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2013年11月13日水曜日

Procol Harum プロコルハルム 8/10

7. Grand Hotel        1973
完璧な作品。

今後、どのようなアーティストが現れ、どのような作品が生み出されようが、本作がロックミュージシャンから生まれた「全音楽」の最高傑作であることに、いささかも影響は及ぼすことはない。これほどの作品は金輪際出ない。これは自明のことである。

"Grand Hotel "はプロコルハルムにとっても奇跡的な出来であり、彼等を最も適したメディアとして、彼等を通してはじめて具現された芸術である。
このようなものに触れると、Ideaというモノの実在を否応なく感受する。

芸術の本来の存在意味に、意識の拡張深化ー覚醒作用があるとすれば、彼等の音楽はまさにそれである。

いつにもましてキース・リードはシニカルで乾ききっている。
すべてを突き放す。
どんなに暗い世界よりも深い闇に。
ここには、中途半端な描写は一切ない。
一点の隙もない。
その徹底した意味で、フランツ・カフカの描く世界に酷似している。
ロマンティックな幻想など微塵もない。

そこに繰り広げられるただ虚しいだけの人間のありさま。
きらびやかに変幻する光と表情を失って舞う人々の一瞬の姿。
その表装を描くメロディーの美しさ。
そして意味の無い昂まり。
サウンドは渦を巻いて高揚してゆく、、、

そして、舞台の照明は完全に落ちる。
誰もがロバーツボックスにすがりつく。

自分の病を今更、治してもらおうなどと思いはしない。
救われる?
一体何から?

ただいまのこの痛み!
この耐えがたい痛みを何とかしてくれ!
この痛みだけでも、何とかしてくれ!
もう二度と来ないから
痛みだけ、
束の間でも消してくれ!

管弦楽とスイングルシンガーズを全面フューチャーしての大団円。
感動の終曲である。

われわれはいったいなににかんどうしているのか


前作での唯一の失点。プロコルハルムの歴史で唯一の汚点であるデイブボールのギタートラックを全て削除し、ミックグラハムのものに入れ替えたことで、このアルバムは絶対を獲得した。



8.Exotic Birds and Fruit        1974
クリストーマスの最後のプロデュースによるもの。
トータルとしてのコンセプトより、個々の作品に力を置いていることの判るアルバムである。
トゥジュールアモールがバタフライボーイーズに、という様な個々の楽曲はさらに力強く厚みを増し躍動している。
ミックグラハムはロビントロワーの抜けたあとを見事に埋め、プロコルハルムのサウンドに完全に溶け込み、作品をさらに魅力的にして余りある素晴らしいギターワークをみせている。

ハードでタイトであるが、以前のアルバムよりカラフルで曲ごとの表情がとてもゆたかだ。何よりゲーリーブルッカーが非常にエネルギッシュでパワーに溢れている。ボーカルも気持ちよい。ピアノもこれまで以上に走っている。
バリー・J・ウイルソンのドラミングはいつもながら非凡な個性をみせ、ミックのギターもドライブ感と重量感をもって駆け抜けていく。オルガンも厚みをもち彼らの曲のクラシカルな格調の高さを充分に醸している。
このアルバムでは、一切オーケストラは導入していないが、サウンドの厚みや表情は決して劣らない。

曲想的には、プロコルハルムは完全にゲーリーブルッカー=キースリードのグループとなり(戻り)、それを支える優秀なスタッフとしての演奏家が揃ったという感がある。
メロディもスッと入り込んでいつまでも残るものばかりであり、改めてゲーリーブルッカー=キースリードのコンポーザーとしての能力の高さが認識できる作品となった。

一般的な評価も高いアルバムであり、彼らの代表作のひとつに数えられる。
はっきり言って、あのアルバムの後に、またこれだけの仕事をコンスタントにできるポテンシャルの高さは並大抵のグループでないことを証明している。

この年、南イタリアからは、アルティ・エ・メスティエリなどの超絶技巧のクラシックにジャズアンサンブルを融合したアルバム1組曲というコンセプツァル作品を発表するアーティストも相変わらず出てきており(このTILTというファーストは凄まじいテンションのトータルアルバムであった)、キングクリムゾン、ジェスロタルも同様な練りに練った重厚なアルバムを出している。この後のプロコルハルムの方向性も懸念されるものであった。







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