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2013年10月20日日曜日

Klee~クレーの野心後半

クレーは宇宙を支配する法則ー原理の発見にひたすら専念した。
カンディンスキーと共に仕事を始めてから本格的にクレーらしさが窺えるようになる。
非常に実りのある出逢いであったことは確かだ。

カンディンスキーを中心にブラウエ・ライター~青騎士は、クレーの他にマルク、マッケ、シャガール、ヤウレンスキーによって結成された。
これほどの才能が一堂に集まることは稀有なことだ。

言うまでもないことだが「画家自身の内的欲求を満たすフォルムのみを使用する」とカンディンスキーの述べるように、もはや自然主義的なフォルムの再現など端から問題外のところから出発している。

しかしクレーはカンディンスキーの方向性・理論に深く傾倒しつつも、目で観ることの出来るものから完全に離れることはしなかった。
純粋な形体-音楽的な抽象へ一気に飛翔することはなく、モノの痕跡を残し暗示的で象徴的な神秘性溢れる芳醇な世界を創造し続ける。

あえてブラウエ・ライターの共通性を挙げれば、音楽性・抽象性の高さ、装飾的傾向の強さ、民族的要素が窺えるところだろうか。キュビズムの影響も感じられるものだ。

クレーはグループで知り合ったマッケとチェニジア旅行を、やはり多くの画家たちのようにしたが、この旅行はクレーに「色は私を捉えた、、、」と言わしめるほどの色彩に対する衝撃の深い体験となって、その後の作品に確かな方向性を与える。
線描の画家が色彩も捉え、色彩と一体となったクレーの芸術の完成度がさらに高まる。またこの地に見られる幾多の建造物はクレーの以後のモチーフに欠かせないものとして、クレーの内奥に幾何学的に醸造されていく。アラビア模様などとともに。

第一次大戦でカンディンスキー、ヤウレンスキーはドイツを去り、マッケとマルクは若くして戦死する。
クレーは自身の特質もあいまって、この経験でさらに確信を深めている。
形象の残骸は抽象化の素材となる。「贋の分子の巣くう廃墟、不純な結晶物の生まれる素地。これが今の時代なのだ。」
クレーにとって彼岸に完全な世界を構築することが絵画=抽象芸術制作の根拠となる。

グロピウスからの要請でバウハウスの教授となり、講義の傍ら自身の造形理論をまとめた。
「造形思考」は制作者側から提示された最も優れた理論書のひとつであることに間違いない。

「芸術は目に見えるものをあらためて提示するのではない。目に見えないものを見えるようにするものだ。」クレーの抱き続けていた野心は最後の二年間に向けて実ってゆく。

多くの天使たちと交わり、彼岸においても進化ー運動を止めない描線が続く。















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