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2014年4月14日月曜日

ブルトン~モロー 「ピエタ返歌」

今日は私が師と仰ぐ方のブログから、その感想めいたかたちで私なりの記事を書かせてもらいます。ブルトンにつて知らないことがたくさんあることが分かり、読むべき本についても知らされ、画家・作家たちの流れも意識できました。

ここに原文をご紹介させて頂きます。エストリルのクリスマスローズ

アンドレ・ブルトンの目の確かさは感じていましたし(気になる人のところには必ずいるマメな人ですし)、優れた理論家だとも思っていましたが、さらに奥深い存在だと感じました。
それを取り上げた安部公房、面白いですね。(彼の作品はまだあまり読んでいないので、是非「壁」読みます。)

さてモローはイタリア旅行で、まずは例の御三家と一連の画家を研究したようですが、すぐにウッチェロに強く惹きつけられたそうですね。あの細密に描き極めることで幻想的で目眩を誘うような世界を出現させてしまう彼は独自のゴシック的想像力と幾何学的な構築力そして強力なコントラストの鮮明な色彩ももち、モローの世界を充分に刺激するであろうことは想像に難くないです。それはまた、アンドレ・ブルトンの提唱するシュル・レアリスムに直結しています。

私も子供の頃、「聖ゲオルギウスと竜」はお気に入りで、よく画集で見とれていました。
彼は初期ルネサンスの時期の画家ですが、20世紀のシュル・レアリストがあの絵を描いても何ら不思議はありません。現実を克明に描けば描くほど(ディテールを追えば追うほど)幻想性がます、このことはブルトンから教えられ、その例が、ウッチェロしかり、ダリしかり、カフカしかり、、、と私の中で咀嚼されていきました。

ゴシックは現代において、サイバーパンクなどに引き継がれていると思われます。ファッション的な面で広がっているものは特にゴシックと名付ける必要性は感じませんが、ただある意味、形式的に忠実な継承とは言えないまでも、精神的な意味での無視できない影響ー発現は少なからずあるように思います。
かつても確かにグロテスクな趣向をもち、それが異教的であることから暗黒化されてきましたが、大変芳醇で、魅力あふれるものであったと思います。(狭義には建築のみを指しますが)
勿論、それはシュル・レアリスムに通底しているはずです。

そして、モローも手記などには、シュルレアリストのような事を普通に書いています。特に後期の抽象画ともとれる色彩の扱いなどについて。彼もブルトンと同じく詩人ですし、音楽の造詣もクレーのようにもっていました。
高踏的なところやその生活スタイルもちょっとレーモン・ルーセル的で、ブルトンに無視できるはずないですよね。しかもダリもモローにはとても惹かれていましたから(ダリの鑑識眼も素晴らしいですよね)。

同時期に活躍したモローの絵画と印象派の画家の違いは、その捉える時間性であり内界に絶対的な信頼をおいた、真理ー思想によるか、外界の変幻に徹底して身を晒して得る方法によるかと思います(後期印象派は物理理論を摂り入れ外界を一歩後退しますが)。
永遠の美を探求するモローと瞬間の美を封じ込めようとする印象派の画家たち。しかしモローの色の使い方、筆致には驚愕するものがあり、印象派、フォーブ、未来派、シュル・レアリスムを巻き込むものは確実にありました。そしてあまりに美しい珠玉の名作と言える水彩画の数々。短時間で描かれた、迷いのない、まさに「永遠の美」は特筆すべきものかと。



「ピエタ」とは、モローがサロンに初入選したしたときのものですか?
所在不明になっている傑作!と言われる。
残念ながら私は画集でも見ておりません。

本当に、これらのピエタも他の画家からは生まれ得ない絵ですね。
「慈悲」とは何か、のモローの思索の形ー現れでしょうか?





しかし、生活苦とは無縁の画家であったため、ほとんどの作品は散逸を免れたことは幸いでした。
モロー美術館としてまるごと国家に管理・保存されているわけですから幸運です。


最後に私の大好きなモロー作品を一点ばかり。「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」です。模写もして(勿論、画集からです)飾っておいたら、遊びに来た銀座の画廊の人に「個人的に譲れ」と言われ、ちょっと考えました(笑  何を考えとるのか? 想い出深いものです、、、。


参照:ギュスターブ・モロー ~ 時刻表を持った隠者



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