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2013年7月31日水曜日

現代画家ー1 古典と呼べる現代画家

ダリ1904~1989

 「わたしは六歳にして料理人になりたいと思い、七歳にしてナポレオンになりたいと思った。」と言う文章ではじまる自伝を出しているダリは、その画業もさることながら奇行の数々でも有名です。
 幼いころから凶暴なヒステリー発作と幻覚を見る習性があり、それが彼の作品に多大な影響を与えていたことは確かです。彼の絵は偏執狂的批判と言う彼独特の方法論で描かれており、それは次々に連想されるイメージを元に描かれていくものです。たとえば、真珠から頭蓋骨へそれが微笑となり死の牡蠣貝へさらに棺桶にと行き着くと言うものです。画面は一目で彼のものと分かる、鮮明かつ錯綜した強烈なものです。また現実の光景に、まったく異なる異様な光景がダブって見えるダブルイメージによる絵も沢山描いています。いわゆる距離を持って見ると違う世界が見えてくる「騙し絵」といわれるものですが、実際に彼が見た光景でもあるようです。これほど独自性があり強い個性を放つ画家も珍しいものです。

*ナルシスの変貌 聖アントワーヌの誘惑 記憶の固執 軟らかい時計 燃えるキリン 内乱の予感(茹でた隠元豆のある軟らかい構造)





ピカソ1881~1973

 ピカソの特徴を二つ挙げると、ひとつは人間への興味・関心・愛情が深く、すべての作品にその精神が貫かれているところです。ふたつめは常に出来上がったスタイルを破壊し、新たな、物の見方・描き方を見出していくという、一貫した姿勢です。それにより彼は時代の無気力・怠惰な精神を打ち破り、生き生きした生命力を吹き込む役割を果たしました。
 子供のころ画家であった父親を驚かすほどの技量を示したピカソは、青の時代と呼ばれる初期には詩情あふれるヒューマニスティックな画面で労働者たちを描き、恋人を得た桃色の時代では安らぎと希望に満ちた画面となり、ついで原始美術の影響を受けたキュービズムをブラックとともに興すと時間的な見え方の差をひとつの画面に構成する絵を次々に生んで、大いに美術界に衝撃を与えます。そしてギリシャ・ローマ時代の古代彫刻を取材しては、モデリングに力を入れた、重量感のある写実的な絵を描き始めています。さらにスペイン内乱をダリとともに素早く予感し、[ゲルニカ]に代表される人間性を深く探求した絵を沢山描いてゆきます。 
 これらすべては、文頭に書いたピカソならではの人間性によるものだといえます。生涯におよそ1万3500点の油絵素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻陶器を制作し、多作な作家としても知られます。

*軽業師 アルルカン 人生LaVie アビニョンの娘たち パイプを持つ少年  3人の音楽家 ゲルニカ 夢





ミロ1893~1983

 彼は故郷カタロニアの風物と芸術への愛着を生涯もちつづけ、描く絵はスペイン全土に広がる新石器時代の壁画に大変似ています。絵はほとんど文字のように記号化されたかたちでカンバスに素朴にちらばっており、和やかで詩的な画面を作っています。
 また多くの詩集に挿絵を描いています。それを観るとまさに詩と絵が絶妙に調和・融合していることが分かります。彼は立体作品も多く作り、やはり原始美術を思わせますが、うわべで真似たものではなく、絵でも彫刻でもない新たなオブジェと言えるものです。彼は自分の生んだそれらの物を木々や鳥などと同じ次元の自然界における創造物と考えていたようです。

*変身 古い靴のある静物 星座 航海士の希望 女王陛下 星座に向かって飛び立つ手 カタルーニャの風景




エルンスト1891~1976

 だれもが中学校時代、技法の授業で行ったデカルコマニとフロッタージュ、マーブリング、コラージュはエルンストの多用した技法です。それらの技法を効果的に使い、彼は見る人の想像力をかきたてる幻想的な作品をたくさん制作しました。
 技法による偶然に出来た形から次々に有意味な形を取り出してゆき、それをもとにカンバスの上に出来つつある規則に従いながら創造していく絵画は、周囲にあるものを写実的に描くものではないですが、内面世界を表現したものでもありません。つまり作家が何かを強く訴えるような作品ではないのです。もっと自由な、ひとつの解釈から逃れた、観る人のそのときの気持ちや考えに、ゆだねられるものだと言えます。このような作品はシュールレアリズム芸術と呼ばれ、現代絵画のひとつの典型でもあります。
 エルンストが発明したと言われるフロッタージュ(物の表面の凹凸模様―テクスチュアを紙を被せた上から鉛筆で擦り取る技法)ですが、日本では江戸時代に子供が遊びで行っていたと言われます。

*博物誌 百頭女 慈善週間 ユークリッド 沈黙の目 ポーランドの騎士 美しき女庭師の帰還 雨後のヨーロッパ 炉の天使 都市の全景







カンディンスキー1866~1944


 彼はブラウエライター(青騎士)という絵画制作グループを作り、抽象画を描く多くの画家たちの指導的立場にあった画家です。彼はモネの藁塚の絵を見て、その圧倒的な光と色彩に感動するとともに、絵画がここまで自然を離れ、対象を捨て去ることが許されるのだろうか、と自問したそうです。
 この体験の後、彼は法律学の教授の職を捨て、画家になる決心を固めました。「対象こそ作品を損なうものである。」という結論に達してから、気まぐれな構図や色彩の陶酔を克服しつつ、純粋な抽象絵画を模索して行く事となります。
 初期の抽象画においては、画面にあまり独自性が観られず、もとにあったものが何であるかが良く分かる絵でした。人々は必ずそれをなじみの世界の中のなじみのイメージに結び付けて考えようと言う衝動をもってしまうものです。ですから初期の作品では抽象画を描こうとする画家が誰もがぶつかる難しさに彼も悩んでおりました。しかし絵の中から徐々にもとになった物の痕跡が消えてゆき、後期になると純粋な、音楽を聴くような気分にさせる、リズミカルで美しい楽譜のような絵となってゆきます。
 ブラウエライターには他にフランツ・マルクのような優れた画家もおります。

*青騎士 ガブリエル・ミュンターの肖像 ボルガの歌 青い山 ムルナウ鉄道と城 インプロビゼーション コンポジション 響き合い 灰色の中に 空の青

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