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2013年11月18日月曜日

刺繍アートここまでやるか!

「日本刺繍」の細緻で絢爛たる趣をお伝えしたかと思いますが、日本人のなかには刺繍による造形DNAが深い部分で普遍的に満ち満ちているのでしょうか?と思ったのは、病院の待合室でのことです。

スティーブ・ジョブスがAppleを追放された後に作ったNeXT社に、NeXTcubeというパソコンがあります。ワークステーションになるか。
そのcubeのなんとマザーボード、基板をよりによって刺繍によってそっくりに作ってしまった作家がおります。ホントにそっくり!

わたしは目が悪いのでとある雑誌でマザーボードの写真を見たとき、単にパソコンの基板の写真だと思っただけでした。ようやく見出しに「NeXTcubeの基板を再現!」とあり、それが尋常でない物の写真であることに気づきました。ほう、NeXTcubeの基板がなんで今頃、と思いつつページをよくよく見ると「電気が一切通わない布と糸の不思議な世界」という顛末で、私の中ではまた「刺繍か!」ということになりました。
ここのところ、刺繍には度々驚かされてきています。またやられたか!ということです。
これが刺繍!、、、?という具合に。


わたしが冒頭で、普遍的に、、、などと言ったのは何故かというと、この作家はずっと「日本刺繍」を制作してきた専門の作家とかではないのです。
20年間企業で働いてきて2008年から刺繍を始めたきっかけというのが、「このままクリエイティビティを放出させずに死ぬのは嫌だ」と思い立ち、いきなり糸と針を買いに行き、刺繍をやることにしたと言うのです。大学は版画科を卒業してはいるものの、それとは無関係の生活を続けてきて、いきなりのことです。油絵とかアクリル画とか彫刻などなら分かり易いですが、刺繍なのです!それまで全くやったことがなかったそうで、伝統ある技法など全く知らないのに、作ってしまったと。
これでは、今後突然、肉屋のお父さんが刺繍に走ってしまった、なんていうエミール・ボンボワみたいなことがあっても、受け入れ易い素地がすでにこちらの中に育まれています。

ただ、基板などを刺繍作品にしてしまうというのは、よほど腕に覚えがないことには。あのめくるめく複雑さですから。しかし美学的には分かります。確かに美しいです。対象にすることに何の不思議も感じません。
当人の弁では「駅の自動改札機がメンテナンスで開いていたりすると、つい見入ってしまう。基板のなかでも、チップをつなぎ止めている”足”がかっこよかったりして、美しい」のだそうだ。本人曰く「密度フェチ」わたしも充分共感するところです。

最も深く刺激を得たのはこの言葉です。

「布に縫い付ける行為は、残留思念を込めているような感じで、時間と手間をかけたものほどオーラを発している。小さなスペースで大きな存在感を出せるのが刺繍のおもしろさ」

ここに刺繍とは何かが言い尽くされている気がします。
作者は、全ての作品は玉止めと半返し縫いだけで作っているといいます。他に技巧を知らないそうで。
それでこの手の作品だけで個展も開いている。

会社では営業職だそうです。



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