AdSense

2013年9月16日月曜日

リヨン派から

プレラファエル派の先駆け的存在と言われていますが。古都リヨンで活動。
科学と実証主義の流れにさからい、カトリック復興運動とフリーメイソンの影響下で生まれた特異な神秘主義の画家たちです。この中にはジョン・エヴァレット・ミレーの敬愛したシャヴァンヌもいます。
近代化の中で取り残された画家であり、1980年代まで埋もれていたそうです。その中から1人、代表としてルイ・ジャンモについてご紹介します。


ルイ・ジャンモ
1814~1892 
かのアングルの弟子だそうです。代表作は「魂の詩」という連作で、油彩18点による第一部と第二部の16点の素描によります。20年以上費やした労作です。

まず様式美を追求していることが分かります。個々の人物の描き方は画集を確認した範囲ではアングルのように筆跡を完全に消すほどのマチュエールになっているかどうか分かりません。ただ非常に精緻に描き込まれていることはよく分かります。この点ではアングルの流れをくむ、プレ・ラファエル派の先駆的存在という位置付けも了解出来ます。

個々の作品に少し当ってみますと、「聖なる生成」などでは羽の生えた天使の群れが整列し、空を飛び、非現実的な空間構成で成り立っています。木の葉の生い茂る中からやはり羽のある天使たちが出てきたり、入っていったりこの辺はかなり自由です。「魂の移行」 ではもう白い衣の羽を生やした天使たちが画面の中を溢れんばかりに群れ飛んでおり、生贄の様な男性が一人、下の方で鳥に内臓を突かれております。「天使と母親」まさに天使と母親の図であって、それ以外に何とも説明がつきません。「春」等は羽をつけた天使がおらず、絵そのものもプレ・ラファエル派を連想する、というよりプレ・ラファエル派の誰かの絵です、といってもそのまま通ってしまう絵と言えます。幼い少女2人が丘の上で小さな花を摘んでいます。右上四分の一の空間は大変深く広大な空間が見降ろすことが出来ます。「天の想い出」では、また宙に浮かぶ羽があったりなかったりする天使たちのオンパレードです。 
天使が出ない絵では、プレ・ラファエル派的な写実画に「生家」等がありますが、その他は不吉(ものによっては不気味)な寓意画とでも呼べるものです。「悪しき小径」「悪夢」「純潔」「太陽の光」等。一見乙女たちの精緻な写実画かと思うとその顔は、何かマインドコントロールを受けた、まともに現実など見てもいない、虚ろな顔、まるでマスクの様な表情なのです。「麦の粒」はまさに男が憑かれたような表情の女性二人を前にして何やら洗脳を進めているような図です。それは顔の表情に留まらず「山の上で」のような体のフォルム自体が山を駆けのぼる姿をしていても全く動勢を感じさせない、実際は走っておらず僅かに宙を浮いて移動しているかのようなスタティックさが全体の特徴です。
「魂の飛翔」ではついに山の上から乙女2人が宙に飛び立ってゆきます。フォルムと絵の構図・構成からその場面はそれと受け取れますが、物質的な想像力に訴える運動感覚は微塵もなく、この世の原理とは全く次元の異なる力(霊力)によって浮かび上がる姿と言えましょうか。未来派の対極にいた画家であったことは間違いありません。

一口に言えば、プレラファエル派から生気をさらに吸い取り、不吉な寓意性を加え、スタティックな様式化を進めたような絵画群です。(ある意味内燃機関を否定した彼らであったからには、人物はみな何か他の力でことごとく動かされていたのかも知れません。傀儡のように。)

「悪しき小径」で少女たちを小径の脇で待ち伏せている気味の悪い人物たちは教師たちだそうです。彼らは所謂科学と実証主義の象徴として表されています。勿論、画家にとってそれは排除すべき悪でした。 その産物として見ると首尾一貫した主張をもった画業であることは納得できます。

  「悪しき小径」                                      ^



0 件のコメント:

コメントを投稿