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2014年4月9日水曜日
ダリとガラ ~ 燕の軌跡 ~
ダリはスターでもあったため、近しい友人以外の人間か来た時は素早くダリへと変貌したようだ。
普段は大変繊細な人間で、そのままで普通の生活はできないような人と友人であった岸恵子が語っている。
父へのコンプレックス、死への恐怖が根源にあった。
サルバドールという兄が自分が生まれる直前に死んでしまい、同じ名前が彼につけられた。
私は兄の代わりなのか?
兄の写真を観るたびに自分の存在がかき消される気がしたそうだ。
その後ヒステリーの発作に襲われ、以降頻繁に発作になり、病院にも入退院を繰り返す。
この時期、心静まる場所である洗濯場で油絵をひたすら描くようになる。
しかし唯一の心の支えであった母が亡くなる。
妹を描いた絵をピカソに絶賛されたのをきっかけにスペインを離れ、パリに行く。
シュルレアリズムに出会い、心を病んでいたダリはその制作方法に飛びつく。
シュルレアリズムの活動はダリにとって大変大きな意味をもたらした。
そこで会った、ポール・エルアーリュの妻、運命の人ガラに出会う。
ガラはダリにとってはじめての恋人であり、母親であり、マネージャーにもなった。
ダリははじめてガラの前で、自分自身をさらけ出すこともできたようだ。
ガラに支えられダリの中に巣くっていた様々な強迫的なものが解放されていた。
それと同時にガラは彼に秩序を与え、生活を与え、メディアに対するあらゆるマネージメントを施した。ときによってダリの防波堤となり、すべての事務・実務関係の手続きも行っていた。
ダリにはなくてはならない存在であることは間違いなかった。
2人はアメリカに渡り、ガラの手腕で大スターとなり、大儲けをする。
しかし、お金が十分以上入るようになると、ガラは夜遊びに出てゆくようになる。
若い愛人が何人もできていたらしい。
ダリはアトリエに籠り、ガラの肖像を描く。
その後、ダリの絵の中で、ガラは聖女となる。
ダリは奔放なガラに振り回されるが、再びスペインにもどる。
故郷でやり直せると思ったのであろう。
だがそこでもガラは若い男のもとに遊びに行ってしまう。
若い男など何処にでもいるものだ。
ダリはアトリエに籠りっぱなしとなり、さらに聖化したガラをキャンバスに描き込む。
宗教画が増える。
晩年のダリの絵はそのほとんどが宗教画である。
もっとも一目でダリのものとわかる、細密かつ大胆な構図のシュルレアリスティカルなものだ。
「ポルトリガドの聖母」はその最たるものであろう。
そして2人のための、ダリ劇場美術館の建造。
これには大変な時間と労力をかける。
彼らの共作と言っても良いような4000点に上る作品が収められた。
この時期、二人は完全に別居状態であった。
ガラはほんの一時館内を観てすぐに帰ってしまう。(別の男のところに)
ガラに対するダリの異常な固執は何であるのか?
ミューズとするには度が過ぎている。
また、通常な意味でナジャやキキ等とは違う。
やはり母親なのか?
「ガラだけが現実だった。ガラだけがすべて。」
やはりダリ本人でなければ理解不能な関係である。
「燕の尾」燕の軌跡がダリの絶筆であった。
ガラと2人で若いころよく一緒に観た燕の軌跡の絵である。
ここにあるのは軌跡だけで、ガラの姿はない。
ガラは死ぬ少し前にダリの元に帰ってくる。
その3ヶ月後、89歳の生涯をダリの元で終える。
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