アマチュア部門の作品について
金賞 「夏の日」
この作品はフレーミングの妙に尽きるかと。
最終選考に残るような人たちはみな、玄人はだしの知識とテクニックをもっていますし、機材もプロと遜色のないものをガッツリ揃えています。
最終的に自分(精神)を入れた上で、どのように場を切り取ってみせるか、がポイントになるかと思います。
作品は対象を真上から見た構図がそままモンドリアンの絵画にもなりそうなほど洗練されています。川岸近く浮き輪に身を任せて画面左の岸側に向きつつ静かに浮かぶ3人の子供、水際にしゃがみこみその子供達と対面する黄緑とクリーム色の麦わら帽子の二人、川岸に川と平行に置かれた4本の青竹(その内最も川に近い竹だけ画面5分の3位のところで上方に途切れている)、画面下方端に青竹に120度の角度で何気なく置かれた白い傘、画面上部青竹に沿って並んだ海パン姿のスイカを食べる男の子3人が主(他は丸い小石くらい)な構成要素となります。
各要素が整然と構成されながらも変化(動き・揺らぎ)と調和があり、色彩配色も美しく、ウキウキするようなリズムが生まれています。観測者-作者のここだと息を飲み込む瞬間の息遣いが感じられます。
しかしこんな角度で撮れる場所ってなかなかないです。真上からです、、、。
銀賞 「砂塵」
日常の中のドラマというものは何処にでも誰にでもあります。
まさにそれをわれわれに思い起させてくれる写真です。
公園でしょうか?不意の突風に砂塵が巻き起こり、ベビーカーに乗せた子供を咄嗟に庇う夫婦の写真です。砂塵が舞えば、恐らく誰でもこの夫婦と同じ姿-行為を見せることでしょう。
小さな一瞬のドラマではありますが、
謂わば人類の普遍的な、もっと言えば記念碑的な姿でもあります。
ただ一瞬の面白さを狙っただけの写真とは明らかに一線を画するものです。
平素から作者の基本的に持っている理念-精神がこの画像を瞬時に捉えたのだと思います。
他のカメラマンでしたら、もしかしたら目を閉じ顔を両手で塞ぎ、レンズを向けることなど思いもよらないかも知れません。
身体的に感覚的に対応するには、相応の意識水準が固められていなければ不可能でしょう。
ドーミエが描くような美しい画像です。壁に飾るより大切にアルバムにおさめておきたい写真です。そしていつか子供が何気なく見てくれるといいな、と思います。
ことごとく、人は自分の見たいもの(知っているもの)をのみ見る。
銀賞 「橋の上の七夕祭り」
手前、かなりの高所を長く中空にひかれた七夕飾り。
その遥か後方の橋の上に静かに祝う人々の姿。
われわれの時空とは異なる場に入ってしまったように見えます。
こういう七夕祭りがあるのですね。
明らかに日常の場とは断絶した(ハレ)の場が出現しています。
ある意味、祭りの本質を捉えた厳かな作品と言えましょう。
光の加減もそれを際立たせるものです。
少しオカルティックな情景です。
確かに最近~祭と名打ったものに接しても、
それがいかに大規模なものでも、質的に日常の延長であり、異化された光景の見えないものが多いように思われます。運動会をやってるような。(運動会も祭りの一種とは言えなくはないですが)
異界の者に出会いそうな、アルタード・ステイツを呼び込む何かが欲しいです。
この写真の場合、橋というのが象徴的ですね。
銅賞 「至福の時」
どうやら仮説住宅で生活を続ける人たちの写真のようです。
他の作品に比べて、目立って平面的で明るくはっきりした画面です。
明度・彩度ともに異様に高い。
奥行というものが一切感じられない。
深みというもの、過剰な意味を締め出した、
というよりすべてを洗い流した感のある写真です。
ある意味、本当の写真というものかも知れません。
みんなが座敷に座って、レンズ(カメラマン)の方を向いて微笑んでいます。
否、笑っているのか。
それ以上語るなと言う力強い「写真」です。
銅賞 「夕雲の丘」
そう言えば純然たる風景写真というものは数が少なかったように思います。
まさに夕日の時刻の作る空と大地のアナーザー・ワールドです。
それが丘ときていますから、尚更でしょう。
トワイライト・ゾーンは最もアルタード・ステイツが発動する場-時空です。
こういった光景を撮る事自体の意味・価値は大きなものだと思います。
ただ何もここまでドラマチックで大きなスケールでなくとも、
もっと何気ない日常的な事象において、この精神を発動させても良いはずです。
むしろその方がわれわれを強く揺さぶるのではないかと思われるのですが。
われわれの寄って立つ日常生活の活性化において、
丘という超越的な場より、部屋の中などに焦点を置くのも良いかも知れません。
外でも、庭の花壇とか。毎日乗っている自転車とか、、、。
ケ→ケ枯れ→ハレの循環を考えても、当たり前の物の異化という形で。
作者は壮大な美しい絵が欲しいのかも知れませんが。
市民奨励賞 「満月の花見」
この光景をフラッシュ焚いて撮りでもしたら、恐らく入選も逃すでしょう。
被災地で頑張っている写真機メーカーのS****がありますが、
それを使い強い光源の下、極めて対象を精緻に撮ることが一方で流行っています。
これまで見えていなかったモノも可視化させてしまうような威力で。
それはそれで大変なインパクトを持ち、その方向でのさらなるテクノロジーの発展は大事です。
しかし写真の方向性としては何でも微細に克明に捉えなければならないことなどなく、
仄かに朧げで、幽かに窺い知ることのできる光景ーリアルさもあることを伝える必要があります。
太陽光は熱量などの無駄なエネルギーが多すぎます。
月の冷光で対象を撮る。
ここではじめて浮き上がってくる光景があるはずです。
お寺の鐘楼とお花見の2人の人物。
リアルな光量。過不足ない情景です。
この他、入選作が多数展示されていました。かなりのテクのものが多かったです。
最近ブログなどでマクロのすごい精緻な画像をよく見かけますが、その手の作品は入選作には2点ほどでした。SIGMA DP* Merrillの持つ超高解像度とFoveon ダイレクトイメージセンサーではじめて可能となる画像があり、圧倒的な再現性を誇りますが、そういったスタティックなものはあまり見当たらず、逆に一連の動きの中のまさにシャッターチャンスを見事モノにした、幸運な瞬間映像がかなりを占めているようでした。日光の下のマクロ撮影に最適化されたSIGMAの最も苦手とする領域ですが。
やはり動きは、物語を不可避的に孕み訴えるものも強いことは確かです。
訴える点にあまりに力を注ぎ、過剰なパソコンによるレタッチが目立つものも多かったようです。
入選には 残りませんでしたが、想像はつきます。
使用カメラはもう殆どが、デジタルになっているそうですが、
アッジェなどの写真に一回戻って、考えるのもよいかも知れません。
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