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2014年4月15日火曜日

レンブラント 最初に知った大画家


レンブラントと言えば、夥しい「自画像」や集団肖像画であるテュルプ博士の解剖学講義』やフランス・バニング・コック隊長の市警団の集団肖像画所謂、「夜警」が圧倒的な傑作として有名である。歴史画や銅版画、デッサンもレンブラントならでは、と言えるものばかりである。

(わたしは子供の頃、レンブラントは凄い絵かきなんだ、と信じ込まされてきたものだが、長じて実際自分でよくよく見てみると、成程凄い画家であることが分かった。)

集団肖像画が当時流行っていたというが、レンブラントはそれを歴史画的な大変ドラマチックな構図にまとめた。芸術性の高さ、崇高さという点では見事な作品となったが、登場人物が平等に描かれていないという不満を俗物的な依頼主からもたれることも少なくなかった。
しかし、レンブラントは人の言うことなどに耳を貸すような画家ではない。自分が高名な画家として歴史的な存在となる野望をもっていたから、自身の芸術的要請にのみ従い制作を進めていたに違いない。

いずれにせよ、彼は独立した22歳くらいから高い評価を受け始め、先のテュルプ博士の解剖学講義によって決定的な名声を勝ち得てから、肖像画依頼は各方面から殺到し、たちまちオランダ全土はおろか他のヨーロッパ各国に至るまで名声が轟いていたので、すべて自分のペースで制作が出来ていたはずである。
オランダはこの頃、東インド会社成功によりヨーロッパ1の裕福な国となっており、市民社会の勃興による景気はめざましく、誰もが部屋に「絵」を飾ろうとしていた。豪華な衣服を纏った自分の肖像画である。

レンブラントはと言うと有り余る財力で市場に上がってくる国外の珍品や名画コレクションに没頭した。サスキアというこれまた財閥の娘を妻とし、その財源も使っている。
このコレクション癖が後の破産につながる。
しかしこの時期は、ひたすら弟子に囲まれて、歴史画や肖像画、自画像等の量産に明け暮れ、膨大なコレクションに埋もれていった。後に『放蕩息子の酒宴』(レンブラントとサスキア)という居直った名作を発表している。「これでいいのだ」、というノリのちょっとおバカな感じの絵である。

ただ、面白いところは(面白くないのだが)、弟子も周囲に殺到してきて、レンブラントの工房で研鑽を積むのであるが、その弟子たちに平気で自分の作品に手をつけさせたり、大胆に加筆を許したり、こともあろうに弟子が描いた絵に自分のサインまで入れていた(入れるのを容認していた?)ということである。レンブラントの工房にあり、著名がないため師の影響を真面に受けた絵画群は一見紛らわしく、レンブラントの作とされたものも多かった。しかも腕達者による贋作も横行する。どういういきさつからそうなってしまたのか、贋作以外については意味不明の事態である。これによりレンブラントの作品は膨大な数に登ってしまった。オランダ随一の画家レンブラントの作品は勿論、それ相当の高値である。信じて購入したあと、無名の弟子の絵でしたと分かれば、価値は当然大暴落である。

実際に、今世紀レンブラント・リサーチ・プロジェクトが組まれ、贋作や弟子の作品を誤ってレンブラントのものとしたケース、単なるお師匠様の模写、面倒なのは本人の作品を弟子が改悪したもの、(これは大変な時間をかけて専門の修復師が修復しなければならない)が次々に暴かれていった。当然、自分がレンブラントの真正の作品と信じて購入していた人々からは、レンブラント・リサーチ・プロジェクト(R・R・P)は鬼扱い(マフィア扱い)された。
コレクターや美術館は、権威にも関わり、ビクビク状態だ。

しかし面白いエピソードとして(これはホントに面白い)、瓜二つの若い時の自画像についての真贋論争がある。野心に充ちた誇り高い自画像であり、どちらもとても優れた作品である。それがそれぞれ、ニュルンベルクとハーグに所蔵され、長いこと前者がコピー、後者が本物と看做されてきた。「コピー」の方は「本物」よりコントラストが弱く、筆遣いが荒い。
しかしハーグの修復師の赤外線による描写手法の分析から、決定的な結果が報告されることになる。長いこと本物とされてきた自画像にはレンブラントが決してしない下描きの線が発見されたのだ。コピーのための写しの線であった!
これは美術界を揺るがす大事件であった。何と言ってもR・R・Pの鑑定も間違っていたのである。
それ以来、ドイツのニュルンベルク版が真正と認められた。所詮人のやることである。

レンブラントはもともとタッチは荒く、その傾向は後期・晩年へと加速する。
晩年の大傑作『ユダヤの花嫁』は、ゴッホもびっくりの厚塗り、荒描きなのである。
ゴッホはかつて、この絵の前に立ちどまり「何と親しみのある、思いやりに満ちた絵だ。これは燃えるような手で描かれた絵だ。なんという高貴な感情、量り知れない深み。こんな風に描くには何度も死ななければならない。レンブラントが魔術師と呼ばれるのは本当だ。この絵の前で2週間過ごすことができたら、寿命が10年縮まってもよい。」といかにも彼らしい感慨を述べている。

厚塗り・荒描きのレンブラントの特徴であるが、これがレンブラントをまさに「光の魔術師」とするところである。
R・R・Pの分析によると、彼の絵には、顔料にゴム成分が混ぜられているため、絵の具が分厚く定着出来るようになっているそうである。その上に筆やナイフなどによって凸凹がつけられ光の反射を呼ぶことになる。あたかも光をそのテクスチュアが捉え込むかのように。
さらに、『ユダヤの花嫁』の有名な袖の膨らみであるが、その極端な厚塗りは地塗りに鉛白に卵を混ぜたものを使用していることが判明している。それをナイフでバターを塗るような手際で質感を意識して塗りつけ、彫刻のように盛り上げる。乾かした後、黄土色で絵の具を布で拭き取りながら塗りつけてゆく。つまり地塗りを活かしつつ絵の具を厚塗りしてゆくのである。凸凹に反射する光と、内側から発光する輝きで、あの袖はまばゆいばかりに輝くこととなる。
光の魔術師の技法の一端である。

さて、ルミニズムとしての光の使い方であるが、彼の「自画像」や「歴史画」はドラマチックに光と影で演出されている。フラットな光に当たっている作品ー顔は恐らくない。特に顔は光の当て方次第で表情が決まる。つまり内面・感情が表現可能となる。
以前わたしは、3D作品を作って、スポットライト等を複数で向きを変えて対象を照らしてみたが、静止画なら、これで決まると言ってもよいほど、ほんの僅かな角度の調節で大きく表情つまり意味が変わることが分かったことを改めて思い出す。
ライト(光源)の数は重要だ。

というのも、レンブラントに限らず、画家は単一な光源だけでなく、微妙な光の効果を狙い、隠された光源も用意している。窓が空いているからそちらから日が射すというような単純なものではなく幽かに鏡や金属のテーブルに反射した光や何かに乱反射した光なども表情を作るために使っている。画面の外に光源があることもしばしばである。そうでなければ説明のつかない明るみが見い出せる。レンブラントの絵もそうだ。というよりレンブラントの絵こそ、その光によって作られる明暗で意味が浮かび上がってくる。

レンブラントは生家の風車小屋を揺りかごのようにして育ったそうで、風車の回る度に射す光と影が後のレンブラントの源視覚を作ったのだ。という言い伝えがある。




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