クレーはとても芳醇な画家である。
クレーは他の多くの画家がするようにイタリア旅行に行く。
ルネサンス期の大画家の作品も、勿論見るが、寧ろそれより遥かに熱心に、
ビザンチン・初期キリスト教美術、ロマネスク模様の寺院、バロック美術、古代のカリグラフィーを研究した。
そこにある宇宙的宗教観とでも言うべき世界観を自らのものとして確立した。
クレーの後の造形にとってかなり大きなインパクトがあったであろうことは見てとれるが、クレーの感性にまずフィットしたものであったことは想像できる。
さらに、ナポリの水族館での経験。これはクレー芸術の形成にとって決して小さいものではない。
クレーはそこで「休みなく小さな可愛い旗を廻している、沈没した汽船の幽霊、、、」や「骨董品のような格好」をしているクラゲ、「偏狭な人間そっくりに、耳の上まで砂にうもれているおかしな魚」や、ヒトデ、イガイ、「ゼラチンのような生物」たちから、形態のもつ自由な変貌の楽しさと深い神秘を吸収する。
また、クレー一家は音楽家一家であり、彼自身バイオリン演奏に大変な才能を示しており、青年期、自分が音楽家になるか詩人の道を選ぶか画家となるか、迷っていたという。
彼の絵画世界は単に形態の再現性における器用さから絵描きになった、というような他の画家にありがちなコースではなく、クレー自身、圧倒的な造形の技量ももっていながら、それを遥かに上回る詩的才能と音楽性を兼ね備えていた事が彼の絵画世界を決定付けたと言えよう。
彼の絵はよくモーツァルトに比較される。
詩人リルケが親友である。
彼は、自分でも「野心」という言葉をよく使う。しかし同年代のピカソのように早くから頭角を見せ、世間の評価を得ようということに関心はなく、「、、、わたしは俗界を捨て去り、本源そのものへと向かう。虚界を遠く脱したところにこそ『想像』の根源が潜んでいる、、、無限の可能性への信仰のみが心の中に、創造に励むべく活き活きと脈打っている」
彼は自身の直感にいささかも疑いをもたず、存在学的なアプローチで自身の芸術をじっくりと確立していった。「無限の虚空にまで達する」絵画を描きあげる野心である。
これには時熟を待つ必要もあった。
彼の作品は彼自身が死期を悟った、最後の2年間に集中して制作される。
数々の天使は彼独特の世界の象徴である。
此処と彼岸(異界)とを結ぶ、クレーそのときどきの表情のような。
芳醇な世界である。
今回画集を見直してみて、素描も含めるとその表現の幅、多様性にも驚くべきものがあった。
特に線描の美しさは他に比べるものがない。
改めて今後も長く味わい続けたい画家である。
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