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2013年7月28日日曜日

近代の画家その2 まとめ

ジェリコー 1791-1824

 新古典主義と鋭く対立するロマン主義の画家。33年の短い生涯のあいだにサロン(もっとも権威ある美術公募展)に出品した作品はわずか3点を数えるだけだった。しかし「理想の美」を否定し、現実世界の写実をおし進め、「個性的な美」の存在を主張し、激しい力のせめぎ合いを、安定した静けさに対して全面的に打ち出したその芸術運動は大きな力をもって広がった。

 あきらか馬に主題を置いた絵が際立つが、日常生活でも乗馬が好きで活動的な性格だったと言う。落馬事故によって亡くなる。

*作品:襲撃する近衛竜騎兵士官 戦場を去る傷つける胸甲騎兵 メデュース号の筏



アングル 1780-1867

 ダヴィトの弟子。ダヴィトの示した形式をよりいっそうおしすすめ新古典主義を確立し、サロンでも大成功を収める。入念に計算された端正な形式美と平滑なテクスチュアがアングルの最大の特徴である。とは言え、ロマン主義的な主題や人体のデフォルメ(変形)もしており、その主義に収まりきらない資質も持っていた。しかしダヴィトのように社会主義(共和主義)運動に参加するようなところはなく、その活動は絵画制作に限られていた。アングルは比類の無い見事なデッサン力で広く知られているが、彼が唯一最大のライバルとしていたドラクロワを意識して言った言葉に次のものがある。「人は暑さで死ぬことはないが、冷たさで死ぬことはある。」情熱よりも整然とした精確な輪郭線の優位をアングルは最期まで疑わなかった。
 主題的にはダヴィトのような英雄伝より耽美的なものが多くを占めるが、特に女性の美を追及したものが目立つ。またそのような絵では、主題となる女性に対し背景となるものの描写はとてもなおざりで、現在見るとどことなく何かの宣伝の看板のようなキッチュな印象が拭えない。人物デッサンにはすでに写真を利用していた。

*作品:泉 トルコ風呂 浴女 ジュピターとテティス グランオダリスク



ドラクロワ 1798-1863

 ジェリコーの後輩。ジェリコーのロマン主義の方向を結果的に受け継ぎ、絶大なものにした。ドラクロワは若くして両親を失い、アトリエには通ったが、正規の絵画教育はほとんど受けていない。イタリア留学(過去の巨匠の名画を模写に行くことは当時からの流行)もせず、ルーブル美術館でルーベンス、ミケランジェロ、ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ゴヤ等の模写をし、ダンテ、シェークスピア、バイロン、ゲーテの文学を学ぶことで、強烈な色彩と想像豊かな独自の絵画世界を確立していった。そしてアングルとこの時代を2分する画家となる。
 実際にサロンを二つに分け、アングルとドラクロワの作品展が催されたほどである。ドラクロワはアングルの線に対し、補色効果を絶妙に活かし輝くような画面を作る後に印象派に受け継がれる着彩技術をすでに持っていた
 パリ市庁舎などの建築装飾も多く手がけ、「民衆を導く自由の女神」は旧フランスの100フラン紙幣にもなっている。彼のアトリエは現在「ウジェーヌ・ドラクロワ美術館」として保存されている。
 

*作品:キオス島の虐殺 サンダナパールの死 民衆を導く自由の女神 アルジェの女達




ミレー 1814-1875

 1830年代中ごろからフォンテンブローの森の近くのバルビゾンの小村に住んで制作を続けたために「フォンテンブロー派」あるいは「バルビゾン派」と呼ばれる画家達がいた。彼らには特定の主義といったものはなく、いわゆる「独立派」として活動していた。自然に対し先入観を持たずに目を開き、風景の特性の無限のニュアンスを極めていったことで印象派の出現を準備したと言える。
 彼らの作風は印象派より光と色彩は抑制されていた分、輪郭線は明確である。特にその中でミレーは後のゴッホにも影響を与える傑出した作品を描いている。ゴッホは彼の「種蒔く人」を何枚も模写して研究し、自分の絵に取り込んでいる。彼は農民の生活を主題に描き、写実主義に受け継がれる作風も生んだ。バルビゾンの画家としてミレーの他に、重要な画家としてコローがいる。

*作品:落ち穂拾い 晩鐘 種蒔く人 羊飼いの少女



ドーミエ 1808-1879

 ミレーが働く農民に向けたのと同じ観察眼を都会の最下層に生きる人々に向けたのがドーミエと言えよう。最初は風刺新聞の挿し絵や石版画(リトグラフ)の世界で才能を発揮し、油絵には40歳になってからとりかかった。彼の絵は町の洗濯女や三等車の客席に座る貧しい庶民を古代の英雄のように記念碑的に再現したものだ。
 ドーミエのデッサン力は一瞬のうちに捉えた出来事を正確無比に描き出してみせるものであり、ときに目を奪う大胆で奔放な筆使いも示し、かりそめの姿の中の本質を掴み出すその技量は同時代の画家達からも尊敬を集め、ミケランジェロにも譬えられた。ロートレックやゴッホも多大な影響を受けたと言われる。だがその技量が災いし、時の権力者の反感をかい何度も投獄されることにもなった。当時はまだ識字率も低く、ドーミエの新聞の挿絵の影響は庶民にとって、大変大きいものであった。


*作品:ドンキホーテ連作 亡命者シリーズ 三等列車 洗濯女

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