレアリスムの画家マックスエルンストがいます。

*作品:美しい女庭師 カルデリーノの聖母 アテネの学堂 牧場の聖母 キリストの変容 ガラテア 椅子の聖母

**ルネサンスの時期には多くの天才と呼ばれる人たちが輩出しています。それはなぜでしょうか?文を参考にして考えてみてください。


2013年7月25日木曜日

夏に聴くと気持ちの良い音楽

暑くて疲れる夏に気持ちを爽やかにする?良い音楽をピックアップしました。
お断りするまでもなく、あくまでも私見です。何らかの研究dataに基づくものではありません。ある意味独断で、しかも1人の音楽家に絞りました。
なお、何処の海辺の音とか鯨の声とかアルファー波や2分の1揺らぎやサブミナル効果等の音は省きます。所謂、音楽です。


1.クラシックでは

モーツァルト。特に、ピアノ協奏曲20番二短調、23番イ長調。単に私の趣味かも知れませんが毎日欠かさず聴いてます。特に暑い時の昼寝にいろいろ試してみましたが、1番よく眠れました。良い音楽ほどよく眠れるとも言われています。


2.ロックでは

よくサボテンが枯れると言われるロックですが、隙間なく分厚いサウンドで畳み掛けるものは、聴きながら強迫的にアイスクリームを食べ過ぎてしまうことにもなりかねないので、同様の強度をもちながらサボテンにも好まれる音をご紹介。
トレーシー・ソーンのA Distant Shore!涼やかに、無駄な音の一つもない、1音1音、率直で説得力に満ちたアコースティカルアルバムです。特に7. New Opened Eyesは隠れた名曲。珠玉の名品でしょう。シンプルであることの美しさ純粋さをこれほどまでにリリックに優しくたたえた音はないと感じました。力強くもある。


3.ポップスでは

クーラーの効いた白い部屋で聴くにもってこいの音楽。アンニュイなボーカルが耳を離れなくなります。クセになるかも。Stina NordenstamのMemories Of Colorです。環境音楽のように流しても良いかと。環境を少しばかりアーティスティックに異化します。ブティックに静かに流れているとディスプレーがより高級に見えるでしょうね。そんな音楽。He Watches Her From Behindは真骨頂を思う存分発揮。


4.ワールドミュージックでは

ここは思いっきり音・サウンドに身を任せて汗をかいてスッキリ爽やかに。というところで、古典に入りますが、ベッチ・カリュバーリョ!ただ体で聴けば良い。と言うサウンドで駄作はまずないので、何を聴いても、間違いなしでしょう。

ジャズもやらなければ、と思いましたが、この夏まだ1曲も聴いていないことに気づきました。またの機会に。では、また。失礼します。