今日は何故かピカソについて一言述べてみたくなりました。
ピカソの全体像と言うのはもしかしたら驚くべきシンプルなものかもしれません。
とてつもない巨人ですが、かつてないほど、何と言うのか、本源的なヒトと言おうか?
ピカソを観て、つくづく思うのは、世にあるすべてのものは彼を突き動かす媒介であってまた、触媒にすぎないのだということ。
クレーにもそれは顕著ですが。
ピカソには、はっきりそれが窺えすっきりするのです。
多分方法を持たない裸眼によって。
ピカソにはルールがない。
ただ凄まじい好奇心と意欲によって。
クレーは理論によって、エルンストは方法・手法によってある意味、作品の生成過程を自ら構造化してみせ、その研ぎ澄まされたツールをガイドに、作品をさらに純化していきました。
もちろんクレーやエルンストのような優れた画家が自らの理論や手法に従属し、自分のスタイルを模倣・反復するような画家でなかったことは云うまでもありません。
例えば少なくともピカソの「アビニョンの娘たち」は、主義として描かれたものではないです。それを彼が確立したというのではなく、究極的に推し進め続けた、というだけです。立体派等とはすべて評論家のつけたレッテルであり、ピカソはものの真実に迫ろうとして迫っただけのことです。
われわれが自然に物に接するとき、それまでの絵画や写真のように凍結した時空ー対象に接している方が不自然です。われわれはひとつの対象に対し、様々な面を瞬間毎に有機的に統合して「見て」います。観るというとき常に遅延しています。眼球自体高速微動しており、画像は記憶による編集を経ています。それが生理的前提としてある上で、常に自分も対象も運動しながら(クレーやボッチョーニの語るように運動こそが存在することの本質です)その外延する動きの総体で対象を捉えています。対象を見るとき、様々な視座を常に自然においている。それを単に精確に描ききろうとしたまでです。別にそれまでと変わった絵を描いてみましょうというスタイルー主義の創設意欲など端からない。
ピカソは様々な形で造形を試み、自分の打ちたてた主義を次々に打ち壊して新たなスタイルに挑んだと言われますが、もともとそんな関わり方などしていません。
彼はいろいろなモノを組み合わせオブジェ、彫塑を作っており、あらゆることをし尽したように見えて、ミケランジェロのような大理石彫刻はやっていないです。
そういえば、そうでしょ!
多分、大理石という素材はピカソにとって、彼がなにかを作り出そうとするための媒介・触媒の顔をしていなかったのでしょう。
ことピカソに関してはことごとく理屈は後付けに過ぎないことが何やらしっくり腑に落ちます。すべてのひとつひとつの創作が、単に新たな直接的な関わり以外の何ものでもなかったに過ぎない。
この不断の好奇心。本源的な汲み尽くせぬ意欲。これが少年期にすでに到達していたあの究極の成熟しきった技量と相まって、媒介の触発で何でも新たに創造していくこととなった。
興味の向かないもの、触手の動かぬものには見向きもしないのは、極めて自然だと思われます。何故、大理石彫刻をしなかったのか、など知ったことではないはずです。何らかの理屈は付くかも知れませんが。
所謂、彼自身芸術とか主義とかそんな派閥的な思惑ー枠から何かを作ってきた訳ではなく、もっと本質的な本源的な力で対象に直に関わってきたのです。
芸術家、言葉の真の意味での芸術家であったヒトです。
今回はこの一点だけにします。
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