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2013年11月22日金曜日

ティツィアーノ


子供の頃、画集等を学校の図書館で観て、「すげー」といいまず夢中になるのが、アングルだったりする人が多いように思う。
タッチがあれほど残らない写真みたいな絵を描く人も珍しい。
なんともあのそっくり感がたまらない、といった感想にまとめられるあの作風である。
あのペカペカな上手さが仮面ライダーやウルトラマンの強さに重なる思いがして、凄いけど親近感もあるというような。骨董品店の奥の主人の座る隣あたりにでかでかと額に入って置かれているのが結構似合うはず。
レオナルドは確かに凄いのは分かるけど、重すぎる感じがして、哲学者然とした冷徹な自画像など見るにつけ、まじめすぎてみな避けていたようだ。
わたしはその頃、今ひとつアングルには馴染めず、ダリが好きだった。
そして、ヴェネチアのジォルジオーネやティツィアーノもいいなあ、と思ってよく観ていた。
時々クレー、ミロ、エルンストなどにも脇見をしながら。

ティツィアーノは大好きな画家というのとは、少しばかり違うのだけど、身近になくてはならない存在と言って過言ではない。
「性愛と俗愛」などもいかにもその時代のアレゴリー絵画の典型というのもよいが、わたしとしては、「フローラ」や「ウルビーノのビーナス」や「悔悛のマグダラのマリア」や「ダナエ」や「イザベラの肖像」など、まだまだ思い起こすと結構出てきそうだが、こういったものやいろいろな絵にちりばめられたいわばミューズたちに魅せられていた。
上に挙げた中では、「イザベラの肖像」がお気に入りで、本を片手に遠くを眺め、凛とした佇まいの知的な女性がなんとも魅力的であった。まさに同時代における主流スタイルの、地位あるご夫人の肖像画ではある。

ジォルジオーネやティツィアーノの絵は確かに、アレゴリーを纏っていても奇を衒うこと等なく、ミューズたちがことのほか超然としているわけでも、妙に生々しくもなく、特別な美(ブロンズィーノのような)を狙ったものでもなく、美しいのだがしかるべき安定した構図の中に無理なく収まったものである。特に時代を超脱して革新的な創造を果たしたという芸術ではないが、こちらもそんな絵を特に観たいのではない。はっとする美しさ香しさに癒されたいのだ。不安に陥れられたり、迷路に迷い込んだり、悪夢となって夢に見るような刺激物をことさら求める気はない。そうでなくとも、現実はそんなモノだらけだ。すでに悪夢の中にあって、さらに悪夢を求めるほど酔狂ではない。毒には毒をという療法があることは知っているが、扱いを間違えると取り返しがつかなくなる。わたしはそこについては、音楽でやっていた。現状をさらにとことこん深く確認することで毒を皿ごと噛み砕くことを日々つづけてきた。

ティツィアーノのミューズはやはり、身近に必要だった。

しかし当時、親に買ってもらった山田書院の美術全集ティツィアーノの章を読んで、物事や人という存在の厚みについて考えさせられることとなる。
ティツィアーノは出生記録が焼失しており、はっきり何歳生きたのか定かではないが、百まで生きた可能性は高いらしい。貴族並み(実はそれ以上)の生活をしていて極めて贅沢三昧の生を謳歌していた。制作した絵の夥しさは正確には数えきれないようである。技量が高い上に体力も尋常ではない。
質的に近い同等の血の流れているとみられるジォルジオーネとは、その卓抜な表現技能以外は、あらゆる意味で対極である。人格・富・生存時間・絵の作成枚数などにおいて。ひとくくりにベネチア派などと言っておいて。

ティツィアーノはなんと絵を描く傍ら高利金貸しでも稼ぎまくっていた。絵だけでも十二分に稼いでいたのに。その上表向きには支払いが遅れると本当に困るのですなどと貴族相手に手紙を書いてみたり、でも金銭的に困ること等全くない生活地盤を固めていた。今のネオヒルズ族みたいにぎらぎらしたおじいちゃんであった。しかもへたをするとかのミケランジェロよりも丈夫な身体であった。向かうところ敵なしである。その意味では最強の画家である。
あの純粋な「悔悛のマグダラのマリア」のこの世ならぬ美しさ幼気さをあそこまで描き抜き、人々に深い宗教的高揚感を与え名声を勝ち得た画家であるが、同じ主題のものを人気があると分かれば少しずつパタンをズラして市場(いえこの時期はお得意様)に投入していく等、マーケッティングの勘も冴えたモノである。彼こそキャッシュポイントとツールとマインドとセオリーと人脈とスキルを兼ね備えた、ベネチア・ネオヒルズ派(のおそらくボス)であった!
別に画家が清貧である必要等全くない。清貧が画家の属性である訳はない。ピカソを見るまでもなく、多くの画家は例え絵でそれほど稼げなくても資産家であった。自分の家が死後そのまま(多少の改築はするがモローのように)美術館になってしまうようなひとも少なくない。ゴッホだって裕福な家の出である。

しかし面白い人である。ピカソは芸術一本で大富豪になるという完全な正統派であるが、ピカソが単純な人に見えてきてしまう。

ベネチア・ネオヒルズ派のティツィアーノの絵は、やはりどの画家や派の宗教的な絵よりも押し付けがましさがなく、風通しが良い。特に飾りすぎないデフォルメもない清純で美しいモデルたち。技能がしっかりしているためどの絵もアンシンして観れる。
はっとする美しさ香しさに癒されたいときになくてはならない常備薬である。
芸術の人を癒すという属性においては最高の作品ー商品を提供した人である。







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