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2014年3月30日日曜日

タマラ・ド・レンピッカの戦略




マドンナや美輪明宏さんが大好きだというタマラ・ド・レンピッカ。
彼女についてはわたしも大学に入ったばかりの頃、書店の美術コーナーで画集を見つけて購入してからのファンです。
ある意味、パリアールデコの象徴でもあります。

パリ都市文化が爛熟した1920年代に華々しく躍り出たひとりの女性。
自由奔放で凛々しく逞しい自立する女性の姿をクールな質感で描いた画家タマラ・ド・レンピッカ。

初めて見たこの人の絵で衝撃を受けたものは緑のブガッティに乗った自画像です。
最新のファッション、ショートヘア、アイシャドーでキリッと前を見つめる強い瞳。
これは彼女の描く多くの女性像全てに見られるものです。

全身像を見れば、体のラインに張り付く単純化されたヒダをうねらせるゴージャスなドレス。
その質感は金属のような光沢で艶やかであり、彫刻的とも言えます。
時代の最先端を行っているというより、近未来を思わせるSF映画にそのまま出ても違和感は感じられないフォルムにまで到達しています。

彼女は自己プロジュースにも長け、優れた容貌とその洗練された優雅で官能的な姿をたくさんのポートレイトにおさめ、まずは社会に認知度を高めてゆきます。
自画像をプロモーションに使用することはかつての女流画家ヴィジェ・ルブランたちも行っていたことですが、レンピッカは徹底しています。
当時「グレタ・ガルボ」に似ていると言われ、それを意識したポーズなどもポートレートに意図的に取り入れています。
さらにポートレートだけでなくニュース映画にも出演し、自分の仕事中の映像も積極的に公開しました。そこでは、レンピッカの恋人とも言われた女性シャンソン歌手のシュディーがセミヌードで彼女の前にポーズしているところや、優雅な暮らしぶりを紹介するなどのメディア戦略を次々にうっていきます。
娘のギゼットも官能的な美しさあふれる肖像画に描き発表しています。

それによりパリ社交会で話題の尽きぬ人となり、画家としての仕事ー受注はますます広がってゆきました。
彼女の思惑のとおり、画家タマラ・ド・レンピッカの知名度は今やパリだけに収まらなくなり、ドイツからも多くの作品・雑誌も含めた依頼が押し寄せてくるまでになります。

彼女の作品は圧倒的に女性が多いのですが、そのポーズ、表情、姿すべて自立心旺盛な強い女性であると同時に、挑発的で挑戦的かつデカタンスな魅力に満ちたものばかりです。
依頼者・購入者がいくら増えても彼女は相手に合わせた絵ー題材というより自分の描きたいー表現したい絵を描き続けました。しかし時代も彼女の表現するものを積極的に受け容れてゆくのです。

まさに時代と彼女の欲望が一致を見ていた時期でした。
彼女の代表作はこの間にすべて出尽くします。
「美しきラファエラ」など、20世紀最高のヌード画と言われる作品も描かれました。
この官能性、他に強いて挙げれば、クリムトでしょうか?
彼女自身、揺るぎないものを感じていたはずです。

ところがウォール街に始まる世界大恐慌で事態は一変します。

肖像画の依頼はぱったりとなくなります。
彼女自身これまでのスタイルを続けてゆくことに大変な危機感をもつようになります。
作品は次第に内省的なものになり、「難民」、「修道女」などというものになり、この「修道女」の涙がメタリックな取ってつけたような白々しいものだという評論家たちのパッシングもあり、さらに彼女は困惑を深めてゆきます。

ロシアからパリに出て大成功を収め、恐慌後はアメリカに渡り、この時代に合わせた題材と技法を用いた制作に専念します。しかし時代は彼女を顧みず隔たってゆくのです。
タマラ・ド・レンピッカのシュルレアリスム画やまったくこれまでになかった技法表現様式の「マドンナ」なども生まれました。
とは言え内的衝動から技法を根本的に変更していったピカソとは異なり、時代との関係で作風を変えようとして作った作品とは本質力が違います。

展覧会は開かれましたが、注目されたのはいづれも1920年代の作品ばかりでした。
最晩年にはメキシコに渡ります。
そこで自宅に篭って彼女の行っていた事とは、すべて手元から去ってしまった最愛の作品群の模写であったと言われます。




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