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2014年4月2日水曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー ~ オフィーリアの内面


シェークスピアを読んでなかろうと、ミレーのオフィーリアは当時も大変な評価を得た絵画である。
もちろん今日もその評価は揺るがない。いやさらに高まっているか。

まさに、水に落ちたオフィーリアが、驚いているのか、悲しみの中に心を閉ざしているのか、怒りを見せているのか、もはや意識自体が掠れているのか、なんとも判断し得ない「表情」で目も口も僅かに開けて仰向けになって流れて逝く。

このなんとも謎に満ちた「表情」がさらに神秘的な様相を深める。
この絵の魅力はとりもなおさず、この「表情」に尽きると言えるだろう。

究極の名画ダ・ヴィンチの「モナリザ」の神秘性は、かれの発明した絵画史究極の技法であるスフマートによるところが大きいが、オフィーリアの場合、これといった技法が用いられているわけではない。
ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティたちのプレ・ラファエル派の一般的描写の内にある。技能を見ればロゼッティより遥かにミレーの方が上であることは明らかであるが。

その「表情」の描写そのものに誰もが惹かれている。
まったくオフィーリアの内面のはかれない「表情」なのだ。
この今にも生が絶たれてしまうであろう美しい女性の内面‐内界が共感ー移入したくても、全くできない。発狂しているからか?!そうかも知れない。もはや精神は彼岸のものなのだ。
そう、見る者たちは諦めるしかない。
しかし、果たしてどうなのだろう。

こう思いあぐねてさらによく見てみる。
今何を想っているの?
「表情」は何も応えない。

この絵を包み込むトワイライトゾーンの光と彼女の表情が、この世と彼岸ー生と死の間の名づけようもない時間を凍結させている。
とすれば、この絵は永遠の謎を秘めたまま人々を魅了し続けるしかない。



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