ワイヤーのアルバムを棚から無作為に取り出しました。
これからは、これで行きます!
無作為抽出!
このアルバムは何枚目でしょうか?
確か2枚目のような。
ファーストは輸入盤でしか手に入らなかったし。
まあ、これも輸入盤ですが。
パンクはデーボとかストラングラーズとか自らの乗る潮流に対し意識的・批判的なグループはその発言も含めて音-詩の説得力から商業的にも成功していましたが、実際ほとんどのグループは売れてなかったと思います。KING CRIMSONのロバート・フリップは政治的な意味で彼らを評価していましたし、ピーター・ハミルはいち早く自身パンクアルバムを作ってしまいましたが、一部先鋭的な意識の持ち主はパンクの果たす役割をすぐに見てとっていました。そう、デウィット・ボウイもですね。
「ロックでさえなければ何でも良い」が有名でした。
これでWireの立ち位置が明確に示され、他の勢いだけで突っ走っている有象無象とは、差別化されて評価されていました。
斯く言うわたしも、それで注目しました。
小泉調キャッチフレーズはやはり大切です。
曲も28曲構成。
鉄人の音楽集でも20曲まででした。
1曲が短い。
1番長いのでも5分47秒。
ということは、無駄な尾ひれがない。
ソリッド&シンプル!
言うべきことだけ伝え、どうでもよいこと無駄・曖昧・余計なことを根こそぎ、そぎ落とす。
そう、端からマイナスのメッセージ。研ぎ澄ましたナイフのようなシャープな音。
どうでもよさ・ブヨブヨしたぜい肉がロック界に蔓延して、リスナーがロックに求めてきた徹底した破壊力が完全に萎えてきてしまった。それを皮肉ったピンク・フロイドの「ウェルカムザマシーン」(あなたがここにいてほしい)などの反歌もビッグ・アーティストから出てきました。自覚的なミュージシャンはパンク・ムーブメントを予知し引き寄せようとしていました。ロックの自己浄化作用の促進剤として、警鐘としても。
そこで有効な作用を及ぼしたグループの一つがこのWireだと言えるでしょう。
今、聞き返してみて思い出しましたが、彼らは私の好きなシド・バレットに似ていると言われていましたっけ。
確かに、メンバーにシドがいてもおかしくない。ボーカルのスタイルも近いものです。
よかった。今回無作為チョイス企画をしたおかげで、わたしのなかでのWire再評価の機会がもてました。
Wireはデーボやストラングラーズ、ジス・ヒートのように純粋に音楽としての質をもっている。
これが、違いだと実感しました。
音楽である以上、音楽としての魅力がなければ商品価値はありません。
「自分たちをニューウェイヴだなんて思ったことはない。」
こうも言っていました。
かなりのコピーライターです。やはり「才能」があります。
言葉がないミュージシャンが少なくない中、彼らには確固たる言葉が核にあります。
そこが厳然と違います。
わたしは特にWireファンではなかったので、この2nd以降のことは確認していませんが、彼らがRockに対して果たした役割はそれこそ無駄ではなかったと思います。
これ以降に排出した{ニューウェイヴ」を見ても。
0 件のコメント:
コメントを投稿